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2008/10/17

「WBC監督は〝北京五輪の超A級戦犯〟星野で決まり」だと!? 「体制検討会議」は野球ファンの気持ちを逆なでするのか!

 「国民の意思・意向」を表す「民意」という言葉がある。そのことでいえば、国民あっての政治であるから、「民意を汲まず、民意を反映させない政治」がもし行われたら、それは「独裁」「横暴」「暴挙」のたぐいである。

 同様に、「野球ファンの意思・意向」を「ファン意」と表現するなら、野球ファンあっての野球なのだから、「星野WBC監督はありえない」とするファン意を無視して星野をWBC監督に据えようとする「WBC体制検討会議」は、「独裁」「横暴」「暴挙」といかいいようがない。

 WBC監督をやりたくて仕方がない星野は、世間の風向きを考え、自分は誇示したが、「どうしてもやってほしい」と「三顧の礼」をもって迎えられたという形式をとりたい。

 そこで、WBC監督受諾の条件として、「球界の総意」を求め、それに加藤オーナーが読売のナベツネの意を汲んで、そのようにお膳だてした。「現役監督では難しい」という話に持って行き、消去法で星野が残るように仕組んだ。そういう筋書きである。

 WBC体制検討会議のメンバーの顔ぶれに、「?」と思った野球ファンは多いはず。
 ヤクルト監督の高田がいるのに、横浜の大矢は加わっていない。監督でも元監督でもない元広島の野村謙二郎がなぜいるのか。巨人の原や中日の落合はなぜいない?

 野村は「監督は王がいい」と会議でいったそうだが、王本人が体調不良を理由に「固辞」したため、(それなら俺が)と思っていたが、「現役監督には無理」という全体の雰囲気になってしまい、あきらめざるを得なくなった。

 星野仙一は、北京五輪を前にして「金メダル以外はいらない」などと大言壮語し、人選で独断専行しておきながら、だらしのない負け方をして、銅メダルすら取れず、野球ファンのみならず、国民全般から総スカンを食った。

 にもかかわらず星野は、「失敗してもチャレンジするのが俺の生き方」などと開き直って、WBC監督への色気を見せたが、失敗しても再チャレンジできるのは、時と場合による。北京五輪でもし優勝して金メダルを取っていたら、星野の手柄となり、星野は国民的英雄扱いを受けたであろう。

 だが負けたのだから、その逆の扱いを受けるのは当然。それが勝負の世界。「もう一回」はないのだ。
 ペナントレースでも、たった一年、成績が悪かったというだけで解任された監督が何人いたか。「来年もやらせてください」「リベンジさせてください」と懇願する以前に、「責任を問われてクビ」というのが、勝負の世界の常識。

 どれだけ多くの選手が、北京五輪に出場したことで調子を狂わせたことか! それが星野のせいでなくて、誰のせいだというのか。

 阪神の新井は最大の犠牲者。北京五輪で疲労骨折し、ペナントレースを欠場。その間に、阪神はズルズルと負け、ついには優勝を逸したのだ。したがって、岡田は星野のせいで監督を辞めざるを得なくなったということになる。

 星野は、中日時代、球団首脳からかわいがられ、甘やかされたことで、「もう一回、やらせてください」を何回も認めてもらった。そのおかげで、中日で二回、優勝監督になれたのだ。

 ところが、金づかいのあらさなどに問題があって、オーナーが変わると解任された。と、星野は、大恩ある中日に「俺を切ったな、見てろよ。仕返ししてやる」と怨念の炎をメラメラと燃やして、ライバル球団阪神の監督になった。そのとき星野は、こういった。「球界のために引き受けた」と。よくいうよ、である。

 星野は、なぜ、「私は、北京五輪の無残な敗北の責任を痛感し、野球ファンの期待を裏切ったことを重く受け止め、WBC監督は固辞します」となぜテレビカメラに向かっていえないのか。
 「北京五輪での負けは仕方なかった。自分の責任ではない」とでも思っているから、そういえないのか。

 男なら、けじめをつけろ。

(城島明彦)

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