死刑は廃止すべきではない
歴代の法務大臣は、皆、嫌がって死刑執行に署名をしなかったが、今の鳩山大臣は昨年8月に就任以来、4月10日までに10人を死刑にした。
宗教的な理由、人道的見地などから、死刑廃止を叫ぶのはたやすい。
しかし、何人殺しても生きられるというのは、いかがなものか。
現在使用を禁止されている言葉に「気違い」があるが、この言葉のどこが差別的なのか、私にはわからない。
正常ではなくなった、つまり、「気が違った」のだから、「気違い」である。昨今、頻繁に起きている無差別殺人、行きずり殺人などは、まさに「気違いに刃物」。
こんな適切な表現が、どこにあろうか。
死刑反対論者に問いたい。
「あなたの愛する奥さんや子供たち、そして親兄弟たちが、ある日突然、気違いに全員殺されて、天涯孤独の身になったとしてもも、その犯人に同じことをしてやりたい」
と思わないのか。つまり、
「殺してやりたい」
と思わないのか。
「妻や子の仇を討ちたい」
と思わないのか。
「思わない。死刑はよくない」
と答える人がいたら、その人は偽善者である。
(城島明彦)