城島明彦の「怪し不思議の〝気になる日本語〟」
使いづらい言葉、発音しにくい表現は、次第に消えていくが、今日使われている若者言葉はどうだろう。
〝門久勇太郎(もんくいうたろう)〟こと城島明彦が、つれづれなるままに「気になる日本語」を挙げ、独断と偏見に満ちた寸評を加えてみた。
○エロカワイイ
改めて説明するまでもないだろうが、エロチックな衣装で歌うセクシーな歌手、倖田來未を評する言葉で、2006年の流行語大賞にも選ばれた〝傑作新語〟である。大賞の対象語は「エロカッコイイ(エロカワイイ)」。
エロは「淫靡な」イメージだが、かわいいには「清純」とか「無垢」なイメージがある。
「アホバカマヌケ」のように類似の言葉を連ねることはあったが、本来、相入れないはずの二語を合成し、造語にしてしまったところに新鮮さが感じられる。
矛盾する二語を、ただ連結すればいいのかというと、そうでもない。
「ボケカワイイ」の場合、その対象が天然ボケの若い女の子なら「面白い」と思われるかもしれないが、本当のボケ老人が相手となると、「愚弄している」「小馬鹿にしている」「差別」などと受け取られてしまう。
「エロドスケベ」のように類語を二つ並べるのではなく、関連性のない言葉を二つくっつけてみる。
たとえば、「アホカワイイ」。
「かわいいアホ」というと、ストレートで、いわれたほうはグサッとくるが、「アホカワイイ」となると、憎めない感じになる。
「ブスドスケベ」のように、どちらもマイナスイメージのものをくっつけたり、「クソババ」「クソジジ」のようにどちらも汚なそうな響きの言葉をくっつけるのはよくない。
そういえば、昔、インスタントラーメンのCMで、「おいしい」ことを「バカウマ」と表現したCMがあったが、これは流行語大賞には選ばれなかった。
○キモイ
当初、「気持ちいい」の略かと思ったが、違っていた。
「気色悪い」「気味悪い」「気持ち悪い」といった意味。
この表現がはやりだした頃は、
「何だ、この言葉づかいは」
と思ったが、「肝」(きも)」の不気味な感じを連想させるのと、「キモイ」と声にだしていったときの音の響きが、いかにもそれっぽい感じがする面白さがある、と最近思うようになった。
しかし、「気分が悪い」を「キブイ」という人はいない。
応用を考える場合、「くさい」「まずい」「こわい」「さむい」「つらい」など、心身によくない状態を言い表す言葉で、末尾が「い」で終わる言葉には3文字が多いことから、「きたない」→「きたい」となってもおかしくないような気もするが、なにか変だ。
「けったくそ悪い」を「けったい」としたらどうかと思ったが、関西で使われている「奇妙な」という意味の「けったい」という言葉はすでに存在するので、「ケタイ」にしたらどうか。
しかし、それもピンとこない。
類語として「モツイ」というのはどうだろう。モツ煮込みの、あのモツからの連想である。
○うまい
日本語を乱れさせたA級戦犯は、テレビのCMと「バラエティ番組」である。
バラエティ番組に登場するタレントたちの下品な言葉づかいが若者たちに与えた影響は、看過できないものがある。
食事やおやつを食べて美味だったとき、口にする言葉は「おいしい」と思っていたら、いつからだろうか、下品さを売り物にした出っ歯のお笑い系女性タレントが、「うまい」「うまい」を連発するようになり、やがてそれが伝染して、上品な顔立ちの女優やタレントたちまで「うまい」と平気でいう時代になった。
彼女らは、「食べる」というべきところを、「食う」と平気でいう。
なんとも、下品で情けない時代になったものだ。
パソコンで「うまい」と入力して感じに変換する場合、「上手い」「美味い」「甘い」「巧い」「旨い」「甘い」という候補が出る。
「旨い」という言葉はまちがいではないが、男言葉である。
自分自身にいうぶんには構わないが、人様がいるところで「うまかった」といってはいけない。
男でも、ごちそうになったときには、「おいしかったです」というべきで、「うまかったです」というべきではない。ましてや妙齢の女性が「うまかったです」などとは、口がさけてもいってはいけないのである。
女性は「おいしい」といわないといけない。
大口をあけて笑うときや、ものが口に入った状態で話さねばならないとき、女性は手を口にあてるのがマナー。
それが「女性のたしなみ」というもので、「おいしい」という言葉も同様。
〝ブログの女王〟と呼ばれている才色兼備の若い女性が、テレビ番組の中で、しばしば「うまい」と口走るので、そのつど筆者は不快になったものだ。
ある料理評論家のように「おいしゅうございました」とまで丁寧にいう必要はないが、少なくとも「うまい」などと口走ってはダメである。
○ウザイ
「うざったい」を略したものだが、「煙たい」「煙ったい」→「けむい」と転じてきたいい方に近いものが感じられる。
しかし、「かったるい」を「カタイ」とはいわない。
筆者は少年時代を三重県で過ごしているが、キモイとかウザイと似たような三文字言葉の「マブイ」という言葉を使っていた。
「まぶい」は沖縄や奄美大島で「魂」を意味する言葉らしいが、転じて「心が通う」という意味になり、「マブダチ」は「心の通った真の友」の意味になる。ダチは「友だち」の「だち」だ。
「うざったい」が「ウザイ」なら、「うるさい」は「ウサイ」か?
○~ていうか
「~ていうか」は、漫画風の表現で、「~ちゃって」「ったく」「~ってか」の同類。
「ったく、元彼って、バカっていうか、ドジっていうか、なんちゃって」
縮めて「~つうか」という使い方もされる。
断定する自信がないときに使うっていうか、それまでの話をごまかすときに使おうとするっていうか、あいまいにする意味で使いたがる、ってか。
○私的(わたしてき)には
普通は「してき」としか読めない。
こういう使い方は、日本語にはない。
あきらかに間違った、おかしな言い方なのだ。
「愛的場面」のような中国語風のいい方のように思えなくもないが、どう考えてもおかしないい方。
「私」といえばすむが、そういうのがどうしてもいやなら、「私としては」というべきである。
「彼的には」「ピカソ的には」「魚的には」「野次馬的には」と同じ言い方をしているわけで、日本語にうるさいはずの作家やかなりインテリと思われている複数の文化人が、テレビに登場して使っているのは違和感がある、というより不快である。
○何気に
「なにげに」という言い方が若い人たちの間で使われだして間もなくの頃、たけし軍団の一人がテレビ番組の中で使うのを聞き、違和感を覚えたことがある。
若者が使うのならわかるが、彼は四十代。怪談話が上手な男だ。
彼は、何十年も「何気なく」といってきたはずで、「何気に」などという表現にはなじめないはずなのに、当然のごとく使ったので、おおいなる違和感があった。
自分は流行に敏感で、若者言葉を自由に使いこなせるとでも思わせたかったのだろうが、「情けない男だ」としか感じなかった。
そして、「こういう男がテレビで使い、こういうふうにして広がっていくのか」と皮肉な意味で納得したものだった。
本来の言い方である「何気なく」「何気なしに」は、「何の気もなく」「何の気もなしに」という意味の美しい日本語である。
どこをどう略したらそうなるのか、理解に苦しむ。
「美しい国・日本」
をめざすのなら、
「美しい日本語」
を破壊する表現もやめさせる教育をしないといけない。
「何気に」などという表現は、その最たるもので、容認しがたく、
「『せわしなげに』は、どう略すのか? 『せわげに』か」
と毒づきたくなる。
○食べれる
ら抜き言葉の普及を加速させたA級戦犯は、コンビニだったか、ファミレスだったかよく覚えていないが、CMであった。
CMの最後に出る企業名の前に「飲める、食べれる」といったような語呂合わせ風の言葉が流れるCMがあった。
その企業は、新聞や雑誌で「ら抜き言葉」が問題視されるようになってからも、平然と長期間にわたって続けていた。
今ではもう流れていないが、小さな子供たちに与えた悪影響は、はかりしれないものがある。
「食べることができる」という意味の「食べられる」であって、「食べれる」ではないのだ。口でいうといいづらいことは確かだが、だからといって、テレビCMや雑誌広告などでわざと「食べれる」と表現することはいけない。
こんなことをいう筆者は、古すぎるのであろうか。
○~じゃないですか
これを連発すると、話が長く、まどろっこしくなる。
にもかかわらず、連発する女性アナウンサーが結構いる。
「じゃないですか」という言葉は、本来は語尾を上げて相手に質問するいい方だが、流行語としての「じゃないですか」は語尾を上げないのが特徴。
相手に同意を強要するニュアンスが含まれるので、いい表現ではない。
たとえば、「朝顔は美しいじゃないですか」といわれても、全員がそうだと思っているわけではないのだから、迷惑な話なのである。
もっとひどくなると、「うちの台所に洗面器が置いてあるじゃないですか」のようになる。
そんなこと、相手は知るはずがないのである。
○めっちゃ
「めっちゃかわいい」などと使い、「超」と同義語である。
めっちゃは、「めちゃくちゃ」が縮まったものだが、「めちゃくちゃ」は「無茶苦茶」から転じたもの。
つまり、「めっちゃ」は「無茶」から転じたと考えられないか?
昔、吉本興業に花菱アチャコという名漫才師がいたが、彼の飛ばした流行語に「むちゃくちゃでござりまするがな」というのがあった。
そういえば、以前は「めちゃんこかわいい」といっていなかったか。