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2009/03/15

日本文化をコケにしまくる朝青龍に「物言い」! 内館牧子さん、 何とかしてよ! 

 朝青龍は、3月13日に行なわれた「ガールズコレクション」というファッションショーに、彼が出ているテレビのCMのキャラである学ラン姿で出場した。
 相撲協会の許可を得ての出場というから、あいた口がふさがらない。歴代の横綱の誰が、ファッションショーに出たか?

 朝青龍は、マスコミの取材に満面に笑みをたたえながら応じ、丁重な言葉で機嫌よく答えていたのだが、切り上げる寸前、芸能レポーターからだろう、気に食わない質問を浴びせられたとたん、表情と態度と言葉づかいが一変して怒りの表情になり、「あたりまえろう」と横着(おうちゃく)な言い方をした。

 芸能レポーターも芸能レポーターだ。この連中は土足で平然と人様の家に上がりこむようなたぐいの質問を平然と浴びせかける。
 だが横綱たるもの、いかなる場面で、いかなる質問を浴びせられても、怒りをぐっとこらえて、少なくとも表面的には冷静沈着に丁寧な言葉で終始対応しなければならない。
 
 それが横綱のとるべき正しい態度であり所作(しょさ)なのである。
 しかるに、この男、まったく自分の立場をわきまえておらず、すぐにぶち切れる。

 相撲は日本の国技である。国技の頂点に立つ横綱は、ただ強ければいいというのではないにもかかわらず、朝青龍の言動には、「勝てば文句はないだろう」「勝てば何をしてもよい」という不遜(ふそん)な気持ちが垣間(かいま)見える。

 どの力士かは忘れたが、「横綱とはどういう存在か」と聞かれたとき、「神様です」と答えていた。

 土俵上の態度は無論、土俵を離れても、相撲界を代表するものとしての矜持、態度、品格、威厳をそなえた行動を取ることが求められるのが、横綱である。

 昔の力士は、総じて「無口」であったり「口数の少ないうえに、口べた」という者も多く、勝ち力士にインタビューするNHKのアナウンサーは、コメントを引き出すのに苦労していた。
 それが幸いし、力士は「寡黙で、どこか神秘的」で、「ひじょうに紳士的」であるという印象をファンに与えた。

 それが昨今の力士はどうだ。子供時代から見つづけてきたテレビの影響か、話し上手、ひょうきんな力士が増え、勢いあまって〝口害問題〟を引き起こす力士すら出てきた。

 名横綱北の海も貴乃花も、現役時代は、「もう少しリップサービスしろよ」といいたくなるくらい、愛想が悪かった。だが横綱はそれでいいのだ。

 朝青龍は、横綱が特別な存在であるということを知ってはいるが、「理解できていない」のではないか。親方の元朝潮が厳しく教えていないのだろう。
 朝潮も現役時代は頼もしい感じがしたが、親方になってからの〝大ちゃん〟は救いようのない〝甘ちゃん〟バカ親方になってしまった。

 朝青龍は、明るく、ひょうきんで、優勝インタビューでファンの歓声に手をあげて応える。あげくのはてに、「大阪、好きやねん」などと上手な日本語でリップサービスにこれ努める。心得違いも、はなはだしい。
 そういう横着な姿を見ていると、「おまえは不良芸能人か」と毒づきたくなってくる。

 力士がサッカー選手や野球選手とは違うということや、優勝力士のインタビューと、ゴールを決めたサッカー選手や野球の勝利投手のインタビューとはまったく違うということが、朝青龍にはまるでわかってない、というより理解できていない。
 ファンサービスしたいのなら、部屋に帰ってからタニマチ相手にやれ! 地方巡業先でやれ! 

 朝青龍は、頭は悪くなさそうだから、理解できないのではなく、理解しようとしないのだろう。ということは、確信犯的なところがあるといえる。
 確信犯でやっているとなれば、それは日本や日本人を愚弄し、日本文化を蹂躙(じゅうりん)していることと同義である。

 勝って土俵上でガッツポーズをするわ、勝負がついているのに対戦相手をさらに突き飛ばすわ、土俵上で相手力士にガンを飛ばすわ、朝青龍がやっていることは「相撲道」に反し、横綱にあるまじきする行為である。
 そんなことを何度もくりかえした横綱が過去にいたか? そういうことをやりたいなら、プロレスかK-1にいけ! 

 朝青龍は、たとえモンゴル人であっても、相撲が日本古来の神事と結びついた神聖なる格闘技であることぐらいは知っているだろう。

 「勝っても敗者に敬意を払い、土俵上では、ガッツポーズはおろか、笑顔すら見せてはいけない」
というのが古来からの相撲道である。
 剣道、柔道を例にあげるまでもなく、日本の武芸は「礼に始まり、礼に終わる」。相撲は、剣道や柔道以上に古来の礼儀、形式、威厳を尊(たったと)ぶ。

 「そういうことを守れないのなら、そういう礼儀作法を守れないのなら、やめてもらう」
と、武蔵川理事長はなぜいえない。

 朝青龍は、わかっていてやっているから、余計、たちが悪い。

 イスラムにはイスラムの、中国には中国の、モンゴルにはモンゴルの宗教、文化、伝統、しきたりがあり、日本には日本だけの宗教や文化、伝統がある。
 異国人がその国の人に混じって生きていこうと思ったら、そういうことを容認し、敬意を払って古いしきたりや伝統に従わなければならない。それがルールだ。

 朝青龍には、そういう認識が欠けている。

 そういうことを注意できる人間は、親方以外にも彼の周囲にいるだろう。
 テレビなどを通じて「日本人、かくあるべし」などと偉そうなご高説を垂れていた〝朝青龍の日本の母〟を自称する占い師の細木数子は、一体、〝わが子・朝青龍〟にどんな説教を垂れてきたのか。

 軟弱な母親や若い人を本気で叱り飛ばしながら、わが子は叱れないというのか!?

 相撲協会も情けない。何場所も続けて休場していた朝青龍が、久々に出場すると大入り満員になるという現象や、引退の崖っぷちで踏ん張り、大方の予想を裏切って優勝までしてしまうということが、相撲協会を黙らせているのだとしたら、もはや救いがたい。

 くりかえすが、横綱は、ただ勝てばいいというのではない。横綱にふさわしい勝ち方をしなければならない。何度も待ったをしたり、立会いに飛んだり、いきなりはたいたりするようなことは横綱には許されないのだ。

 張り手も同様だ。取り組み途中で張り手が出るのは流れからいってしようがないが、いつもいつも立った直後に張り手をかますというのは見苦しく、相撲の美学を汚す。

 歯に衣着せぬ解説や力士への叱責コメントで好感が持てる北の富士も、こと張り手となると、朝青龍にほとんど苦言を呈しないが、彼の現役横綱時代は、私の記憶違いでなければ、立合いで張り手をかましたりするような、みっともない相撲はとらなかったのではないか。

 朝青龍は、張り手が多すぎる。なぜ張り手がよくないかといえば、顔は鍛えようがないからである。
かつて巨体横綱だった大乃国(今ではスイーツ作りの名人としても知られるが)は張り手をくらって一瞬失神し、土俵に崩れ落ちたことがある。
 その頃の力士は、指を何本か束ねて包帯で幾重にも巻いて固め、張り手や差し手の強力な武器として使ったので、禁止されたが、いつのまにか、またやっている力士がいる。

 今回のファッションショー出場事件で、公然と声高に異議を唱えた日本相撲協会にかかわりのある識者は、内館牧子さんただ一人。

 武蔵川理事長は、何を考えている? 就任後の彼の評判は悪くないが、こと朝青龍に関しては「?」だ。
 彼の現役時代の四股名(しこな)は、三重の海。その名からわかるように、三重県(松坂市)の出身。松坂は伊勢神宮の近く。そういうところで育ったのだから、相撲が神事と結びついているという意識は人一倍強いはずだ。

 大相撲は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る伊勢神宮に「奉納相撲」を行なっている。
 そういう国技を異国人に愚弄されても、理事長は文句ひとついうわけでもない。
 私も三重県出身だ。同県出身者として、「腑抜けになってしまったのか、三重の海?!」といいたい。 

 「不易流行」(ふえきりゅうこう)という言葉がある。世の中には「時代が変わっても、変わらないもの」と「時代とともに、変化していくもの」のふたつがあるということだ。相撲は、いうまでもなく、「不易」の方だ。

 興行の仕方が変わり、土俵から4本柱がなくなったことや制限時間が昔より短くなっていることなどをさして、「相撲も時代とともに変わっている」という人がいるかもしれないが、髷(まげ)の形、まわし、力水、横綱の土俵入りの型といった相撲の基本的な形、そのまま長く継承されている。

 一見、「古くさい」ように思える形式的なことこそが伝統であり、日本の文化なのである。そういうことを大事にしない民族は滅びる。

 相撲の面白さは、体はさほど大きくなくても、技や力にひいでた力士が、体力的にはるかに上まわる巨漢力士をぶん投げたり、ひねり倒したり、打っちゃったり、あるいは相手にまわしをあたえることなく、目にもとまらぬ速攻で相手を一気に押し出す醍醐味にある。

 千代の富士がその代表格だったが、高見山に始まり、曙や武蔵丸といった肉食人種による〝相撲界の黒船〟が上陸して以降、力士の〝巨デブ化〟や〝筋トレによるサイボーグ化〟という現象が顕著になった。

 彼らに習ったわけではなかろうが、ちゃんこも、いつのまにか洋風化し、足の長い日本人力士が増えた。
 日本人の若者が相撲取りになりたがらない時代で人材不足の大相撲ではあるが、外国人にいいようにされても、そういう連中を土俵でねじ伏せられない日本人力士というのも、また情けない。

 オリンピックのレスリング選手や柔道選手として活躍した大和男児たちよ、K-1などの「四角いリング系格闘技」へのみ転進しないで、「丸い土俵の相撲界」へ入って外国人を倒してやりたいという元気のいい奴はいないのか?

(城島明彦)

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