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2008/06/30

日本映画史上で最初に全裸になった女優(2) 前田通子と石原慎太郎

 前田通子は日本橋三越に勤めていてスカウトされ、新東宝の女優になります。

 当時は女子社員をOLとはいわず、BGといっていました。

 ところが、「ビジネスガール」は「商売女=娼婦」を意味するということになり、「オフィスレディ」に呼称が変わったのです。

 彼女は、「海女の戦慄」などを監督した志村敏夫と愛人関係に陥ります。

 そして彼女は、弁士(べんし)上がりのワンマン社長大蔵貢(おおくらみつぐ)と衝突し、映画界から締め出されるのです。

 この大蔵貢という男、高倉みゆきという看板女優(「明治天皇と日露戦争」などで、皇后に扮した品のある女優)を愛人にしていましたが、そのことが露見すると「女優を愛人にしたのなら問題だが、愛人を女優にして何が悪い」と迷言を吐いて開き直ったことで有名です。

 「もはや戦後ではない」
 と「経済白書」が記したのは、前田通子が全裸で主演した「女真珠王の復讐」が公開された一九五六年(昭和三十一)のことであり、石原慎太郎が『太陽の季節』で芥川賞を受賞、彼の弟の石原裕次郎が映画デビューを果たした記念すべき年でした。

 『太陽の季節』は、屹立(きつりつ)した男根で障子紙を突き破るという場面が話題をさらい、二十六万部を売ってベストセラー第一位となりました。「慎太郎刈り」にアロハシャツ、サングラスという「太陽族」のスタイルが若者たちの間に流行しました。

 その同じ年に日本映画初のオールヌードがスクリーンに登場したというのは、単なる偶然ではないように思います。

 「海女の戦慄」や「女真珠王の復讐」がDVDになっていることを知って、買ってどんな映画なのか確かめてみたいという好奇心と、見てがっかりしたくないという思いが、今、著者のなかで格闘しています。

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(城島明彦)

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