« 子供たちに見せたい映画「柿の木のある家」(1955年東宝作品)を渋谷図書館で観た | トップページ | 人口の五・五%を占める団塊世代の功罪 »

2009/01/29

女のたしなみ

「女のたしなみ」などというと、男女差別だと考える者もいるかもしれないが、太古より男と女の肉体的な性差が存在する限り、「男は男らしく、女は女らしくあること」が求められるのは当然のことである。

 夜十一時近い頃の電車内でのことだった。
 途中の駅で、30歳にはまだ届いていないと思われるOLらしき女が乗り込んできて、さっと私の斜め前の空席に座った。

 その女、ブーツに乱れ格子模様の入った黒い靴下をはいていた。
 昔なら、こういう靴下をはくのは、バー勤めのおねえちゃんなど水商売関係か、芸能人や娼婦のたぐいだったが、今では素人娘もはくご時勢。

 それはまあいいとして、その女、無神経のようで、タイト系のスカートの幅、めいっぱいまでガバッと開脚し、太腿の奥のほうまで覗ける座り方をしたが、いっこう気にする様子がない。
 これには、さすがの私も驚いた。電車内が「公衆の面前」であることを忘れている。

 その女、顔には化粧っけがなく、口紅すらさしていない。顔の色は、浅黒いとまではいかないが、やや黒く、どちらかといえば、比較的整った部類に属する顔立ちである。

 開脚女は、大き目のバッグからさっと書類を取り出すと、そのまま目を通し始めた。こういうのをキャリアウーマンというのであろうか。

 私がいいたいのは、この女には「公衆の面前」であるという意識がなく、であるから、誰かに、どこかから見つめられ、観察されているかもしれないとはつゆ思わないのである。

 混み合った車内の狭いスペースで、新聞を大きく広げる女。膝に乗せた大きなバッグが隣の人の膝や手に当たっていても気づかぬ女。パンを平然と食べ、ボトルからお茶を飲む女。化粧しまくる女。口に手を当てずに大あくびをしたり、くしゃみをする女。ヘッドホンから音もれしていることに気づかない女……。
 
 細やかな気づかい、気配りをしない女が、会社や家庭の中では気づかいや気配りをしているとは思えない。
 まずは、見も知らぬ多勢の他人と同席する電車の中でマナーを心がけるところから、「女のたしなみ」は始まる。

「美しい女」というのは、顔の美しさだけをさすのではない。ちょっとしたたしなみを心得、それが顔や姿ににじみ出た女をさすのである。
 そういう女が増えていくなら、日本の未来も暗くはないが、気配りや気づいをしない女が減らないようなら日本の前途は暗い。

(城島明彦)

« 子供たちに見せたい映画「柿の木のある家」(1955年東宝作品)を渋谷図書館で観た | トップページ | 人口の五・五%を占める団塊世代の功罪 »