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2007/10/31

御福餅よ、おまえもか

 「御福」こと赤福のそっくりさん「御福餅」は、「赤福」の製造日偽装の恩恵を受けて、売れに売れていたが、何のことはない、赤福同様、製造日を偽装していたことが発覚し、社長が謝罪した。

 製造元の御福餅本舗は、赤福と同じく、食品衛生法違反。

 商品をまねるだけでなく、不正までまねしていたんだね。

 社長は、いつばれるか、いつばれるかと冷や冷やしていたに違いない。

 赤福の不正が露見したとき、

 「赤福さんをまねて、実はウチも」

 と名乗り出ていたら、世間の反応もかなり違っていたろうに。

 (城島明彦) 

 

2007/10/30

赤福問題を軽く考えるべきでない

 赤福は店じまいせよとの私の主張に、「Mr.ノー・ネーム」さんから以下の反論があった。

 「期限切れくらいで何? 別に死ぬわけではあるまいし」

 この人は、赤福の社員なのだろうか。

 こういう考え方をする人がいるから、雪印や不二家などの問題が過去に起き、最近では石屋製菓に続いて赤福、そして今度は船場吉兆の問題が起きるのである。

 期限切れになった食品の場合、たとえば牡蠣(かき)のように、目では見えないが、腐敗が進行していて食中毒を起こす危険性だってあるということを考えないといけない。

 すべてのレストラン、すべての食品メーカー、すべての生鮮食料品店が、「別に死ぬわけではあるまいし」と主張して、期限を偽りまくったら、どうなるのか。

 薬の期限をどう考えるのか。副作用が起きる可能性もなくはないのだ。
 
 「死ぬわけではあるまい」
 
 ということで、たとえばレストランで汚れた皿や茶碗を出されたら、食べる方は気分がいいかどうかという問題もある。

 この人の考え方は、非常に危険である。こういう考え方に立つと、

 「輸入牛を国産牛と偽ったところで、死ぬわけではあるまい」

 ということにもなる。

 消費者を騙すということもよくないのである。

 期限切れを日をごまかすということは、企業の良心にもとる行為なのである。

 (城島明彦)

 
 

2007/10/29

赤福は「店じまい」せよ

 赤福の会長・浜田益嗣(ますたね)は、彼の祖母であるますさんがこんなことをいったとかつて新聞で紹介したことがある。
 
 《戦中、戦後の物資統制下、米は満足に手に入らず、砂糖も不純物が多く黄色をしていた。小豆も悪かった。 
 誰もが手を出したヤミ物資もあったが違法行為だった。それに赤福という味を作るには、ヤミの原料ではとてもできなかった。
 その時、ますは言った。
 「味覚の分かる人が食べたら『ああ赤福も味が落ちたもんだ』と言われる。ご先祖が笑われる。恥や。だからやめましょ」》(朝日新聞の東海版に連載された「あの時 東海経済物語」より引用)

 なかなかいいことをいっているようにきこえるが、意地悪な解釈をすれば、ますさんは、
 
 「味覚の鈍感な人なら気づかれないが、味覚の鋭い人にはばれてしまう。だから、ごまかさないほうがいい」

 といったことになる。
 
 「赤福の餅がどうも固い」
 
 と感じた人は、私を含めて、たくさんいる。

 しかし、赤福は、
 
 「できたての赤福と、日が経った赤福を同時に食べ比べる客などいないから、餅が固くても、そういうものだと思うだろう」

 と腹黒いことを考えていたに違いない。

 「どうせわかりっこない」

 と客をなめていたのである。
 
 客は、赤福という企業を信用して、「できたての餅とアンコだ」と思って食べてきたのだ。

 その信用を逆手にとって、古い餅やアンコを売りつけていたとは、「詐欺商法」以外のなにものでもない。

 そんな企業は、つぶれたらよい。つぶれるべきだ。

 ついでに書くと、「白い恋人」で人々を騙してきた石屋製菓がいつのまにか生産を再開したそうだが、

 「世間の耳目が赤福に向いている間に」

 と考えたのであれば許しがたい。

 名もない町の小さな菓子屋とか商店が、石屋製菓と同じような不祥事を起こしたら、それは「即倒産」を意味するのであって、石屋製菓は甘えている。

 石屋製菓は、永遠に「白い恋人」を生産すべきではないと私は考える。

 石屋製菓は、思い上がっている。

 石屋製菓がつぶれても誰も困らない。

 お土産人気が高いというのなら、「白い恋人」というブランドを他企業が引き継ぎ、販売すればよいだけの話。
 
 そういうシビアな事態もありうると考えていたら、詐欺まがいの商法などできなかったはずだ。

 赤福に話を戻すと、赤福ほど知名度は高くないが、競合商品「御福」(おふく)というのがある。

 赤福は、御福に赤福ブランドを売って、ただちに店じまいしなさい。

 御福に売るのが嫌なら、近鉄百貨店でも名鉄百貨店でも、赤福ブランドの買い手はいくらでもある。

 そうすれば、お客は困らないし、「赤福」というおいしい食べ物は残る。 

(城島明彦) 

2007/10/28

亀田興毅は言葉づかいを直せ

 亀田興毅の謝罪記者会見で思ったこと。

 自分のことを「俺」といい、

 記者や視聴者を「みんな」と何度もいうのを聞いて、

 「20歳にもなって、言葉づかいを知らないのか」

 と腹立たしく感じたものだ。

 俺ではなく、「自分」「わたし「わたくし」「ぼく」のいずれかをなぜ使わないのか、使えないのか、不思議でならない。

 興毅の雰囲気からすると、「自分」が最適と私は思う。

 亀田興毅の謝罪記者会見についての私の記事に対し、サトミタダシさんが興味深いコメントを書いてくださったが、そのなかに、サトミタダシさんの学生時代の同級生や知人にアマチュアボクサーが何人もいたが、彼らの多くは亀田キャラだったというくだりがあり、そういうものかと思った。

 ただし、先輩に対しては敬語を使っていたと記されている。(詳しくは、ご本人のコメントを)

 私は、亀田興毅を初めてテレビで見たとき、彼の横柄な態度と常識をわきまえぬ無礼な言葉づかいに生理的な嫌悪感を覚え、

 「こいつは完璧に負けて、鼻っ柱をへし折られないと目が覚めないだろう」 

 と思いながら、チャンネルを変えたものだ。

 興毅が「自分の父親をみんなは悪くいうが、自分にとっては世界一の父親」というのを聞いて、私は「再会」という歌謡曲の次の一節を思い浮かべた。

  みんなは悪い人だというが わたしにゃいい人だった

 松尾和子は、昭和三十年代から四十年代にかけて活躍したムード歌謡歌手で、「再会」は監獄にぶち込まれた男のことをしのんで歌った歌だ。

 家族愛。父親の権威が失墜している今という時代に、父は世界一だと言い切ったことで、興毅は視聴者に「ある種の感動のようなもの」を与え、そのことによって「ある程度の許し」を得ることになった。

 頭を丸め、ネクタイをして現れたことだけで好印象を与えたのだから、「俺」だの「みんな」などといわなければ、もっとイメージアップできたはず。

 テレビや周囲の大人たちがモヒカン刈りやあのような傍若無人な口のきき方を「演出した」といわれているが、もしそういうことであるなら、今回の謝罪会見で「俺といってはいけない」「みんななどと見下したような言葉は使ってはいけない」となぜ吹き込んでやらなかったのか。

 「くさいものにはフタ」「都合が悪くなったら、知らん顔」というわけか。

(城島明彦) 

2007/10/26

亀田大毅事件で(興毅)記者会見

 本日(10月26日)午前中に、ボクサー亀田大毅事件で、共栄ジムの金平会長と大毅の兄興毅の記者会見があった。

 「自分が記者会見に出ると、うまくいかないだろうから」

 という妙な理由にならない理由で、父親の史郎は出席せず、父親に代わって興毅が出席するというハプニングが起きた。

 それを見て思ったこと。

 史郎という人物、確かに見た目がよくない。あっち系の人間を想像させる顔つきであり、目つきであり、言動であった。

 しかし、これだけ世間を騒がせた以上、男のけじめとして、きちんとテレビカメラの放列の前で詫びなければならない。

 出てこなかったのは、「詫びたくない」あるいは「自分に落ち度はない。詫びる必要がない」と腹の中で思っていると受け取られる。

 しょせんは、その程度の人間だったのだが、それを必要以上に大きく取り上げたのはTBSに代表されるマスコミ。

 肝臓が悪く、目のまわりがパンダっぽい金平桂一郎は、親父(元ボクサーで、共栄ジムの創設者の正紀。故人)からの遺伝で鼻から下がアントニオ猪木風。

 この人物、ロシアの体育大学に4年間留学したなかなかのインテリ。ヴォキャブラリーが豊富で、語り口はソフト。誠実そうで、世間的な常識をわきまえていて、理路整然と話をし、評価は二重丸。

 だが、興毅や大毅を金髪の妙な髪形にし、不快きわまるいいたい放題・やりたい放題の言動を黙認し続けてきた責任については許しがたい。

 金平の丁重なものいいや礼儀正しさとは相容れないものがあるはずだが、その点についての釈明や説明は、いっさいなかった。

 興毅は態度がでかく、言葉づかいを知らず、テレビなどで彼を見た人を不快にさせた。
 
 スポーツマンは礼儀正しいというイメージを覆した。

 スポーツマンの素晴らしさは、一年でも先輩には「敬語」を使うのが常識。その鉄則を興毅は守っていない。

 守らせなかった最終的責任は金平会長にある。

 モハメド・アリは大口をたたいたが、彼には民族的な誇りと信条、哲学以外に、かくかくたる実績があった。

 「スポーツ刈り」という言葉があるように、髪を短く刈り込むのが、スポーツマンの特徴だった。

 なぜそうするかには理由がある。

 激しい運動をすると猛烈に汗をかく。長髪だとびしょびしょになり、見た目も美しくない。

 短髪だと汗をタオルでぬぐいやすい。

 スポーツマンは「清潔」な印象を与えないといけない。

 汗臭い下着をつけていると思われたり、髪がもじゃもじゃとか、無精ひげが伸びているというのは最低。

 興毅も大毅も金髪。髪を金髪に染めるているボクサーはほかにもいるが、日本人であるなら、黒髪に誇りを持てといいたい。

 興毅のモヒカンは、もってのほか。ボクサーはシンプルであるべき。

 昆虫や魚など動物の世界では、弱いものほど生きていくためにきらびやかな色彩や複雑な模様をしている。

 ボクシングの試合やニュースが世界に発信されるのだから、「大和魂」にもっと誇りを持つべきである。

 私が大学生の頃、ハワイの二世だった藤猛(ふじたけし)というボクサーが世界チャンピオンになったとき、
カタコトの日本語で、

 「ヤマトダマシイ」

 といって、テレビの視聴者を大感激させた。

 黒人には黒人の美しさがあり、白人には白人のうつくしさがあるように、日本人には日本人の美しさがある。

 それを捨てたいのなら、日本人であることも捨てるべきであるとおもうが、どうか。

(城島明彦)

 

2007/10/23

赤福の「花火商法」に問題があった

 赤福事件で、謝罪の記者会見に出てくるのは、2005年10月に父の後を継いで社長になった浜田典保という人。

 一見実直そうで、気が弱そうに見えたが、しっかり嘘をついていた。

 人は見かけによりませんなあ。
 
 ところで、赤福の社是をご存知か。
 
 「赤心慶福(せきしんけいふく)」であります。

 「まごころを尽くすことで他人の幸せを喜ぶことができる

 という意味だと、父の浜田益嗣(ますたね)さんはいっておりますぞ。

 この御仁(ごじん)、朝日新聞の名古屋版に連載された「あの時 東海経済物語」(2005年)のなかで、こんなことを述べておったのです。以下に引用いたしましょう。

 《花火はドーンと上がって、パッと消えなきゃいけない。赤福は、打ち上げ花火のような一瞬の美しさを求めている。赤福は作ってから10時間以内に売ることを目標にしている。
 「三つ余計に売るよりも一つを残すな」。

 こんな言葉も赤福には伝えられている。夕方になっても赤福が店に残っていれば、「このごろ売れていないな」と思われる。早く売り切ればイメージは良くなる。それは、在庫管理の面からも重要。残した一個の原価は、3個得った利益に相当するからだ。 赤福では「コント」という一覧表を作って残品を管理している。だから返品率というのはほとんどゼロに近い。
 「コント」は、コントロールシステムの略称で、先代からの伝統だ。
 私の代にコンピューターや携帯電話を使って、さらに精度を高めた。》

 この言葉のなかに、今回の事件が起きた原因が潜んでいることは明らか。

 益嗣さんは、こんなこともいっております。

 《9代目だった父の戦死で、8代目の妻だった祖母の浜田ますが経営のかじ取りをすることになった。(中略)ますは76年に90歳で亡くなった。「売れるに任せて、自分の力以上に大きくしたらいかん」とよく言っていた。
 赤福の販売は売り上げを伸ばした今でも、品質管理が行き届く名古屋や大阪の近鉄沿線が中心だ。物心が付いたころから、ますに教えられた赤福のまごころ。忘れてはいない。》

 「赤福のまごころ」って、何!?

 浜田親子には、「釈迦の説法、屁ひとつ」という諺を謹呈しよう。

(城島明彦)

2007/10/21

「赤福」にいいたい

 私は三重県で生まれ、三重県で育ったから、これまで「赤福」を何個食べたかしれない。

 何個というのは、何百ではなく、何千に達する数だ。

 東京の大学に入り、東京に下宿し、東京の会社で働くようになり、その後、物書きになってから横浜に移り住んだが、帰省した帰りのお土産にいつも買っていた。

 そのつど、自分用にも必ず一つ買ったものだった。

 最近では、数か月前に名古屋へ仕事で出かけた帰りに新幹線のホームの売店で自分用に赤福を買い、帰宅後、ごはんがわりに一度に全部食べた。

 それくらい好きな食べ物だったが、今回の不正が発覚する以前に、

 「なんかへんだな」

 と思ったことが幾度となくあった。

 餅がとても固く感じられたのだ。

 今にして思えば、かなり日にちのたった餅だったのだろう。

 できたての赤福に当たったときもあるわけで、そのときは「とても柔らかい餅で、アンコも新鮮でおいしい」と思ったが、そう感じないときは、

 「今日は、自分の体調や味覚がいつもと違っているんだ」

 とか、

 「おなかがすいていないから、おいしく感じないのだろう」

 そんな風に自分に言い聞かせていたのだけれど、そうじゃなかったんだね。

 だまされていたんだね。

 お客をなめたら、あかんがな! (伊勢弁)

 何十年もだまし続けたせめてものお詫びのしるしに、

 「これ以上、新鮮なものはありません」

 と天地神明に誓える赤福をつくって、宅配便で送ってもらいたい心境になっているのは、私だけではないはずだよ。

(城島明彦)

 

2007/10/09

「国民の目線に立って」という言い方

 「国民の目線に立って」

 という表現をよほど気にいっているのだろう。

 福田首相は、10月9日の衆議院予算委員会の答弁でも、この言葉を使った。

 「国民の目線に立って考えたい」

 意味はなんとなく伝わるが、正しい日本語ではない。

 「国民の視点に立って考えたい」

 というべきである。

(城島明彦)

2007/10/04

「目線」という言葉について

 福田首相は、本来なら

 「国民の視点に立ち」(あるいは「国民的観点に立ち」)

 と表現すべきところを、

 「国民の目線で」

 うんぬんと衆参両院での所信表明演説(衆院10月3日・参院4日)で表現した。
 
 そこで考えた。

 「目線」と「視線」(あるいは「観点」)の違いとは?
  
 「視点」「観点」とはいうが、「目点」とはいわない。

 ただし、 「目が点になる」という俗語表現はある。

 これはマンガから来た表現。

 「~の視点に立つ」「~の観点に立った」

 といった使い方はするが、

 「~の目点に立った」

 という使い方はない。

 「視野」といういいかたはあるが、「目野」という言葉はない。「観野」もない(観劇という言葉はある)。

 「目」は名詞で、体の部位の名称。「目」という単語単独で成立する。

 だが、「視」の方は「視る」という動詞から来ている。

 したがって、単独では存在せず、「視線」視力」「視界」などというように使われる。

 それぞれ、目が向けられた線(方向)、目で見る力、目に見える範囲という意味だ。

 「目線」が正しいなら、「目力」(「めじから」という面白い造語はあるが、ここでは「めりょく」と読む)。

 「目野」(めや)という使い方もされてしかるべきだが、そういう使い方はなされていない。

 となれば、やはり、「目線」という言葉を総理大臣が所信表明の中で使うことはよくないのではないか。 

(城島明彦)
  

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