本日(10月26日)午前中に、ボクサー亀田大毅事件で、共栄ジムの金平会長と大毅の兄興毅の記者会見があった。
「自分が記者会見に出ると、うまくいかないだろうから」
という妙な理由にならない理由で、父親の史郎は出席せず、父親に代わって興毅が出席するというハプニングが起きた。
それを見て思ったこと。
史郎という人物、確かに見た目がよくない。あっち系の人間を想像させる顔つきであり、目つきであり、言動であった。
しかし、これだけ世間を騒がせた以上、男のけじめとして、きちんとテレビカメラの放列の前で詫びなければならない。
出てこなかったのは、「詫びたくない」あるいは「自分に落ち度はない。詫びる必要がない」と腹の中で思っていると受け取られる。
しょせんは、その程度の人間だったのだが、それを必要以上に大きく取り上げたのはTBSに代表されるマスコミ。
肝臓が悪く、目のまわりがパンダっぽい金平桂一郎は、親父(元ボクサーで、共栄ジムの創設者の正紀。故人)からの遺伝で鼻から下がアントニオ猪木風。
この人物、ロシアの体育大学に4年間留学したなかなかのインテリ。ヴォキャブラリーが豊富で、語り口はソフト。誠実そうで、世間的な常識をわきまえていて、理路整然と話をし、評価は二重丸。
だが、興毅や大毅を金髪の妙な髪形にし、不快きわまるいいたい放題・やりたい放題の言動を黙認し続けてきた責任については許しがたい。
金平の丁重なものいいや礼儀正しさとは相容れないものがあるはずだが、その点についての釈明や説明は、いっさいなかった。
興毅は態度がでかく、言葉づかいを知らず、テレビなどで彼を見た人を不快にさせた。
スポーツマンは礼儀正しいというイメージを覆した。
スポーツマンの素晴らしさは、一年でも先輩には「敬語」を使うのが常識。その鉄則を興毅は守っていない。
守らせなかった最終的責任は金平会長にある。
モハメド・アリは大口をたたいたが、彼には民族的な誇りと信条、哲学以外に、かくかくたる実績があった。
「スポーツ刈り」という言葉があるように、髪を短く刈り込むのが、スポーツマンの特徴だった。
なぜそうするかには理由がある。
激しい運動をすると猛烈に汗をかく。長髪だとびしょびしょになり、見た目も美しくない。
短髪だと汗をタオルでぬぐいやすい。
スポーツマンは「清潔」な印象を与えないといけない。
汗臭い下着をつけていると思われたり、髪がもじゃもじゃとか、無精ひげが伸びているというのは最低。
興毅も大毅も金髪。髪を金髪に染めるているボクサーはほかにもいるが、日本人であるなら、黒髪に誇りを持てといいたい。
興毅のモヒカンは、もってのほか。ボクサーはシンプルであるべき。
昆虫や魚など動物の世界では、弱いものほど生きていくためにきらびやかな色彩や複雑な模様をしている。
ボクシングの試合やニュースが世界に発信されるのだから、「大和魂」にもっと誇りを持つべきである。
私が大学生の頃、ハワイの二世だった藤猛(ふじたけし)というボクサーが世界チャンピオンになったとき、
カタコトの日本語で、
「ヤマトダマシイ」
といって、テレビの視聴者を大感激させた。
黒人には黒人の美しさがあり、白人には白人のうつくしさがあるように、日本人には日本人の美しさがある。
それを捨てたいのなら、日本人であることも捨てるべきであるとおもうが、どうか。
(城島明彦)