WBC村田修一のケガは、〝横浜開港150周年の呪い〟?!
村田修一(横浜ベイスターズ)が太ももの肉離れで戦線離脱を余儀なくされたのは、3月20日のWBC日韓第4戦であった。⇒(東洋の)不吉な数字「4」
村田の誕生日は、1980年12月28日
12月28日⇒1+2+2+8=13 (西洋の)不吉な数字「13」(アメリカでケガをした)
ケガをしなければ、村田が出られたであろう近未来のスケジュールは、こうなっていた。
23日……WBC準決勝「日米対決」
24日……WBC決勝
25番……村田の背番号
この数字の順番が気になる。
「侍ジャパン」というネーミングは、とても新鮮で、今回のWBC人気を盛り上げた大きな要因の一つだが、実は過去に「侍ニッポン」という題名の小説・歌・映画があった。
「侍ニッポン」という歌が大ヒットしたのは、5・15事件の前年の昭和6年(1931年)。
1931年⇒1+9+3+1=末尾が「4」
「侍ニッポン」は最初は小説として書かれたが、ベストセラーとなったため、即映画化され、同名の主題歌も大ヒットしたのである。
小説「侍ニッポン」の作者は郡司次郎正(ぐんじ・じろまさ)で、幕末の「桜田門外の変」で暗殺される大老井伊直弼(いいなおすけ)のご落胤(らくいん)という設定の新納鶴千代が主人公。(新納は小説では「にいの」と読むが、西條八十(やそ)作詞の歌詞では「しんのう」となった)
井伊直弼が暗殺されたのは、安政7年3月3日。(7+3+3=13.)
安政という日本の年号を西洋の13という数字と結びつけるのはおかしいと思うかもしれないが、この数字には、和と洋が絡んでいる。
これは旧暦(きゅうれき)で、今の暦(こよみ)では3月24日なのである。つまり、この日はWBCの決勝当日。村田は、出場できないということを暗示してはいないか?
和と洋の不吉な数字が奇妙に絡む意味は、なぜ井伊直弼が暗殺されたかということと密接な関係がある。
井伊直弼は、孝明天皇の勅許(ちょっきょ)なしに独断で米英仏露蘭の5カ国と「不平等条約」を結び、開国・開港したが、その暴挙に尊皇攘夷派が異を唱えると、井伊直弼は、問答無用とばかりに、彼らのリーダーたち(坂本竜馬たちの先生である吉田松陰ら)を処刑したのである。この事件を「安政の大獄」という。
怒った尊皇攘夷派の急先鋒である水戸浪士たち17名プラス薩摩浪士1名が、登城途中の井伊直弼を桜田門外に襲撃し、殺害した。これが世にいう「桜田門外の変」である。
今年は横浜開港150周年で、村田修一は、その横浜のシンボルの一つである横浜ベイスターズ球団の選手会長に今シーズンから就任している。
「〝井伊直弼の呪い〟なんかない。単なる偶然の一致だ。こじつけだ」
と一笑にふすには、あまりにも偶然の一致が多すぎるのではないか?
蛇足……今年の夏は、横浜を舞台にした面白い怪奇小説『横濱幻想奇譚(きたん)』(仮題)を出す予定なので、本が出たら買ってね。(既刊の『怪奇がたり』『恐怖がたり42夜』(いずれも扶桑社文庫)も、よろしく)
(城島明彦)
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