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2006/06/18

お知らせ

 城島明彦(作家)の『雑記帳』を訪問してくださった皆さんへのお知らせです。
 
 これまでブログに発表してきた作品を大幅に整理・削除して、各テーマごとに5項目としました。

 したがって、欠番になっているものは削除されたとお考えください。

 (2006年6月18日 記)
 

2006/06/13

「幸せって何だ?!」――(番外編)杉山登志

 城島明彦が書いているブログ「幸せって何だ?!」に、杉山登志のことを取り上げたら、一日にたくさん訪問者があり、驚きました。
 どこかの大学で彼のレポートを出すようにでもいわれたのかと思いましたが、彼のことを知りたい人がたくさんいると解釈して、もう少し書き足すことにしました。

杉山登志の自殺の原因は何か?

(1)「鬱病」説
 杉山登志は、〝鬼才〟とか〝CM界の黒澤明〟といわれた人です。
 彼はきわめてナイーブな神経の持ち主であり、〝先天的な欝気質〟があったのではないでしょうか。
 そういう気質があると、ちょっとしたきっかけで〝死の誘惑〟にとりつかれることがしばしばあるのです。
 なぜそんなことがいえるかというと、筆者自身がそうだからです。

(2)「女」説
 杉山登志は、売れっ子のイラストレーターとあるモデルをめぐって、血みどろの奪い合いをしたことがあります。
 有名な話で、杉山はその女と婚約していたのですが、そのイラストレーターに寝取られてしまったという事件です。杉山の繊細さに彼女は息苦しくなったのではなかったでしょうか。
 杉山登志は一度結婚していますが、すぐに破綻し、死んだときは独身でした。
 その元妻の証言に、こういうのがあります。
 杉山が死んだという情報がもたらされたとき、ロンドンにいた彼女は、「やっぱり」と「まさか」の相反する二つの言葉を口にしたというのです。田原総一郎が追悼本に書いている話です。彼女の談話は、こうなっています。

「彼、音楽聞いている最中などに、突然、一緒に死んでくれるか、とわたしに聞いたりして……。真剣な顔なのよ。わたしが驚いて、返事に困っていると、すぐにやさしい笑顔になって、冗談だよ、ってね」

 この話から太宰治を連想する人もいるでしょう。
 太宰は、何度も心中未遂をした挙句、最後は既遂ということになりました。
 太宰も明らかに欝病質であり、何かの拍子に〝死の誘惑〟を受け続けたのでしょう。
 死の誘惑を断ち切れるかどうかは、自分自身が「もうこれで十分だ」「おれは、やるべきことはすべてやり尽くした」と判断できるかどうかによると筆者は考えています。
 太宰治や杉山登志は、おそらく、そう判断したのでしょう。
 死にたいと思いながら、のうのうといき続けるのは、「まだやり残していることがある」と考えるからですが、「そういう未練など、どうでもいい」と思うときがあります。
 そうなったとき、人は「発作的に」自死の道を選ぶのです。

(3)「会社内のゴタゴタ」説
 杉山登志は、日本天然色(通称「日天」)の役員(専務)でした。経営陣の一員であると同時に演出家でもあったのです。
 そこにジレンマが生じ、加えて、部下のクリエーターたちと社長たちとの間で板ばさみになる立場にあったと推測できます。
 〝きれいな〟コマーシャルを作っている一方で、社内にはいろいろ〝汚い〟問題があったといわれています。
 今日では、一流のCMディレクターは破格のギャラを取っていますが、当時の社員ディレクターの給料は安かったのです。その割に仕事はハードで、会社にこき使われている状況でした。
 その結果、社員に不満が鬱積し、杉山はつらい立場にいたのです。
 杉山登志の遺書にある「嘘をついてもばれるものです」という言葉の裏には、こういう現実があったのです。

 〝当代一の売れっ子CMfディレクター〟だった杉山登志が、37歳という若さで自死の道を選んだ原因は、これら複数の原因が重なっての結果だと考えるのが自然でしょう。

2006/06/01

「幸せってなんだ?!」――(10)偽りの幸せ

 杉山登志(とし)という名を聞いて、どんな人物であるかを即座に説明できる人は、おそらく、ごく限られた業界の、それもかなり年配の人たちだけでしょう。
 杉山登志は、一九七三年十二月に死去したCM界の超売れっ子だった人です。享年三十七。彼は、自ら命を絶ったのです。遺書は、机の上の原稿用紙でした。
 そこには、手短にこう書かれていました。
 
   リッチでもないのに 
   リッチな世界などわかりません
   ハッピーでもないのに
   ハッピーな世界などえがけません
   「夢」がないのに
   「夢」をうることなどは……とても
   嘘をついてもばれるものです

 彼の死後二週間ほどして、朝日新聞は写真入りで大きく報じました。以下はその一節です。
 《日大芸術学部の学生時代からこの世界にはいり、日本天然色映画会社のディレクターとして、十三、四年もCFを作り続けてきた。発想のうえで、技巧のうえで、いつも、ずば抜けていた、といわれる。
 資生堂・女性化粧品のテレビCFは、ほとんど彼の手になる。たとえば、今秋のアイ・メイクのシリーズ。図書館で、軽井沢で、中学生の男の子が、ふと、中年の女性と目があい、淡い恋心をいだく……。ほかに「のんびり行こうよ、世の中は」のガソリン。「いいじゃないか」の車。
 妻や子はいない。最近、繰り返し聞いていたレコードがあるという。「長くつらい旅だったでしょうね」という意味の言葉ではじまる、女性歌手ヘレン・レディの「長くつらい登り道」である。》
 ヘレン・レディは、七〇年代前半にリリースした「私は女」「ひとりぼっちの哀しみ」「アンジー・ベイビー」「デルタの夜明け」の四曲が全米チャート一位に入った売れっ子のポップス歌手で、当時、オリビア・ニュートンジョンと人気を二分していましたが、「長くつらい登り坂」はそれほどヒットした曲ではありませんでした。
 筆者は、杉山登志の追想本を所蔵しています。写真がいっぱい入ったグラフィティで、亡くなってから五年後にパルコ出版局から上梓された『CMにチャンネルをあわせた日――杉山登志の時代』という本です。
 野坂昭如(作家)、田原総一郎(評論家)、小林亜星(作曲家)、横須賀功光(写真家)ら、そうそうたる人たちが一文を寄せています。
 この本を買ったのは、杉山登志を描いたテレビドラマ「ザ・スペシャル 青春の昭和史Ⅱ 30秒の狙撃兵」(一九七九年十二月十五日テレビ朝日で放送)を見て感動したからでした。中村雅俊が杉山登志を演じました。
 筆者がソニーの宣伝部に在籍していたときのことで、以前上司だった人に「演出が見事だった」とドラマの感想を述べたところ、「あれは、俺の兄貴(河野宏。二〇〇一年死去)が演出したんだよ」というので、驚いてしまいました。

   ハッピーでもないのに
   ハッピーな世界などえがけません

 杉山登志の詩のような絶唱が、筆者の心に今もぐさりと深く突き刺さっています。
映画や音楽や小説をクリエイトする人間は、それらを見たり聞いたり読んだりする人たちに「夢」を売っているといってよいでしょう。そんな人間が実生活で幸せでなかったら、作品を鑑賞してくれた人たちの思いを裏切ることになります。
 俳優や歌手も同じです。彼らもまた、人々に夢を売り、人々を幸せな気持ちにさせるのが仕事です。
 人々に夢や希望を売る職業に携わる以上、私生活でも大きな夢を持ち、幸せを実感していないと、幸せな情景が満ちあふれた作品を創ったところで、どこか嘘っぽいものになってしまいます。
 プロですから、うまくごまかしてはいますが、そうすることで悩み、苦しみ、自分を傷つける結果が待ち受けています。
 虚飾の幸せ――一言でいうと、「ふりをする」「演じている」ということですが、作品と現実とのギャップが大きければ大きいほど、作り手の自責の念は強く激しくなります。そしてその重みに耐え切れなくなったときに、クリエイターたちは自死を選ぶのです。筆者はそう考えています。

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