少年時代の魚釣り
どういう経緯でそうしたかということまでは覚えていませんが、普段は付き合いのない中学生にくっついて魚取りにいったことがありました。
中学生は、手づくりの「箱メガネ」(底にガラスをはめた木箱)に顔をくっつけて水中を覗きながら、これも手づくりのヤス(銛)で次々と魚を仕留めていました。
私もやりたいと思いましたが、手先が器用ではなく、そういう道具を作れませんでした。
その中学生はかなりのワルでした。
別の日には、バッテリーを肩から下げ、長靴を履いて、火箸のようなものを二本、幅の狭い川に入れて電流を流しました。
しばらくすると、大きなフナやうなぎがプカプカと何匹も水面に浮かんできました。
それをタモですくって腰につけたビクに入れたのです。かなり後になって、そういうやり方は禁止されていることを知りました。
私はといえば、竹藪で見つけてきた篠竹の竿に駅前のよろず屋で買ってきた糸とウキと針をつけて、川に垂らしていました。
エサはミミズかクモ。クモは、細い葉っぱを三角状に織り込んだ巣のなかにひそんでいるのを使いました。
しかし、そう簡単には釣れませんでした。
近所の同級生は二人しかおらず、いつも一人で釣っていたので腕が上達しません。
フナより動きの俊敏なハヤを狙っていました。
繁殖期になり、横腹のストライプが色濃くなった大きなハヤを見ると、胸が騒ぎました。
泳いでいる姿は見えていているのに、いっこうにかからず、イモリがかかってきて、針をはずすときは気持ち悪い思いを幾度もしました。
そのくせ、橋の上でヘビと遭遇したときなど、尻尾をつかんで頭上でぐるぐると何度もぶん回し、地面に叩きつけて殺すという、もっと不気味なことをしたこともありました。
一度だけ、沼の主のような大きな鯉を釣り落としたことがあります。
沼といっても、畳の材料として使われるイグサが生えている小っぽけな池のような沼でしたが、そこで釣り糸を垂れていたら、ぐいぐいと引くので竿を上げたら大きな緋鯉がぶら下がっていました。
「おっ、やった」と胸が躍った次の瞬間には、早々と逃げられていました。
逃した魚のショックは大きく、長い間心臓がドキドキしていました。
(城島明彦)

