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2008/07/30

少年時代の魚釣り

 どういう経緯でそうしたかということまでは覚えていませんが、普段は付き合いのない中学生にくっついて魚取りにいったことがありました。

 中学生は、手づくりの「箱メガネ」(底にガラスをはめた木箱)に顔をくっつけて水中を覗きながら、これも手づくりのヤス(銛)で次々と魚を仕留めていました。

 私もやりたいと思いましたが、手先が器用ではなく、そういう道具を作れませんでした。

 その中学生はかなりのワルでした。

 別の日には、バッテリーを肩から下げ、長靴を履いて、火箸のようなものを二本、幅の狭い川に入れて電流を流しました。

 しばらくすると、大きなフナやうなぎがプカプカと何匹も水面に浮かんできました。

 それをタモですくって腰につけたビクに入れたのです。かなり後になって、そういうやり方は禁止されていることを知りました。

 私はといえば、竹藪で見つけてきた篠竹の竿に駅前のよろず屋で買ってきた糸とウキと針をつけて、川に垂らしていました。

 エサはミミズかクモ。クモは、細い葉っぱを三角状に織り込んだ巣のなかにひそんでいるのを使いました。

 しかし、そう簡単には釣れませんでした。

 近所の同級生は二人しかおらず、いつも一人で釣っていたので腕が上達しません。

 フナより動きの俊敏なハヤを狙っていました。

 繁殖期になり、横腹のストライプが色濃くなった大きなハヤを見ると、胸が騒ぎました。

 泳いでいる姿は見えていているのに、いっこうにかからず、イモリがかかってきて、針をはずすときは気持ち悪い思いを幾度もしました。

 そのくせ、橋の上でヘビと遭遇したときなど、尻尾をつかんで頭上でぐるぐると何度もぶん回し、地面に叩きつけて殺すという、もっと不気味なことをしたこともありました。

 一度だけ、沼の主のような大きな鯉を釣り落としたことがあります。

 沼といっても、畳の材料として使われるイグサが生えている小っぽけな池のような沼でしたが、そこで釣り糸を垂れていたら、ぐいぐいと引くので竿を上げたら大きな緋鯉がぶら下がっていました。

 「おっ、やった」と胸が躍った次の瞬間には、早々と逃げられていました。

 逃した魚のショックは大きく、長い間心臓がドキドキしていました。

(城島明彦)

2008/07/19

深キョンのキリンのCMに一言「口の奥や裏まで見せていいの?」

 「口のなかを人に見られるのは、恥ずかしい」というのが「普通人の常識的感覚」。

 ましてや妙齢の女性ともなれば、見知らぬ他人の前では、決して大口を開けて笑ってはいけないし、笑うときには口元を手で覆うのが行儀作法。

 ところが、キリンのチューハイ「氷結」のテレビCMは、とんでもないことをやらかしている。

 タレントの深田恭子が、ビールのジョッキ片手に、松田聖子のヒット曲「青い珊瑚礁」を歌い踊るカットで、カメラは、彼女の歌っている顔の大写しからズームバックして全景を映し出すという演出手法をとっているが、最初の大写しのところで彼女の口の裏側まで丸見えになっている。

 太陽光線が強く、頬の肉が透けて見えるのも尋常ではないが、大口を開けた口のなかの様子があからさまになっていては、彼女がかわいそう。
 
 彼女の上側の歯並びはきれいで、その周辺の肉や粘膜も美しいが、普通、そこまで見せるか!?
 
 CMディレクターやキリンの宣伝マンは、何を考えているのか。

(城島明彦)

2008/07/16

文庫本のカバーと帯は、どうつくる?(『怪奇がたり』の例)

 7月新刊の城島明彦『怪奇がたり』(扶桑社文庫)の表紙(カバー)です。クリックすると拡大できます。

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 本の表紙の絵やイラスト、タイトルを決めるのは、出版社の編集者の仕事です。

 本文の見出しの大きさ、一行あたりの文字数、一ページの行数、活字の大きさも、編集者が決めます。

 本に巻かれる帯の文章も、編集者が書きます。

 本のカバーの裏表紙には、編集者が作品のなかで一番印象的と思った個所が、次のように抜粋してあります。

  …ある夜、何かが顔面に触れた。髪の毛だった。
  覆いかぶさるようにして、岡野を頭のほうから覗きこんでいたのだ。
  髪は生き物のように蠢(うごめ)き、指に絡みついてきた。
  岡野が手を引くと髪がごそっと抜け、佳乃子の姿はかき消えた。
  (夢だったのか)と思ったが、佳乃子のものとしか考えられない数十本の
  毛髪が右手にしっかりと握られ、髪の根元に血にまみれた頭皮までくっついていた……
  岡野は全身に鳥肌が立つのを感じた。      (「顔」より)

 『怪奇がたり』の帯は、「怪奇」という色と同じ紫色で、そこには次のように書かれています。

  読んでしまったら
  一人では
  眠れない!
  あなたのすぐ
  近くにある
  怖い話。

 文字の色は、「怖い話。」のところだけが黒で文字サイズも大きくなっていますが、それ以外は白抜きです。

 帯の裏表紙のところの色は白で、そこには、同じ扶桑社から去年出た『恐怖がたり42夜』の帯つきの写真が載っています。

 「『怪奇がたり』を読んだら、これもぜひ」というPRですね。

 ついでに、『恐怖がたり42夜』のカバーの裏表紙に載っている文章を紹介しましょう。

  …黄泉比良坂(よもつひらさか)に静けさが戻ると、点滅する淡い黄緑色のイルミネーションが暗闇のなかに浮かび上がった。
   おびただしい数の源氏ボタルが群がって創り出した神秘的な〝人形(ひとがた)をしたイルミネーション〟は、秋吉と夏帆の半焼けの死体のほかに、もう一体あった。
   二人の間に横たわる、首にへその緒を巻きつけた小さな肉塊であった。 (「第1夜 「黄泉比良坂」より)

 まだ読んでいない人で、 「もしかしたら、面白いかもしれない」と思った方は、ぜひどうぞ。

(城島明彦)

2008/07/11

小説家を目指す方は、ぜひお読みください

 怪奇短編小説集『怪奇がたり』(扶桑社文庫)が、発売になりました。

 小説家志望の方は、ぜひご一読ください。

 短編小説の書き方がよくわかるのではないでしょうか。

 昨年出版された『恐怖がたり』(扶桑社文庫)が、掌編(ショートショート)を42話集めたものだったのに対し、今回の本は、短編9話です。

 日本推理作家協会賞を受賞されている文芸評論家の長谷部史親(はせべふみちか)さんが、解説を書いてくださっています。

 本に収載された短編は、次の9編です。

  首塚

  骨

  記憶

  鈴

  呪殺(じゅさつ)

  髑髏盃(どくろはい)

  手毬(てまり)

  顔

  人形

 極言すると、小説のテーマは、恋愛物にしろ、推理物にしろ、ほとんど書きつくされています。 

 「首塚」「鈴」「人形」といった怪奇物のテーマも同様です。

 そういうテーマで、どうやったら独自色が出せるか、それまでにない話に仕立て上げられるかが、勝負です。

 小説家を目指している人、新人賞を取りたい人が心がけるべき第一の点は、オリジナリティ(独創性)です。

 ごくありふれたテーマであっても、オリジナリティがあれば、注目されます。

 意外なストーリー展開や意外な結末も必要です。
 
 小説の基本は、「掌編」づくりや「短編」づくりにあります。

 どんな分野にもいえることですが、「基本」をないがしろにしたものに、ろくなものはありません。

 大リーガーのイチロウの変則打法も、基本がきっちりできているからこそ可能なのです。

 ピカソの少年時代の絵を見たことがありますか。そのデッサン力の確かさ、色使いの巧みさ、構成力のすごさに驚いてしまいます。

 昨夏出た『怪奇がたり』の掌編42話は、そういうことを意識しながら書きましたので、掌編を書こうとする方には、テーマの処理の仕方、文体、ストーリー展開の仕方、結末をどうするかといったことなどで、参考になろうかと思います。

(城島明彦)

2008/07/10

KDDIは、言葉に関わる商品を売っているという自覚がない

  KDDIの「ら抜きCM」は、ひどすぎる。 
 
 携帯電話(AU)のCMで使っている「つながれる」という奇妙な言い方は、日本語にはない。

 「言葉に関わる商品を売っている会社」であるという自覚がない。

 家族みんなと「つながれる」とか、「もっとつながれる」などとCMではいっている。

 間違った日本語を使うCMを、平気で垂れ流させているKDDIの社長や宣伝担当役員の知的センスを疑う。

 「少しは、ソフトバンクの『しゃべる犬CM』の正しい日本語を見習え!」といいたい。

 「つながれる」を「つなぐことができる」という「可能形」として使っているらしきことはわかるが、完全な誤用。聞く者を不快にさせる。

 不快なCMは、企業イメージを下げこそすれ、上げることはない。
 
 「電話と電話がつながる」という表現はあるが、「電話と電話がつながれる」という表現は日本語にはない。

 KDDIのCMは、「つなぐ」という言葉と「つながる」という言葉を混同し、しかも間違った言い回しにして使っている二重の点で救いがたい。「

 「つながる」は、「一つになる」または「拘束される」といった意味であり、「つながれる」は、「(人が)獄につながれる」とか「(家畜が)縄につながれる」といった使い方をする。

 つながれるは、「自由を奪う」意味であり、プラスイメージの言葉ではない。そういう認識がKDDIにはないのだろうか。

 正しくない日本語を、影響力の大きいテレビで、しかも頻繁に流すのが問題。

 間違いを承知で、話題性を狙って意図的にやっているとしたら、つまり「確信犯」なら、あまりにもお粗末。KDDIは三流以下の会社というべきだろう。

 「家族みんなとつながれる」という日本語も、細かいことをいうと、ニュアンスはわかるが、使い方としては微妙。

 別の家の家族みんなとつながるという意味なら、これでよいが、自分の家の家族みんなとつながるというのはおかしい。電話をかけている本人を除いたほかの家族のメンバー全員とつながるのである。

 問題は、こういうことを理解した上でCMを作ったかどうかだ。

 「かたいことをいうな、たかがCMじゃないか」

 という人もいるだろうが、CMだから、かたいことをいわなければならないのだ。

 「食べれる」という「ら抜き言葉」もテレビのCMで一挙に広まった。

 テレビCMは、小さい子供がまねをする。CMは金さえ出せば、いくらでも放送できる。誤記・誤用のたぐいであっても、極論すれば、金の力で日本語を変えてしまうこともできる。

 そういう自覚がKDDIにあるのかどうか。

 日本語を乱している最大の元凶は民放。特にCMとバラエティ番組。

 「何気に」というわけのわからない言葉も、いつのまにか広まったが、これもテレビに出てくるお笑い芸人たちが広げた。NHKの若い女性アナウンサーが使っているのを聞いたときには、さすがに驚いた。

 注意して使わせないようにすべきプロデューサーやディレクター自身が、おかしな日本語を使っているのだから、テレビの日本語が乱れるわけだ。

 「おいしい」というべきところを「うまい」という若い女性タレントが多くいる一方で、両親にでも注意されたのか、きちんと「おいしい」というタレントも増えてきた。

 「おいしゅうございます」といえ、とまではいわないが、せめて女性は「うまい」といわず、「おいしい」といってもらいたいものだ。

 テレビ番組に関わっている人は、人々に与える影響が大きいということをもっと自覚してほしい。

 「日本語は時代とともに変わるもの」

 と言語学者はわかったようなことをいうが、たとえ話でいうと、

 「インフルエンザが自然な状態で流行するのと、誰かが病原菌をまき散らした結果、流行するのとは違う」

 ということを、彼らは認識していない。

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(城島明彦)

2008/07/07

名前が「太蔵」だけに、「たいそう」な鼻息だったが……

 杉村太蔵議員が衆議院の北海道一区の公認候補から正式にはずされた。
 
 この男、自分が間違って当選したという認識がない。
 
 いつのまにか、自分が偉くなったように錯覚してしまった。

 親代わりだった武部勤(元幹事長)に、「馬鹿は死ななきゃ治らない」とまでこきおろされても、気づかなかったパープリン。

 「馬鹿につける薬はない」より、もっと馬鹿のお墨付きを頂戴したおめでたい男、太蔵。

 「地位が人をつくる」というが、太蔵の場合、分不相応に妙に自信を持ちすぎてしまい、それが「おごり」につながった。

 〝議員〟太蔵が何をやったのか、まったく伝わってこない。そういう議員は、要らない。

 しかし、なかには、また面白がって彼に投票する馬鹿も出てくるはず。

 そういう無責任な輩が日本をダメにしてきたのだよ。

(城島明彦)

2008/07/06

「幸福」とは?

 何十年も前に買った書物のなかに、三浦靱郎(ゆきお)訳編『生きることについて〈ヘッセの言葉〉』(教養文庫)という一冊がありました。

 その本のなかに「幸福」と題する次のような詩が載っていました。

  君が幸福を追い求めているかぎり
  君はいつまでも幸福にはなれない
  たとえ最愛のものを手に入れたとしても
  
  君が失ったものを嘆き
  目標をめざして動いているかぎり
  君にはまだ安らぎとは何であるかわからない
  
  君があらゆる望みを捨て
  もはや目標も欲望もなく
  幸福のことを口にしなくなったとき

  そのとき世間の荒波は君の心に届かず
  君の心ははじめて憩いを知るのだ

 まだ人生経験が浅い若い人たちへのメッセージが含まれた詩ですが、人生経験豊かな人たちにとっても含蓄のある内容です。

 ヘルマン・ヘッセは、一八七七年に南ドイツにあるカルヴという田舎町で生まれ、一九六二年に八十五歳で没した詩人であり作家でもあった巨人です。

 彼が二十八歳のとき(一九〇五年)に「新チューリッヒ新聞」に連載した『車輪の下』は神学校時代の体験をもとにした青春小説で、世界的な評価を得、今日まで読み継がれている大傑作です。

 ところで皆さんは、こんな疑問にとらわれたことがありませんか。

 「本を読むとは、どういうことなのか?」

 この疑問にヘルマン・へッセが「書物」という詩で答を出してくれています。こんな詩です。

  この世のどんな書物も
  君に幸福をもたらしてくれはしない
  けれども書物はひそかに君をさとして
  君自身の中へ立ち返らせる
  
  そこには太陽も星も月も
  君の必要なものはみんなある
  君が求めている光は
  君自身の中に宿っているのだから
  
  そうすると君が書物の中に
  長い間捜し求めていた知恵が
  あらゆる頁から光ってみえる――
  なぜなら今その知恵は君のものとなっているから

 (PR)城島明彦著『怪奇がたり』(扶桑社文庫)、近日発売

(城島明彦)

アチャコの映画「お父さんはお人好し」を観た

 神保町シアターで、アチャコ・浪花千栄子主演の映画「お父さんはお人好し」を、必要に駆られて観た。

 監督はドタバタ喜劇の名匠といわれた斉藤寅次郎。

 神保町シアターができて一周年記念という触れ込みの映画で、入場料は1本立てで1200円。

 ちょっと高すぎないか。800円ぐらいが妥当では。

 客はジジババばかり。というのも、この映画、今から半世紀も昔の1955年に封切られた作品で、当時、NHKラジオの連続ドラマだった同名の番組の人気がすごかったので、映画化されたもの。

 中村玉緒が女子高生役で出ていた。

 アチャコの映画は過去に何本かテレビで見ているが、何十年ぶりかで見た彼の演技は、思っていたよりはるかに自然でうまく、感心した。

 さすが吉本興業をしょって立っていただけのことはある。

 斉藤寅次郎の演出は、堺駿二(堺正章の父)が登場する場面など、どうしようもないドタバタ場面も何か所かあるが、全体を通してカメラワークやカット割りがうまく、三谷幸喜とは雲泥の差。

 私は、当時、ラジオで放送を聞いていたが、そのときのアチャコのせりふ「もう、無茶苦茶でござりまするがな」は大流行した。しかし、映画のなかでは出てこなかった。

 映画で使われた当時のギャグは、「えらいことにて、なりにけりや」というのが一回だけあった。「にて」という方がおかしく、会場で笑いが起きた。

(城島明彦)

2008/07/04

「落書き」したけりゃ、京都へ行け

 「観光記念の署名落書き」だが、今回問題になっている海外の世界文化遺産のような場合は、「ちょっとした出来心」「旅の恥は掻き捨て」ではすまない。

  日本人の恥であり、日本という国や日本民族に対する国際的な信用・評価を落とすことに直接つながる。
 
 テレビ報道では、落書きした者の名前をモザイクで隠したが、なぜそのようなことをする必要があるのか。

 一罰百戒の意味もこめて、きちんと名前を映すべきである。

 そうすれば抑止力が働き、誰もやらなくなる。

 森本右近太夫という男、江戸時代初期の宝永年間にカンボジアに渡航し、アンコールワットの壁に「両親の菩提を弔うために渡航した」といった内容のことを「署名入り」で落書きした。

 この男、アンコールワットを『平家物語』に出てくる祇園精舎と勘違いしての海外渡航で、知識のなさを後世まで伝えることになった。

 新幹線の車体への落書きといい、先だっての北京五輪の聖火騒動の際の長野善光寺での落書きといい、日本国内には「汚らしいスプレー落書き」が満ちあふれている。

 そういうことをするのは日本に限ったことではないが、落書きは、書いた本人だけが満足するだけ。それ以外の人は不快感を覚え、町の景観をそこねる。そういう点は、世界共通。

 スプレーによる落書きは、イラストと文字の二種類に大別されるが、これまで、立ち止まって鑑賞したいと思うほどの芸術作品にお目にかかったことはない。

 イラストや絵では、横浜のJR桜木町駅駅近くの道路わきの壁面には、絵を描くことを認められた場所があるが、そこにもこれといったものはなかった。

 どうせ描くなら、スペインの「アルタミラの壁画」のような、後世の歴史の教科書に載るような落書きをしろ、といいたい。

 文字も同様。南北朝時代の「二条河原の落首」ような世相を風刺するようなクオリティの高い文章を書け。

 商店街のシャッターや道路わきの壁などにスプレーで落書きされた文字の形が、見た目に「美しい書体」なら、感心もし、見惚れもしようが、それらは、まるで示し合わせたように、同じ「丸っこい書体」で書かれている。

 個性がない。文字を書きたいなら、『落書日本史』(紀田順一郎著・三一書房)でも読んで、もっと風刺精神に富んだ気のきいた「文章」を書け。

 どうしても落書きしたけりゃ、京都へ行け。八幡市にある〝落書き寺〟こと単伝寺(たんでんじ)へ行け。

 そこの大黒堂の白壁は落書き、し放題。といっても、スプレーはNG。壁は大晦日に塗り替えられるから、書きたかったら、また行けばよい。 

 (PR) 城島明彦著『怪奇がたり』(扶桑社文庫)、近日発売

(城島明彦)

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