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2006/05/07

「幸せって何だ?!」―(5)立原道造の「幸福」

 立原道造(たちはらみちぞう)という詩人がいました。
 彼の詩集『優しき歌』のなかに、「夢みたものは……」と題された美しい詩があります。

   夢みたものは ひとつの幸福
   ねがったものは ひとつの愛
 
   山なみのあちらにも しづかな村がある
   明るい日曜日の 青い空がある

   日傘をさした 田舎の娘が
   着かざって 唄をうたってゐる
   大きなまるい輪をかいて
   田舎の娘らが 踊りををどってゐる
  
   うたって告げてゐるのは
   青い翼の一羽の小鳥
   低い枝で うたってゐる

   夢みたものは ひとつの愛 

 立原道造という人について何の予備知識も持たないで、この詩を解釈すると、次のような意味になります。
 「夏のある日曜日、旅をして山あいの小さな村を訪れた青年が、きれいに着飾った娘たちが日傘をさし、輪になって歌を歌いながら踊っている光景に出会う。
 彼女たちを眺めながら青年は、自分が若くて美しい娘と恋に落ちる幻想にふけり、幸せなひとときを送る」
 しかし、彼の人生を知ってしまうと、違った意味になってきます。
 立原道造は、二十四歳の若さで夭折(ようせつ)した詩人です。
 生まれたのは一九一四年(大正三)、亡くなったのは一九三九年(昭和十四)。府立第三中学(現両国高校)の一年生(十三歳)のときに北原白秋の門下生になり、優れた短歌や詩を発表するようになる才人ですが、理数系の勉強もよくできて、第一高等学校の理科を経て東京帝大(現東大)工学部建築学科に進みました。
 一九三七年に帝大を卒業した道造は、建築技師として石本設計事務所に勤めます。
 このあたりの感覚は破滅型の文人と違います。
 そして彼は、そこでタイピストをしていた三戸部(みとべ)アサイという女性と出会います。
 「夢みたものは……」の詩を収載した詩集『優しき歌』が創られたのは、死ぬ前年の一九三八年(昭和十三)の夏。肺尖カタルを患い、信濃追分で療養していたときです。アサイと恋に落ちたのは、その年の春でした。
 肺尖カタルは肺結核の初期症状ですが、結核は、当時きわめて死亡率の高い伝染病として人々に恐れられていました。
 こうした事情を頭に入れて詩を読むと、詩の意味が変わってきます。こうなります。
 「一人の白皙(はくせき)の青年が、大きな木に寄りかかっている。
  梢(こずえ)には一羽の小鳥が止まり、さえずっている。
  結核に冒された青年の顔は青白く、そこに木の葉の緑色が陰を落とし、いっそうはかなげに見える。
  死の影におびえた青年と対照的に、村娘たちの顔は生気に満ち、生命力にあふれている。
  彼女たちは、はつらつとして歌い踊っている。
  青年は、彼女たちをうらやましく思いながら、恋人の面影を思い描き、これからの二人の幸せな暮らしを夢想している」

  

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