「目線」
という言葉は、今日頻繁に使われており、NHKのアナウンサーまでニュースのなかで使用しているが、少なくとも1980年代前半までは、映画やテレビの世界だけで使われる特殊な業界用語であった。
「目線、ください」
「目線、お願いします」
などと撮影現場で俳優にいって、カメラの横に台本や拳固をさしだすなどして、そこを見つめるようにと指示したのである。
そういう使い方をされていたので、女優の高橋洋子が「雨が好き」という短編小説で「中央公論新人賞」を受賞した際、「目線」という言葉を使ったことに選考委員の一人が、注意を促した。
彼は、選評のなかで、こんなことをいっていた。
「目線という言葉を使ってはいけない。そういう日本語はない。視線という正しい言葉を使いなさい」
高橋洋子は、文学座付属の演劇研究所の出身で、1972年に斎藤耕一監督の「旅の重さ」に主演デビューし、74年に「サンダカン8番娼館」で「からゆきさん」(娼婦のこと)を熱演し演技力を認められたが、文才があり、新人賞に応募したのだった。
彼女は、映画の撮影現場で日常使われている「目線」を普通の言葉として認識し、小説のなかで使ったのだ。
僕は、1970年から73年まで東宝で映画の助監督をしていたので、彼女が1981年に新人賞を取ったと知って、「俺も負けていられない」と思ったものだった。
僕が「オール読物新人賞」を受賞するのは、その2年後である。
「目線」の話であった。
業界用語だった「目線」が一般用語になった理由は簡単である。
タレント、特にお笑い系タレントがテレビ番組の中で盛んに使ったからだ。
業界用語というのは、「隠語」(いんご)である。
隠語は、その世界の仲間うちだけでしか通用しない特殊な言葉なので、公の場では使わないのが常識だが、お笑い系タレントは、楽屋話をしている感覚で話をする。
テレビの力は恐ろしい。「フリップ」という業界用語も、いつのまにか一般用語化してしまった。
今、流されているドコモのテレビのCMでは、若い女優が「何気に」という言葉を使っている。
ドラマ仕立てで、劇中で「はやり言葉」を使っているという想定であろうが、CMが小さな子供に及ぼす影響は大きいものがある。
正しくない日本語、美しくない日本語を頻繁に流れるCMで使うのは、問題が多い。
(城島明彦)