« 恩義が金に負けた! FAで中日を出る中村紀洋の悲しき性(さが) | トップページ | 女のたしなみ »

2008/12/16

子供たちに見せたい映画「柿の木のある家」(1955年東宝作品)を渋谷図書館で観た

 (文章を書くのが仕事なのに、ブログとなると、つい筆が遠のくのはなぜだろうか? というわけで、久しぶりの更新となってしまった)

 「柿の木のある家」という古い日本映画を観た人はどれくらいいるのだろう。
 
 この映画は、『二十四の瞳』を書いた壺井栄の同名小説が原作で、1955年の東宝作品である。
 
 文部省推薦のこの映画を、私は、小学4年の頃、学校の講堂で観た。
 
 以来、もう一度見たいと切望しながら、なかなか見る機会に恵まれなかった。
 そんな映画を先日やっと渋谷図書館で観ることができた。無料だが、そこへ行くのに、バス、電車、タクシーを通ったために3千数百円もかかってしまい、新作のロードショーを観るような出費だったが、それだけかけた価値はあったと思った。

 観客は、ジジババばかり。おそらく、暇をもてあました近在の住民だろう。
 私は、50年間ひそかに思い続けた女性に逢えるようなときめきを覚えながら、映画が始まるのを待っていた。
 場内の明かりが消え、映画が上映された直後に予想だにしなかった出来事が起きた。図書館員が不意に近づいてきて、別の客のために私の席を空けてくれないかと妙なことをいってきたのだ。
 そういうことは、明かりがついている間にやるべきであり、無論、断ったが、言葉をやり取りする間、スクリーンから目を離さざるを得ず、半世紀もの間、観たい、観たいと願い続けてきた映画のタイトルバックの一部を見落としてしまった。
 そういう不快な出来事もあったが、なかなかいい映画で、わざわざ足を運んだかいはあったと思った。ここでいういい映画とは、一連の黒沢映画を評するときの「いい映画」ではなく、「感動した映画」という意味だ。

 「柿の木のある家」は、小豆島と東京が舞台である。
 小豆島の小高い丘に、庭に大きな柿の木のある貧乏な漁師の家があった。
 その木は、信じがたいほど幹が太くて巨大。子供が何人もよじ登っても平気な、でっかい柿の木だった。
 私は田舎育ちで、小学生の低学年の頃、庭にあった柿の木によじ登り、木の股のところに腰かけたこともあるが、映画に出てきたような巨大な柿の木は見たことがない。柿の木の幹がそんなに太く大きく育つものだとは知らなかった。

 漁師の家は、「貧乏人の子だくさん」を絵にかいたような家で、子供がいっぱいいた。その数7人。
 そのちょうど真ん中の小学生の娘が、子供のいない東京の親戚の家へ「養女」としてもらわれていくことで生じるいろいろな出来事を描いた映画で、子供たちが柿の木に登って歌を歌ったりして遊んでいるところへ、郵便配達が一通の手紙を届けるところから話が始まる。
 
 何しろ半世紀も前に観た映画なので、記憶に残っていたのは、女の子が東京の家にもらわれていったということと、柿の木のある家へ行くには坂道があった、ということぐらいで、それ以外のことはまったく覚えていなかった。
 したがって、彼女の養父役が上原謙(加山雄三の父)で、養母となるのが高峰三枝子ということも忘れていた。この二人、JRが国鉄といっていた頃の「フルムーン」キャンペーンのCMコンビである。

 養女役の中村のり子という子が、かわいらしく、いい芝居をしていた。この子は、その後、どうなったのだろうか。

 主人公の少女の姉で、東京の呉服屋に女中として勤める役を桑野みゆきが演じていた。彼女は、可憐で、ういういしく、このとき中学生。大島渚の第2作「青春残酷物語」で胸元まであらわした体当たり演技を見せるのは、この映画から5年後だ。

 少女が養女となった東京の家で起きるさまざまな出来事や事件(転校先の小学校での出来事、転校していく友だちからもらった犬をこっそり飼う話、その犬の出産をめぐって養母との間に生まれる親子の情、養母の妊娠など)を経て、養父母との間に誤解や溝が生じ、少女は小豆島へ返されることになるが、実父母は彼女に養子縁組を解消されたことを告げられないでいる。と、思いなおした夫婦が少女を迎えに小豆島へやってきて、映画はハッピィ・エンドとなる。
 
 まだ日本が貧しかった頃の映画であり、今見るとピンと来ないところもあるが、今日のような殺伐とした時代には、学校で子供たちにこういう映画を見せることも必要だろう。DVDになっていないのは、おかしいのではないか。そう思った。

(城島明彦)

« 恩義が金に負けた! FAで中日を出る中村紀洋の悲しき性(さが) | トップページ | 女のたしなみ »