これは、僕がまだ小学生だった頃の夏休みの出来事です。
お盆が近づき、当時住んでいた三重県の田舎の村で、墓地の草むしりや掃除をしたときのこと。
各戸一人が行くことになっていたらしく、わが家では僕が参加しました。
バスが通る広い道の坂を登ったそばに墓地はありました。
行って見ると、子供は僕一人でした。
墓地の端に、石かレンガかは忘れましたが、それらで作った焼き場が設けられていました。
刈り取った草や供花用の古い竹筒などは、その前で燃やしました。
その墓地へ行ったのは初めてだったので、わが家の墓がどこにあるのかわかりませんでした。
祖父母は、折りに触れて「先祖は百姓だが郷士(ごうし)であり、名字帯刀(みょうじたいとう)を許されていた」と自慢しておりましたので、さぞや大きな墓だろうと思って墓石を探しました。
ところが、いくら探しても見つかりません。
親戚のおじさんに尋ねると、その隣のがそうだといわれ、驚いてしまいました。
大きな石ころのようなものがおいてあるだけだったのです。
どこからどう見ても、ただの石でした。
そんな墓は見たことも聞いたこともありません。
ほかの人は、墓石に水をかけて洗ったり、周囲の草をむしったりしていましたが、わが家の墓はそういうことができる墓ではありませんでした。
僕は恥ずかしさにじっと耐えながら、焼き場の前で草や竹筒を燃やしているのを、ぼんやりと見ていました。
火勢(かせい)が強くなると、竹がポンポンと音をたててはじけました。
それからしばらくして、「パーン」と大きな音がしたかと思うと、一本の竹筒が僕をめがけて飛んできたのです。
竹筒は僕の目の前で落下しましたが、顔に水がかかりました。
水といっても、活けた花が腐ってどろどろになった水です。
僕はとっさにシャツの袖でぬぐいましたが、気持ち悪さはぬぐいきれませんでした。
「大丈夫か」と声をかけてくれた村人は誰一人としていませんでした。それどころか、失笑したのです。
僕は深く傷つきました。そのときの気持ちは今もはっきりと胸に焼きついています。
家に戻ってから、墓がなぜないのか、と祖母に聞くと、「先祖の墓は、戦前まで住んでいた広いお屋敷のなかにあった。おじいちゃんが浄土真宗から日蓮宗に改宗したので、その墓とは別に先祖の墓は浄土真宗の寺にある」とのことでした。
祖父がなぜ改宗したかというと、屋根から落ちてあばら骨を数本折ったとき、医者から見放されたことがあったそうですが、そのときワラにもすがる思いで、誰かにいわれたことを信じて、「南無妙法蓮華経」と唱えながら、あばら骨を力いっぱい押すと、音を立てて骨が元の位置に収まり、助かったからだそうです。
昔あった焼き場は今はありません。
わが家では、4年前に祖父が亡くなったとき、その墓地に新しい墓を作ったので、昔の石ころはもうありません。
祖母や父もそこで眠っています。
父が死んだ後、母はふたたび浄土真宗に改宗し、現在に至っています。
(城島明彦)