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2009/02/28

「仰げば尊し」は、生徒と教師が交互に歌うコーラス!

 ●「仰げば尊し」の美しい旋律に文句をつける人はまずいないだろうが、歌詞となると非難の嵐で、いつのまにか〝卒業式ソングから追放〟されてしまった。
 卒業式で歌われなくなった主な理由として、一般にいわれているのは次の二つだ。

 (1)詞の内容が今の時代、今の学校事情(教師と生徒の関係)にそぐわない。
 (2)言葉づかいに難しい表現があり、理解しづらい。

 特に問題視されているのが「仰げば尊し」の二番の歌詞の内容で、卒業式で歌っている学校でも二番をカットしているらしい。二番の歌詞のどこが問題視されているかというと、「身を立て名をあげ」だという。「立身出世せよ」と煽(あお)っているところがというが、それはおかしい。なぜおかしいかを説明する前に――。

 ●「仰げば尊し」は、「誰の視点で書かれたのか」がメチャクチャである。
 どこがメチャクチャなのか。「小説」の書き方で示そう。

 ぼくは、どきどきしながら美千子の手を握った。美千子の頬に朱がさすのを、どきどきしながらぼくは見た。わたしは、家族以外の男性に手を握られたのは初めてで、心臓がどきどきした。ぼくは、そんな美千子を美しいと思った。

 この小説の主人公は「ぼく」で、「ぼくは」という書き方で描写されていたと思ったら、突然、別の女性の登場人物の「わたしは」という書き方に変わり、「あれっ」と思っていると、また「ぼくは」に戻っている。これでは読者はわけがわからなくなってしまう。
 「仰げば尊し」は、まさにこれなのである。

 ●「仰げば尊し」の歌詞は、「起承転結で書かれた四行詩」だ。
  誰の視点で書かれているかを、一番の歌詞でチェックしてみよう。
  ▽一番の歌詞の主人公=視点は誰か? 冒頭のかっこ内が視点の主である。

  (卒業生)     仰げば尊し わが師の恩
  (教師)       教えの庭にも はや幾年
  (教師・卒業生)  思えば いと疾(と)し
  (教師・卒業生)  今こそ別れめ いざさらば
 
 「わが師」といっているのは卒業生なので、次は「学びの庭にも」となるべきだが、歌詞は教師の視点である「教えの庭」としている。
 よって、このフレーズは教師が歌うのが正しい。

 「わが師の恩」の「恩」という言葉が古めかしくてよくないなどと批判する者もいるが、そういう理屈でいけば「恩師」という表現もやめなければならない。「恩師」は、ごく普通に使われる言葉である。
 「教えを請う」という表現があるように、人から何かを学ぶ場合には、謙虚な姿勢が必要であるから、「教えてもらったことをありがたく思う」という意味で「教師に恩を感じる」のは「人間としての自然な心」である。

 「思えば いと疾し」(振り返ってみると、あっという間だったなあ)は、卒業していく者の視点とするほうが自然だが、教師の感慨でもあるので、教師と卒業生が一緒に歌うとよいだろう。

 ※(参考までに)「いと疾し」の疾は「疾風怒濤(しっぷうどとう)」とか「疾風」(はやて)という使い方をし、古語では「早く」というときに「疾(と)く」といい、南北朝時代の武将楠木正成(くすのきまさしげ)と息子の正行(まさつら)の別れをテーマにした小学唱歌「青葉茂れる桜井の」のなかに「疾(と)く疾(と)く帰れ 故郷(ふるさと)へ」という一節がある。

 ●一番から三番までを通して、最後を締めくくる言葉「今こそ別れめ いざさらば」(なごりはつきないが、とうとう別れのときがきた。さようなら、元気で!)は、教師の視点でもあり、卒業生の視点でもある。
 したがって、卒業生と教師が交互に歌ってきて、最後は一緒に歌うのが自然だ。

 ●(問題の二番は飛ばして)三番は、どうか。
「蛍の灯火(ともしび) 積む白雪」は、教師が授業で故事を引用して「どんな場所でも勉強できる」と説き、「卒業してからも、そのことを忘れるなよ」いったと解釈すれば、視点は教師になるが、夏は「蛍をいっぱいとってきて細かい網目の竹かごに入れ、そのあかりで読書し、冬は窓辺の雪明りで教科書に目を通したこともあった」という意味に解釈すれば卒業生の視点になる。
 
 つまり、どちらでもいいのだが、最初を卒業生が歌ったので、次は教師ということで、このフレーズは教師にすればよい。そうすれば、一番と同じ順番になる。

 「忘るる間ぞなき 往く年月」(この学校で体験した数々の出来事やエピソードを、私は何年経っても決して忘れはしないだろう)は卒業生の心境である。
そう考えると、三番は次のようになる。

  (卒業生)     朝夕慣れにし 学びの窓
  (教師)       蛍の灯火 積む白雪
  (卒業生)     忘るる間ぞなき 往く年月
  (教師・卒業生) 今こそ別れめ いざさらば


 ●問題は二番だ。
 「仰げば尊し」は、一番から三番まで通して読んでみると、一人の作詞者が書いたものではなく、別の人間(複数と思われる)が加筆したことがわかる。
 特に二番は、いじくりまわされた形跡が濃厚で、そのせいか、内容が支離滅裂である。

  互いに睦(むつ)みし 日頃の恩
  別るる後(のち)にも やよ忘るな
  身を立て名をあげ やよ励めよ
  今こそ別れめ いざさらば

 ●二番の歌詞を推理する。
 二番は、「別るる後(のち)にも やよ忘るな」「身を立て名をあげ やよ励めよ」というフレーズを重視すれば、「教師が生徒に贈る歌」(教師が卒業生にする最後の説諭)として書かれたと推理できる。
 ところが、複数の人間がいじくり倒した結果、誰の視点かがピンボケになり、出だしからして「互いに睦みし 日頃の恩」などというわけのわからない表現になってしまった。

 ●教師と生徒が仲むつまじい?
 「睦みし」は、ちょっと見には難しい言葉のように映るが、「仲むつまじくやるんだよ」というときの「睦まじく」と同じ意味だ。「睦まじく」は、「夫婦、仲むつまじく」などという使い方をする。
 「睦ごとを交わす」という表現もある。今日ではめったに使わない言い方だが、男女がいちゃつく様子をいう。
 「睦まじい」には「親しい」という意味もあるが、その意味だとしても「日頃の恩」とはつながらず、「互いに睦みし 日頃の恩」はおかしな表現だと気づく。

 「互いに睦(むつ)みし」を卒業生の視点とすると、先生に対して「互いに」という言い方は無礼である。その後の「日頃の恩」という言葉と合わない。生徒同士が「互いに睦みし」ならわかるが、そうすると、生徒間の「恩」とは何かと云う疑問が出てきて、収拾がつかなくなる。
 かといって、先生の言葉としても中途半端である。先生が生徒に「日頃の恩」などと思うわけがない。

 ●中途半端といえば、この詞は「七・五調」ではない。
 最後の「いざさらば」だけは「五字」だが、それ以外は、「七・五調くずれ」の「八.・六調」となっている。
 「八・六」の八は、「わかるる(四字)のちにも(四字)」といったように、「四+四」で構成されている。つまり、「四・四・六調」である。
 こういう制約があると、使える言葉が限られてくる。
 歌謡曲や演歌は、今でも七・五調が基本なので、それを守ろうとするあまり、おかしな表現・無理な言い方が多いことは誰でも知っている。
 つまり、「睦みし」などというおかしな表現は、「四・四・六調」にこだわらざるを得なかったために、選択された不適切な言葉だと考えるべきなのである。
 二番の視点は、次のようになる。

  (卒業生?)   互いに睦みし 日頃の恩
  (教師)      別るる後にも やよ忘るな
  (教師)      身を立て名をあげ やよ励めよ
  (教師・卒業生) 今こそ別れめ いざさらば

 ●「身を立て名をあげ」は、おかしくない。
 なんとも中途半端だという理由で、二番をカットするのはわかるが、「身を立て名をあげ」という詞がよくないというのは間違っている。
 会社員なら「出世を願う」のが当然だし、商売をしている人は「店の知名度が上がることを願う」し、歌手や俳優などは「名をあげようと努力する」のが当たり前。
 そうすることの、どこが悪いのか。そういうことを無理に否定しようとするから、おかしなことが起きるのである。

 ●言葉の解釈
  ▽一番
 ○仰げば尊し わが師の恩⇒ふと空を仰ぎ見て心をよぎるのは、未熟だった私に勉強だけでなく生き方をも教えてくださった先生に対する感謝の念だ。

 ○教えの庭にも はや幾年⇒桜の咲く頃、期待と不安を感じながら校門を通り、校庭を抜け、校舎に入った、あの日から、あっという間に何年も過ぎ去ってしまった。

 ○思えばいと疾し この年月⇒「歳月人を待たず」とか「光陰矢のごとし」とかいうけれど、本当に月日の経つのは早いものだ。

 ○今こそ別れめ いざさらば⇒「会うは別れの初め」と昔の人はいったものだが、その別れのときがとうとうやってきてしまった。なごり惜しいが、別れの挨拶をかわそうじゃないか。

 ▽二番
 ○互いに睦みし 日頃の恩⇒背伸びして先生に議論を吹っかけた日もあったし、肉親には相談できないことを先生に相談に乗ってもらったこともあった。先生に対する思いは人それぞれだが、何らかの形で恩を受けてきた。

 ○別るる後にも やよ忘るな⇒卒業して学校を去っていくけれども、受けた恩は絶対に忘れてはいけない。

 ○身を立て名をあげ やよ励めよ⇒独立自尊の気概を持ち、名声を高めるように、努力精進することを心がけろ。

 ○今こそ別れめ いざさらば⇒慣れ親しんだ校舎や校庭、図書館、音楽室……なごりはつきないが、友よ、また会えるその日まで、さようなら。

 ▽三番
 ○朝夕慣れにし 学びの窓⇒春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)、朝な夕なに教室の窓から眺めた校庭、運動場、そしてその向こうに広がる野や山や家々のある光景は、私の脳裏にくっきりと焼きついている。

 ○蛍の灯火 積む白雪⇒まだ電灯のなかった遥かな昔、貧しい若者が夏は蛍のあかりで勉強し、冬は雪あかりで本を読んだという。先生が語ってくださったそんな故事を、学舎(まなびや)の窓辺に寄ってふと思い浮かべた日もあった。

 ○忘るる間ぞなき 往く年月⇒この学校で体験した数々の出来事やエピソード。それらの想い出を私は何年経っても決して忘れはしないだろう

 ○今こそ別れめ いざさらば⇒いつまでもなごりを惜しんでいたいが、別れなくてはならない。新しい旅立ちが私たちを待っている。笑顔で、お別れしようじゃないか。さようなら、いつまでも元気で!

(城島明彦)

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