「幸福」とは?
何十年も前に買った書物のなかに、三浦靱郎(ゆきお)訳編『生きることについて〈ヘッセの言葉〉』(教養文庫)という一冊がありました。
その本のなかに「幸福」と題する次のような詩が載っていました。
君が幸福を追い求めているかぎり
君はいつまでも幸福にはなれない
たとえ最愛のものを手に入れたとしても
君が失ったものを嘆き
目標をめざして動いているかぎり
君にはまだ安らぎとは何であるかわからない
君があらゆる望みを捨て
もはや目標も欲望もなく
幸福のことを口にしなくなったとき
そのとき世間の荒波は君の心に届かず
君の心ははじめて憩いを知るのだ
まだ人生経験が浅い若い人たちへのメッセージが含まれた詩ですが、人生経験豊かな人たちにとっても含蓄のある内容です。
ヘルマン・ヘッセは、一八七七年に南ドイツにあるカルヴという田舎町で生まれ、一九六二年に八十五歳で没した詩人であり作家でもあった巨人です。
彼が二十八歳のとき(一九〇五年)に「新チューリッヒ新聞」に連載した『車輪の下』は神学校時代の体験をもとにした青春小説で、世界的な評価を得、今日まで読み継がれている大傑作です。
ところで皆さんは、こんな疑問にとらわれたことがありませんか。
「本を読むとは、どういうことなのか?」
この疑問にヘルマン・へッセが「書物」という詩で答を出してくれています。こんな詩です。
この世のどんな書物も
君に幸福をもたらしてくれはしない
けれども書物はひそかに君をさとして
君自身の中へ立ち返らせる
そこには太陽も星も月も
君の必要なものはみんなある
君が求めている光は
君自身の中に宿っているのだから
そうすると君が書物の中に
長い間捜し求めていた知恵が
あらゆる頁から光ってみえる――
なぜなら今その知恵は君のものとなっているから
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(城島明彦)
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