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2007/10/28

亀田興毅は言葉づかいを直せ

 亀田興毅の謝罪記者会見で思ったこと。

 自分のことを「俺」といい、

 記者や視聴者を「みんな」と何度もいうのを聞いて、

 「20歳にもなって、言葉づかいを知らないのか」

 と腹立たしく感じたものだ。

 俺ではなく、「自分」「わたし「わたくし」「ぼく」のいずれかをなぜ使わないのか、使えないのか、不思議でならない。

 興毅の雰囲気からすると、「自分」が最適と私は思う。

 亀田興毅の謝罪記者会見についての私の記事に対し、サトミタダシさんが興味深いコメントを書いてくださったが、そのなかに、サトミタダシさんの学生時代の同級生や知人にアマチュアボクサーが何人もいたが、彼らの多くは亀田キャラだったというくだりがあり、そういうものかと思った。

 ただし、先輩に対しては敬語を使っていたと記されている。(詳しくは、ご本人のコメントを)

 私は、亀田興毅を初めてテレビで見たとき、彼の横柄な態度と常識をわきまえぬ無礼な言葉づかいに生理的な嫌悪感を覚え、

 「こいつは完璧に負けて、鼻っ柱をへし折られないと目が覚めないだろう」 

 と思いながら、チャンネルを変えたものだ。

 興毅が「自分の父親をみんなは悪くいうが、自分にとっては世界一の父親」というのを聞いて、私は「再会」という歌謡曲の次の一節を思い浮かべた。

  みんなは悪い人だというが わたしにゃいい人だった

 松尾和子は、昭和三十年代から四十年代にかけて活躍したムード歌謡歌手で、「再会」は監獄にぶち込まれた男のことをしのんで歌った歌だ。

 家族愛。父親の権威が失墜している今という時代に、父は世界一だと言い切ったことで、興毅は視聴者に「ある種の感動のようなもの」を与え、そのことによって「ある程度の許し」を得ることになった。

 頭を丸め、ネクタイをして現れたことだけで好印象を与えたのだから、「俺」だの「みんな」などといわなければ、もっとイメージアップできたはず。

 テレビや周囲の大人たちがモヒカン刈りやあのような傍若無人な口のきき方を「演出した」といわれているが、もしそういうことであるなら、今回の謝罪会見で「俺といってはいけない」「みんななどと見下したような言葉は使ってはいけない」となぜ吹き込んでやらなかったのか。

 「くさいものにはフタ」「都合が悪くなったら、知らん顔」というわけか。

(城島明彦) 

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