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2008/08/22

星野仙一よ、韓国に大敗した責任を取って、球界から引退せよ

 北京五輪では、野球もソフトボールも、「悲願の金メダル」をめざした。

 ソフトのほうは悲願を達成したが、野球のほうは星野采配のミスの連続で準決勝で韓国に大敗し、「悲願の金メダル」どころか、銀メダルも取れなくなった。

 監督になるはずだった長嶋茂雄が病気で倒れ、その代役で星野仙一が監督に就任したという経緯はあるが、「星野ジャパン」という以上、星野の責任は重い。

 ぶざまな姿を世界にさらした星野は、即刻、球界から引退すべきだ。

 「監督が野球をやるのではない。選手がやるのだから、選手のために星野という冠は落としてくれ」
 といえば、「星野ジャパン」とはならなかっただろう。その点でも責任がある。

 長嶋茂雄が監督のときには「長嶋さんの喜ぶ顔を見たいから、絶対に勝つ」という声が選手の間に満ちあふれたが、「星野監督の喜ぶ顔がみたいから」云々と思った選手は、果たして何人いるのか? 一人もいないのではないか。

 星野野球の本質は、旧態依然たる「根性野球」の典型。

 星野は、アニマル浜口の「気合だ! 気合だ!」に近い体質の持ち主だが、NHKが野球解説者に起用するくらい、普段からいうことは立派で筋が通っているから、かえってタチが悪い。

 アニマル浜口は、まだ単純な分、かわいげがある。
 
 星野は〝イメージ先行の男〟。

 イメージはいいが、野球選手・監督としての実態は、二流に近い〝一流半の男〟だ。

 明治大学野球部時代、監督の島岡御大にかわいがられ、指導力・統率力を買われて主将に指名されたが、都立西高から東大文Ⅱ(経済学部)に現役合格した橘谷健(きったにけん)と二度投げ合って、二度とも負けている。

 星野は巨人に入団したかったが、巨人からはお呼びがかからず、中日に入団。以後、「打倒! 巨人」の執念を燃やし続け、巨人戦には強かった。星野の本質は、これだ。

 星野は、「怨念と根性と気迫」だけで巨人に向かっていったのだ。そういう戦い方もあるにはあるが、恐ろしい。

 星野は中日時代、「いい投手」ではあったが、記録に残る大記録を打ち立てたわけではなかった。

 中日の監督に二度なって、二度優勝してはいるが、監督期間が長かったわりには優勝回数が少ない。

 優勝回数で監督を評価すれば、落合の方が星野より力量・手腕ともにずっと上。しかも落合は、選手時代、三冠王を三度も取っている超ビッグ選手。

 しかし落合は愛想が悪く、球団泣かせだ。親会社の中日新聞社系の中日スポーツ・東京中日スポーツの記者にもリップサービスをしない。

 星野は、中日の監督を解雇された翌年、ライバル球団の阪神の監督になった。
 
 阪神は、野村監督による再建途上だったが、いかんせん、〝悪妻サッチー〟がマスコミに出まくり、ひんしゅくを買い、その責任を取る形で野村が辞めた。その後釜に星野は座ったのだった。

 辞めてすぐにライバル球団へ移籍という星野の考え方は、自分をそでにした巨人を倒すことに執念を燃やした過去の延長線上にある。

 自分の意思に反し、監督を解任した「中日への復讐・怨念」で、星野は阪神の監督を引き受け、中日の優勝を阻止し、阪神を優勝に導いた。そう映る〝怨念の男〟星野仙一。

 星野が中日に入団したときから私はずっと彼を応援してきたが、彼が中日監督を辞めて即阪神の監督になった時点で、星野が嫌いになった。やり方がえげつなさ過ぎた。

 星野は生え抜きのスター選手・監督であり、中日球団の顔という「特別の存在」だった。巨人でいれば、〝ミスター・ジャイアンツ〟長嶋茂雄的存在。ミスター・ドラゴンズが、星野だったのだ。

 そういう人間は、ライバル球団の監督を引き受けるべきではない。辞めて一年後とか二年後であれば、「彼にも生活があるからなあ」などとも考えるが、辞めたその足で阪神監督とは、「人」として許しがたい。

 長嶋茂雄が、「球界のため」などという口実で、ヤクルトや阪神の監督を引き受けるか?

 星野には「義理人情に厚い」という「イメージ」があるが、本当の姿は、そうではないことが阪神の監督を引き受けた時点で明白になった。

 星野は、「球界のため、阪神の監督を引き受けた」といった。彼をスター選手として遇し、二度も監督にした中日球団とファンの気持ちを裏切っておいて、「何をカッコつけたことをぬかすか」と思ったファンは多かった。

 真偽のほどはわからないが、当時、「星野は商売人。阪神グッズを扱う権利を星野の関係する会社がもらうということを条件に阪神監督を引き受けた」という噂が流れた。

 それが真実なら、星野は「金のために、魂を売った」ということになる。

 北京五輪で野球は最後。しかも「悲願の金メダル」という位置づけがあったのに、ぶざまな戦績をさらした。

 星野は、それまで低迷した巨人の上原を北京五輪で立ち直らせ、巨人に恩を売った。

 「球界活性化のために、次は巨人監督にでもなるか?」
 と口さがない人は皮肉る。

 最低の星野采配だったが、中日ファンのなかには、「星野は、北京五輪で岩瀬・川上つぶしをやった」と見る者もいる。
 
 いずれにしろ、星野の時代は終わった。

(城島明彦)

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