「北京五輪で、国民を一番感動させたのは女子ソフトボールで、一番がっかりさせたのは星野ジャパンだった」
とTBSテレビが昼のワイドショーでアンケート結果を報じていた。
渦中の星野仙一はといえば、歴史に残る大敗戦のつど、テレビを通じて「申し訳ない」と野球ファンや日本国民に詫びの言葉を発しているが、圧倒的多数の視聴者の目には、「星野は本心から自分が悪いとは思っていない。言葉の上だけ」と映った。
そのことが、野球ファンだけでなく、国民の怒りを増幅している。
星野の信じがたい姿勢は、昨日(8月25日)夜の「NEWS ZERO」(日テレ)への出演時の弁明の言葉や表情で、より鮮明・明確になった。
星野は、もはや救いがたい。世間の感覚と完全に「ズレ」ているが、当人がまったくそのことに気づいていないのだ。
星野は、これまでにも日テレの同番組にコメンテーターとして幾度か出演している。そして、野球以外の出来事や世相でもコメントを述べている。
そのとき星野は、「北京五輪では勝ってくる」「金メダル以外はいらない」と強気の発言をしていた。
この発言自体に問題はない。もし仮に心中では(勝てないかもしれない)と思っていたとしても、人前で「負けてきます」とか「負けるかもしれない」などというべきではないからだ。
問題は、惨敗後の指揮官としての星野の態度、国民への謝罪の仕方だ。
北京五輪後の星野の同番組への出演はかなり前から決まっていたようだが、「星野ジャパン」があまりにもひどい負け方をし、国民の怒りが指揮官である星野に殺到するという予期しえなかった事態が生じたことから、メインキャスターの村尾信尚は「星野が出演を辞退しても不思議ではない」と思っていたようで、インタビューの冒頭、そんな内容の質問を星野に投げかけた。
だが星野は、どこ吹く風。「申し訳ない」と視聴者に向かって何度か詫びの言葉を口にはしたが、心は少しもこもっていない。
星野は口に出してこそいわなかったが、「俺が、何で、こんなに責められなきゃならないんだ」と思っているとその顔に書いてあった。そんな表情をしていた。
星野は、最大の敗因として、ストライクゾーンの問題を挙げ、「あれで日本チームはおかしくなった」と弁解した。
「自分が悪い」「責任は自分にある」といいながら、審判のせいにしたのである。
「責任転嫁」――それが、いつもの「星野流逃げのワンパターン」だ。
星野から返ってきた答を聞いて、村尾は、唖然としたような表情で星野を見つめた。「この男、どこか変だ」と思ったからだろう。
ストライクゾーンの違いで日本は負けたという弁明には、星野シンパと思われる村尾もさすがにあきれ、「他国の球団も条件は同じではないか」と返した。
星野はさかんにいいつくろったが、弁解すればするほど、星野仙一の化けの皮ははがれ、どんどん男を下げた。
番組では、世間で噴出している星野采配のミスなどについてもストレートに質問していた。そのひとつが、「調子の悪い岩瀬をなぜ決勝でも投げさせたか」だった。
岩瀬連投は、野球ファンなら誰でも不思議に思う星野采配だった。
星野いわく、「一度失敗しても、それを挽回するチャンスを選手に与えるのが自分のやり方だ。ペナントレースでは、ずっとそのやり方を貫いてきた」
そんなことをいわれたら、誰でも星野に食ってかかるだろう。「ちょっと待てよ、星野。超短期決戦のオリンピックに、百何十試合もあるペナントレースの理論を持ち込むのか」と。
一度脳波を調べてもらえ。そういいたくなるくらい、星野の考え方は、おかしい。
村尾が質問したのか、スポーツキャスターのラルフ鈴木が質問したのかは忘れたが、彼らもそう思ったのだろう、「ペナントレースとは違うのでは」と反論していた。
星野は、予選前の合同練習についても弁解していた。
星野仙一よ、高倉健になれ! 見苦しく、聞き苦しい弁解はするな。「敗軍の将、兵を語らず」だ。
その点、星野に指名されて主将を務めたヤクルトの宮本は立派だ。いいたいことはいっぱいあるだろうが、「申し訳ない」と言葉少なに詫び、弁解などしなかったぞ。
WBCについては、星野は明確な返答をしなかったが、「今までも自分はチャレンジ精神でやってきた。これからもやる」などと監督をすることに色気を見せた。
インタビューの間、星野は、勝っていれば、こんな扱いは受けなかったろう、というようなニュアンスの言葉を何度も吐いた。往生際の悪い男である。
星野仙一よ、北京で韓国に負け、アメリカに負けた後の記者会見で、「日本国民の期待を裏切ってしまい、申し訳ない。その責任をとって、この際、自分は球界から退きます」といった言葉をどうして吐けなかったのだ。
星野がもしそう語っていたら、「待て。何も今すぐ、引退することはない。しばらく球界を離れ、自分を見つめなおすということでいい」と、世間がいってくれただろう。
不倫で騒がれた巨人の二岡ですら、(形の上だけであったかもしれないが)丸坊主にして世間に詫びたぞ。
しかし星野仙一よ、あんたがもしも疲労困憊した顔で日テレの報道番組「ZERO」に出、苦渋に満ちた表情を浮かべながらインタビューに応じ、弁明を一切しなかったら、印象も変わったろうが、あんたは、敗軍の将にはふさわしくない晴れやかな顔をし、しゃれた新しいメガネをかけて、日テレの番組にさっそうと出てきた。あんたは、タレントであって、指揮官ではない。
WBCの監督は星野以外の人間がやるのを野球ファンは望んでいる。必勝を願うなら、野村という線だってあるぞ。星野は、そういう空気も察知できないらしい。
星野はいった。「私は叩かれても叩かれても、チャレンジしてきた。これからもやる」「夢を持たなきゃいけない」
「プロ野球で悲願の金メダル」という国民の夢を裏切ったのは誰なのか。そこのところが、まるでわかっていない。
星野が阪神を優勝させた功績を高く評価している熱烈な阪神ファンのタレント飯干景子ですら、「星野さんには謙虚さがない」といっていたぞ。(彼女の亡父は『仁義なき戦い』を書いた作家飯干晃一)
卓球選手の福原愛は、こういった。「メダリストのように、人として、アスリートとして、成長したい」
泣かせるじゃないか。彼女を責める者は誰もいやしない。それどころか、誰も彼もが、「愛ちゃん、がんばれ」と声援を送るだろう。
〝エセ文化人〟星野仙一よ、「人望の厚い王貞治も元気になったことだし、WBCは星野以外の監督で」と、野球ファンは思っているぞ。
ついでに記しておくと、団体競技のチームに「星野ジャパン」「反町ジャパン」「柳本ジャパン」などと個人の冠をつけるべきではない。「戦うのは選手であって、監督ではない」という理由以外に、「原巨人」「落合ドラゴンズ」という場合は、私企業同士の争いだから許されるが、オリンピックは国家的プロジェクトによる戦いだから許されないのである。そのことをはっきりさせておきたい。
星野は、ダグラス・マッカーサーが太平洋戦争中に、日本軍に攻められてコレヒドール島からオーストラリアへ脱出する際にいった〝I shall return!〟(私は必ず戻ってくる!)の心境だろうが、野球ファンや日本国民は、同じマッカーサーが朝鮮戦争で核兵器を使うことを主張してトルーマン大統領に解任されたときにいった次の言葉がふさわしいと思っているぞ。
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」
北京五輪を通じて日本国民が知ったのは、これまで彼の虚像を実像と錯覚し、高く評価していたということである。
「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」風にいうと、「星野の 正体見たり 弁解男」というところか。
いや、その程度ではない。私の目には、星野の姿は枯れ尾花などというかわいいものではなく、「ヒットラー」と二重写しに見えてきた。そういうと、いいすぎか?
(城島明彦)