年賀状を書く気力・体力がないので、今年は欠礼致します
憎まれ口や軽口ばかり叩いているうちに、だんだん年をとった。
特にここ数年は、めっきり体力も気力も落ちてきた。
というわけで、今年は賀状を書く元気がない。
賀状のやり取りをしている親戚、友人、知人の皆さま方、
そういうわけで、2020年の年賀状は出せませんので、悪しからず。
(城島明彦)
憎まれ口や軽口ばかり叩いているうちに、だんだん年をとった。
特にここ数年は、めっきり体力も気力も落ちてきた。
というわけで、今年は賀状を書く元気がない。
賀状のやり取りをしている親戚、友人、知人の皆さま方、
そういうわけで、2020年の年賀状は出せませんので、悪しからず。
(城島明彦)
世間のジ~ジもバ~バも、負けずにしっかりせんかい!
先週の土曜日(12月14日)、成城学園まで出かけて行った。
成城学園前駅のすぐそばにある古いビルの2階にある中華料理店「桂月」で開かれた「東宝助監督OB会」に出席したのだ。
私は、物書き専業になる前はソニーに勤務していたが、その前は東宝で映画の助監督をしていた。
といっても、わずか3年間だが、それでも「OB」とみなしてもらって、毎年、「忘年会のお知らせ」の往復はがきが届く。
以前は、「東宝監督会」という集まりが別にあったが、東宝が自社では映画を作らなくなって、専属監督になる者が出なくなり、すでに監督になっていた人も高齢となって死去したりして人数が減ってしまったので、「東宝助監督OB会」という集まりに一本化したのだ。監督になる前は助監督だったというわけだ。
しかし、その「東宝助監督OB会」も年々、高齢化が進み、全員70代を超えてしまい、鬼籍に入る人も増えている。
そんなわけで、今年の参加者は9名しかいなかった。
最高齢は谷清次さんで、自分は90歳だといい、
「73歳のときからオペラを習い始めたので、声がよく通るようになったし、耳もいいから人の話し声もよく聞こえる」
と胸を張っていた。
次いで恩地日出夫さんは1933年1月23日生まれ。ということは、もうすぐ87歳だが、
「この歳になると若い者を使って撮る気にもなれず、草笛光子と山崎努を使ったジジババ映画を撮る準備を進めている。君らもエキストラで出ないか」
と気炎をあげたのだから恐れ入る。
草笛光子は、恩地さんと同い年で1933(昭和8)年生まれ。
山崎努は1936(昭和11)年生まれ。
若い人は知らないというかもしれないが、明治生まれの俳優で、ヨボヨボした爺さん役が板についていた左卜全(ひだりぼくぜん)が死んだのは77歳である。
彼と比べると、山崎努や草笛光子は見た目が断然若い!
恩地さんは30歳で監督になったそうで、その頃私はまだ中学生だったが、「恩地日出夫」という名前は当時から知っていた。。
吉松安弘さんも恩地さんと近い年齢だが、耳が聞こえなくなったといっていたのに、今年の夏頃、電話をもらったが、
「学童疎開の原稿を書いた」
というので驚いた。原稿(400字詰め)枚数を聞くと、
「400枚」
どうして今、「学童疎開」なのかと聞くと、
「人からの伝聞でいいかげんなことを書いた本が多いが、自分は体験者だ。体験者にしかわからないことを書き残すのだ」
う~ん! 「人生100年時代」を地で行く話ではないか。
意気軒高とは、こういうことをいうのかと、恐れ入った次第だ。
巷には団塊世代の高齢者があふれかえっているが、そのほとんどは「やる気が空回り」して、〝半ばゾンビ化〟したかのように、私には見える。
若い者や壮年期の人間が元気なのは当たり前。
高齢者がヨタヨタしていたら、日本はダメになる。
孫たちから「ジージ」「バーバ」といわれて、ヘラヘラしてんじゃねえぞ!
こういう話に刺激を受けて、奮闘努力してもらいたいものだ。
しっかりシンドバッド!
と、これは私自身への叱咤(しった)でもある。
(城島明彦)
あの世が近づいているのか!?
年をとったと感じるのは、どういうときか。
20代、30代のときではない。
40代、50代でもない。
60代以降の話だ。
若い頃と比べて、無理がきかない。
足腰が弱ってきた。
膝が痛むようになった。
急な坂道を登ると、動悸が激しくなる。
毛髪量が減ってきた。
皮膚が汚くなってきた。
歯が弱ったり抜けたりしてきた。
――いちいち挙げるとキリがないが、これらは肉体的な衰えだ。
御年73歳と完全な老境にある私がしばしば思うのは、そういったことではなく、
「一日が速く過ぎていく」
ということだ。
若い頃は、ゲームなどに夢中になり、ふと時計を見て、
「えっ、もうこんな時間か」
と思った感覚とはまるで違う。
60歳を過ぎたあたりから、時間が速く過ぎていくことを実感するようになった。
特に最近、そう思う。
ワープロに向かって原稿を書くスピードが遅くなったわけではないが、時間が過ぎていくのが速いのだ。
道を歩いていても、レストランで食事をしていても、やはり同じように感じる。
日が短くなった冬の今は、余計そう感じる。
ふと外を見ると、先ほどまで明るかった窓の向こうが真っ暗になっている。
あの世が近づいているのかもしれませんなあ。
♪ あの世はだあれ だれでしょね ってか
頭の中がコンラッズ、山中毅(つよし)がんばれ、コンラッズを負けるな!
ん? 一体、いつの話をしているのか。ローマ五輪の水泳で銀メダルや!
チクタク チクタク ボ~ンボ~ン 煩悩よ去れ!
(城島明彦)
江戸時代、鎖国で独自の日本文化が花開いた
つくつくぼ~し つくつくぼ~し つくりんしょう~っ! しょうタイムだ。
夏すぎて 冬来(き)にけらし 白雪の ころもといえば 天ぷらのことか
諸君、がんばっているかな。
本日の「日本史講座」は、江戸時代の「浮世絵画家づくし」だ。
憂き世が浮き世に変わるように、小休止だァ!
声楽家の先輩と音痴の後輩の会話という設定。
「いつ聞いても、先輩の歌麿(歌、まろ)やかでんなァ」 ※喜多川歌麿
「あ、北斎(あほくさい)。立ち聞きかよ」 ※葛飾北斎
「英泉(ええ線)いってましたがな」 ※渓斎英泉
「黙れ、写楽(しゃらく)さい。広重(疲労し、げんき〈元気〉)がないから、聞かれたくなかった」 ※東洲斎写楽、安藤広重
「正味、聞き惚れましたんや」
「豊国(特に)自慢できる曲ではない。途中で腹は春信(張るの、ぶっ)と放屁はするの、最悪だった」 ※歌川豊国、鈴木晴信
「愛想のない先輩や。清長(気を長)~く持っておくんなさい」 ※鳥居清長
(城島明彦)
受験生諸君、どれだけ知っているかな?
私が、頭狂大学の迷物講座「日本臭教史」の狂呪でアールデコ。
本日のテーマは、日本の宗教史を飾る立派なお坊さま方だ。
そそらそらそら、そそうのないようにな。
では、さっそく参ろうかの。
「あゝ、すっきりした。良弁(良便)やった」 ※良弁:ろうべん、良便:りょうべん
「もっと行基(行儀)よくしないか」 ※行基:ぎょうき
「親鸞(知らん)がな」
「元気でやっているようだな。鑑真、鑑真(感心、感心)」
「それが道元(どげん)した」
「急に九州弁を使うな! 一休(一球)入魂だァ! 日々練習! 朝練、夜練、日蓮(日練)だァ!」
「また説教か。今年は法然(豊年)万作や。練習の前に、なんか空海(食うかい)?」
「ごまかそうったって、そうはいかん。法然 (骨)が折れる奴だ。一遍(いっぺん)、しごいてやる!」
「空也(食うや)食わずでは、走れまへん」
「食う前に走るんだっちゅうの! 目指すは、最澄(最長)不倒だ」
「かんべんして。ションベンが出そうになってきた。このあたりで、もう叡尊?」
「だめだめ、いっしょに連れションだ。蓮如(連尿)だ」
(城島明彦)
年末から正月、趣味が高尚ですまんのう
今年も、残すところ、わずかじゃのう。
どこで鳴らすか鐘の音(ね)が、陰にこもってゴーン! カルロス・ゴーン!
Gone With The Wind!
ヘックション! 風邪とともにセリーヌ!
街のどこかでジングルベルの鈴の音が。
♪サイレン無いと ホラーナイト
歌声も高らかに、凡才パカポンと鈍才ぽこぺん登場。
「わしの頭はボッケリーニ。小便すれば、あっちこっちへドビュシー。ついでにウンコも」
「便の状態は?」
「ショスタコビッチ。おかげで、ケツのまわりはベートーベン」
「ところで、ご飯はマーラー?」
「まだだよ」
「ショパン(食パン)がいい? 元関取がやってるチャイコフスキー(ちゃんこ好き)?」
「もつ鍋はどうだ。おうちにモーツアルト?」
「少し傷(いた)んでヘンデルだけど、あるよ。ハイ、ドンぞ」
「いつもシューマンのう」
「このバッハ者が。シューマイ蒸さずに、娘のブラジャー蒸してどうする?」
「それしきのことで、さっ、さワーグナー(騒ぐな)! これがホントのブラームスだい。チャンチャン!」
――おあとがよろしいようで。
(城島明彦)
ここはどこ? 御殿場? 踊り場? いいえ、土壇場で~す
どこかで麻雀パイをかき混ぜる音がする。
「アポーッ」
といいながらリーチをかけたのは、ジャイアント馬場ではないか。
すると、アントニオ猪木が、
「ロン」といった。
「アポーッ」「ロン」という地上の大声は、天上まで届いた。
「誰だ、軽々しくワシの名を呼ぶのは!」
雲の上に姿を現したのは、太陽神アポロンである。
と、そこへ、
「はあ、ぽっくん、ぽっくん」
といいながら、妙なおっさんがやってきた。
「ココロのポス」だった。
ココロのポスは、女神ヘラをみつけると、へらへら笑って、
「わしはここにおる、オリンポス」
と話しかけた。
「静かにセネガル」
太陽神アポロンが怒り、あたりを見回して、
「ギリギリガールズの姿が見えぬな、今日は」
といった。
すると、マーキュリーったらギッチョンチョンでパイのパイのパイが鼻歌を歌った。
♪義理がすたれば この世は闇だ
なまじ止めるな 夜のア~メン・キャバレロ
マーキュリーはローマではそう呼ばれたが、ギリシャではヘルメスなのだ。
そのヘルメスにアポロンが命じた。
「お前は好色すぎるから、今日からHを剥奪する」
かくて、商業神ヘルメス(Hermes)はエルメスとなったのだ。
お~、イヤーッ! 祖谷(いや)の「かづら橋」!
アポロンは、次に冥界神ハデスにいった。
「お前は派手すぎる。名前を変えろ。アホデスかバカデスか、どっちかにしろ。セルジオ・メンデスでもいいぞ」
「私は頭痛持ちなので、セデスがいいです」
続いてアポロンは、女神アルテミスを呼んだ。
「おまえは、いつも完璧だと威張っておるが」
と前置きして、関西弁でいった。
「ノーミスやない。あるて、ミスが。よって今からミスダラケという名に変えろ」」
――今日も、オリンポスの神々は平和であった。
(城島明彦)
何番「張り差し」をすれば気が済むのか? 朝乃山の爪の垢でも煎じて飲め!
「バチン」
白鵬の張り手の大きな音が場内に響き渡る。
来る日も来る日も「張り差し」だ。
左顔面に衝撃を受け、動きが止まった御嶽海を組み止め、すかさず外掛け。
御嶽海はあっけなく土俵に倒れ、白鵬は千秋楽を待たずに大相撲九州場所14日目で優勝を決めた。
「横綱の相撲じゃない。気分が悪い!」
そう呟いて、私はテレビを消した。
その点、朝乃山の相撲は、観ていて気持ちがいい。爽やか相撲だ。
がっぷり四つに組んで渡り合う。
双葉山、大鵬、貴乃花……名横綱といわれる過去の横綱たちの相撲は、令和の朝乃山が受け継いでいる。
朝乃山よ、早く横綱になれ!
そして「これが横綱相撲だ」という相撲を見せてくれ!
なぜ他の力士は白鵬に張り差しを見舞わないのか!? 見舞えないのだ!
横綱ということで、遠慮しているからだ。
それをいいことに、白鵬は張るわ張るわ。
対戦相手が張ってこないとわかっているから、毎度毎度、張りにいく。
一種のパワハラである。あざとい、底意地が悪いといってよかろう。
格上の力士が格下の力士に見舞うことはあっても、格下の力士が格上の力士を見舞うことは極めて少ないということも、重要である。
「張り差し」や「張り手」がいくら公式技として認められていても、顔を張られた方の力士は頭に血がのぼる。
なかには、張り返す力士もいる。
張って、張り返し、また張り返す……そういう勝負も過去にはあったが、醜い限りだ。
側頭部は、危険だ。脳震とうを起こしたり、中耳炎になったりする。
ためしに、自分の手のひら(すこし丸みを帯びる形にする)で、ちょっと強めに自分の耳を覆うように張ってごらん。
耳が塞がれ、頭の奥がぼわ~んとした感じになる。
ちょっと張るだけで、これだ。
力士の力は半端じゃない。側頭部への殴打は、脳震とうで済まず、死に至るケースもあり得るのだ。
そういうことがわかっていて、連日のように狙うのだから、横綱失格だ。
朝乃山は、こざかしい手を使わず、正々堂々とした相撲を取る。
小結にして、すでに横綱の風格がある!
白鵬も少しは見習ったらどうか。
いや、その程度ではダメだ。朝乃山の爪の垢をもらって、煎じて飲め!
(城島明彦)
♪アリのマーマの姿みせるのよ~っ?
A「時代じゃのう」
B「いきなり、何を構えている?」
A「ジジイはジージ、ババアはバーバだと?」
B「そういわれると、悪い言葉には聞こえないな」
A「じゃあ何か、『アリババと40人の盗賊』は『アリバーバと40人の盗賊』か」
B「アリババは固有名詞だから、アリババのままでいいんだ」
A「ありのままでいいってことか?」
B「♪ありのままの姿みせるのよ~」
A「おっと、待った、マツタケ食いねぇ、川口松太郎」
B「古いな。川口松太郎なんて作家、今の若いもんは誰もしらねぇぞ」
A「今度は歌手の白根一男ときたか、なつかしいなあ。いや、そんなことはどうでもいいんだ。今、なんて歌った?」
B「♪ありのままの姿みせるのよ~」
A「おかしいじゃないか。ババがバーバなら、ママはマーマだろうが。アリのマーマと歌わないと差別になるぞ」
B「けったいなやっちゃな」
A「急に関西弁使って、どないするんや」
B「馬鹿だねぇ、アリのママじゃない、『素』という意味の『ありのまま』だ」
A「すといえば、ギター片手に『オッス!』といって登場した田端義男がいたな。♪波の背の背に 揺られて揺れて~ってか」
B「馬鹿だねぇ、まったく。底抜けのバカだ」
A「バカは死ななきゃ なおらない~ってか。じゃあ、床屋はどうだ?」
B「バーバーだ」
A「♪街のあかりが とても綺麗ね ヨコハーバー ブルーライト ヨコハーバー
B「バカだねぇ、天井知らずの大バカ者だ」
A「いやん、バカん。ジジイがやっているのに、バーバーとはこれいかに」
B「ババアがはいてもジーパンというが如し。なにいわすんや」
A「まだまだあるぞ。お前のパーパは頭がパーパだ。♪ちいちいパーパー ちいパーパー スズメの学校の先生は」
B「パパやママはそのままでいいんだ。ジージ、バーバというと、ジジ、ババより柔らかい感じになるだろ。傍線効果ってやつだな」
A「傍線を入れたらいいんだな。クーソジージにクーソバーバでどうだ! ノーグーソー、ネーグーソー、ビーチーグーソーってのもあるな」
B「長すぎて下品だからダメッ!」
A「長すぎ? いや、それでオッケー。糞だから流すのだ」
(城島明彦)
瞬殺技に遠藤たまらず崩れた! 何とかしろ、相撲協会! これで相撲といえるのか!?
左で張り差し→右で張り手→左手で肘打ち→遠藤、衝撃で崩れ落ちる
というのが、大相撲九州場所12日目の白鵬対遠藤戦の推移だ。
さすがに解説の舞の海も、あきれたように
「こんなことをする横綱は見たことがありません」
とコメントしたが観ている方は、白鵬の一連の動きが動きが速いから、どういう技で遠藤が前に崩れ落ちたかまではわからない。
そこが白鵬の狙いだ。
白鵬は「根っからの悪」なのだ!
舞の海は、これからも、もっと厳しく言い続けないとダメだ。
NHKのアナウンサーはボキャブラリーが不足しているふりをしているのか、「荒々しい相撲」とか「激しい相撲」としかいわないのも不思議だ。
まともな神経ではないないのだろう。
だがそのアナウンサーが、この日の十両の勝負結果を語っているときに、「この日の十両の取り組みで張り手で負傷した」といっていたが、力士の名前は聞きそびれた。鼓膜でも破れたのか?
そういう大事なことは、もっと詳しく言わないとダメじゃないか。
白鵬が連日連夜にわたって、「張り差し」やら「張り手」やら「かち上げ」やらをやり続けるから、下位の力士が真似をしているのだ。今場所は、張り差しをする力士が多い。
ほとんどの観客は、来る日も来る日も「白鵬の張り差し」を見せられたら不快になる。
だが、そういう基本的なことが、力士や相撲協会はなぜわからないのか。
見ていて不愉快になる白鵬の張り差しを封印させるには、アナウンサーや解説者が声を大にして中止をくり返し、観客などのブーイングが大きくなるしかない。
そのうち、「張り差しで力士が脳震とうを起こし、病院にかつぎ込まれて死んだ」という事態が起きないという保証はない。
こうなったら、誰か犠牲になれ! と、いいたくなってくる。
そこまでいかないと、相撲協会は対策を考えられないのか。
(城島明彦)
「大臣が辞任しても首相には任命責任」がないといっているのと同じだ!
麻薬取締法違反で逮捕された女優沢尻エリカ事件に関して、フジテレビ系「とくダネ」で司会者の小倉智昭がバカなことをいった。
スポーツ報知オンライン版から引用。
《フリーアナウンサーの小倉智昭氏(72)は、沢尻容疑者が出演を予定していたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」が混乱していることに「大河ドラマも問題になってるじゃないですか。NHKが無駄遣いをするとみんなたたきますよね、NHKを。大河ドラマ、そのままやってもいいと思う。本人の責任はあるかもわからないけど、周囲の人とか制作者には全く責任がないわけで。それはやるべきだと思うんだけど、おかしいかな、この考え方。音楽とかもすぐに発売禁止になるでしょ」とコメントした。》
周囲の人とは他の共演者のようにもとれるが、こういうことをいう奴がいるから、芸能人はつけあがる。
小倉智昭のように、「本人に責任があるだけで、制作者には全く責任がない」などと自信ありげに堂々とコメントするところに、淀み腐ったテレビ界の深層が見え隠れする。それよりなにより、テレビでこういう愚かなことを堂々と言い放つこと自体、狂っている。
小倉は、大臣がいわずもがなのことをいってしまって更迭されると問題などでは、「任命責任」がどうのと、まくし立てる。
ドラマの役は任命するのではないが、似たようなものだ。
NHKには、いっぱいいる女優のなかから沢尻エリカを「選んだ責任」「起用した責任」というものがあることは明々白々。
わかりやすい例でいえば、もし小倉智昭がシャブで捕まったら、プロデューサーや担当役員は「監督不行き届き」で更迭されるし、小倉が出演した番組は、たちどころに放送禁止となる。世論がことのほか厳しい場合には、社長退任という事態に発展するかもしれないし、組織ぐるみが指摘されたら何人もの役員が連帯責任を取らされる。それが企業の社会的責任というものだ。
小倉智昭は、長い間、ニュースも報道しているのだから、それくらいのことがわからないはずがない。
法を犯して逮捕されても、その罪を犯した当人だけで済むという話ではないのだ。
小倉は、甘い。甘すぎる。
沢尻エリカは、ツッパリ時代に「別に」とそっけなく答えて袋叩きにあって反省したと見え、近年は別人のように礼儀正しくなり、愛想もよくなっただけでなく、生来の美貌にも磨きがかかり、女優としての演技も確かなものとなって幅広い役がこなせるようになり、好感度が上がった――かのように見えたから、CMに起用する企業も現れた。
だがそれは、彼女の表面しか見ていなかったということになる。
彼女がクスリをやると、どういう狂態をさらす姿に一変してしまうのかということは、当人や当人とごく親しいクスリ仲間以外には知りえないことである。
沢尻エリカが出演しているNHK大河ドラマをそのまま流してもいいという意見も結構あるようだが、もし許すとなると、犯罪者のテレビ出演は、そういうケースも考慮に入れて判断する必要があるのだ。
極論すれば、出演者が何人逮捕されたとしても、一向に構わないということになる。
さらにいうと、実現の可能性はきわめて低いケースとして、出演者全員が犯罪者ということだってありえなくはない。そうなると、テレビ番組はまるでゾンビ映画だ。
「おかしいなこの考え方」という小倉の方が「おかしい」のだ。NHKに媚びを売ったのか!?
(城島明彦)
「人を見る眼」がないNHK大河ドラマ班に、当然の報い
昔から日本国民にとことん嫌われてきた3代武将は、吉良上野介、井伊直弼、そして明智光秀と相場が決まっている。
そういう人物を主役に据えたドラマを作っても、地元以外では歓迎されない。
明智光秀がなぜ主君信長に反旗を翻して本能寺の変を起こしたのかという肝心の理由がよくわからないから、いかようにも描けるが、所詮、脇役に過ぎず、秀吉や信長のような人気は期待できず、視聴率が惨憺たる結果に終わることは火を見るよりも明らか。
しかも光秀は、人望がなかったから、他の有力武将らにそっぽを向かれ、三日天下で終わってしまった。
秀吉が「主君の仇を討つ」という大義名分を掲げて「中国大返し」という奇跡的なスピードで攻めてきたので、光秀はあわてて逃げようとして落ち武者狩り遭い、農民に竹槍で殺され、あっけなく命を落としたというエピソードも情けない。
光秀は、その程度の人物でしかないのだ。
信長は秀吉を〝はげ鼠〟と呼んだが、光秀に対しては〝きんか頭〟とののしった。
きんか頭の「きんか」は「金柑」で、きんかんのような禿げ頭という意味だ。
同じハゲでも、秀吉は愛嬌があったが、光秀には陰湿なところがあった。
そんな人物を主役にしたドラマに大金を投じてどうするのか。
でもって、沢尻エリカの薬物事件で、これまで撮影した分がすべてパーになった。
その責任は誰が取るのか。
ピエール滝で煮え湯を飲まされていながら、素行調査を怠った罰だ。
沢尻エリカ以外にも、「何かやっているのではないか」と思える危なそうな俳優、女優、歌手、タレントはいっぱいいる。
「あの女優は、真に迫った演技をする」
などと感心するような連中は特に危ない。
かと思えば、俳優ではないが、田代まさしのように、逆に「目が死んでいる」ことでクスリを疑える者もいる。
この際、NHKは、とことん調査してみたらどうか。
いずれにせよ、NHKは民放化したことで、「綱紀」がルーズになった。
たとえば、昔ならNGだった髪型や衣装がまかり通っている。
髪型や衣装が派手になると、行動や金づかいなども派手になり、いつしかクスリに手を出したりするようにもなるのだ。
ごく普通の格好をし、ごく普通の人と仕事や遊びをし、ごく普通の生活を送っている者が、クスリに手を出すことはありえない。
衣装や服装にうるさかった時代のNHKは、清く正しく美しい生き方を是としていたからだが、「あまりにも四角四面で融通がきかぬ」との批判を浴びて、今日のだらしないNHKに堕落してしまった。
その結果が、大河ドラマに起用したピエール滝であり、Eテレにゲスト起用した田代まさしであり、今回の沢尻エリカという〝薬物トリオ〟なのだ。
沢尻エリカの薬物事件は、綱紀がゆるんだNHKで起こるべくして起こった〝氷山の一角事件〟といえる。
昔のNHKに戻れとはいわないが、「そこまでやらなくてもいいのではないか」といわれるぐらいの厳しい規制をかけて、髪形、服装、話し方など、さまざまな点で、民放とは一線を画すべきではないのか。
(城島明彦)
自分から待ったをしたり、相手に待ったをさせるのも、張り差しをする策略か?
テレビで観戦している方がわかりやすいのに、九州場所をわざわざ観に行く現地の人たちは、相撲のことをよく知っている人が多いのではないか。
となれば、私がこれまで繰り返し繰り返し、本ブログで書いてきた白鵬という力士の〝本性〟についても、よくわかっているのだろう。
昨日(8日目)の白鵬と玉鷲との一番で、最初、白鵬が待ったをし、次に玉鷲が待ったをした直後に白鵬が取った行為を目の当たりにして、場内がどよめいたのは、そのことをよく示している。
白鵬は憮然とした表情をして、待ったをした玉鷲の胸板を右手でどんと突いて押し戻したのだ。
相撲を知らない人は、「たかがその程度で」と思うかもしれないが、横綱がそういうことをすること自体、あってはならない大変な醜態であり、非難される行動なのだ。
「横綱の品格」というと難しく感じる人がいるかもしれないが、こういうことも含めて「礼儀に反すること」を横綱はしてはならないのである。
白鵬と玉鷲は同じモンゴル出身。番付では白鵬が上位だが、年齢は玉鷲が一つ上である。先輩に少しは敬意を払うべきではないのか。
たかが、「待ったの後の押し返し」というなかれ。
白鵬の場合、一事が万事だから問題なのだ。
勝負がついているのにダメ押しをして相手力士を土俵下に付き落とすのもその延長であり、プロレス技まがいの連日の「張り差し」「かち上げ」で相手力士にダメージを与え、うまくいけば「軽い脳震とう」を起こさせて力が出ないようにして、勝ち星をあげてきたのも、その延長線上にある。
白鵬の場合は、横綱にふさわしくない、この種の失態を何度も何度もやらかしてきた。
時折、注意を受けたが、しばらくたつとケロッと忘れ、また同じ醜態を繰り返してきたから、もはや「人間性」を問われるといっていい。
だからこそ、口を酸っぱくして物申してきたのだ
さて、玉鷲戦に話を戻そう。
二度の待ったの後、立ち合いが成立したと思った次の瞬間、白鵬は玉鷲の側頭部を張った。
玉鷲の体の力が抜けたように見えたと思ったら、土俵の外に足を踏み出しており、あっけなく勝負がついた。
こういう勝ち方を、「強い」とか「横綱相撲」とかいえるのか。
横綱なら、たとえ立ち遅れても受けて立て!
声を大にして私はいいたい。
こんな力士に誰がした!?
親方が甘やかし、相撲協会が多めに見てきたからだろう。
観客の眉をひそめさせ、不快な気分にさせてもても平気とみえる。
NHKよ、大相撲中継は子どももいっぱい見ているんだゾ。
実況中継のアナウンサーや解説の北の富士、舞の海は、そういう視点に立って、白鵬のほぼ連日のような「張り差し」やら「かち上げ」やらに苦言を呈すべきではないのか。
子どもが真似してもいいのか?
私が小学生だった頃(昭和30年代)は全国的に大相撲が大人気で、学校の休み時間になると、運動場や砂場でよく相撲を取ったものだ。
結構強かった私は、小柄な子とか軽量な子には、先代若乃花(横綱)の真似をして「上手やぐら」とか「呼び戻し」といった大技をしかけたこともあったし、千代の山(横綱)の真似をして「突っ張り」とか「突き押し」などもやったり、「内掛け」とか「とったり」という奇手も使ったことがあるが、「張り差し」やら「張り手」は一度もやったことはない。
不謹慎な言い方になるが、白鵬の技で、相手力士が誰か、脳に損傷を負ったり、顎が砕けたというような大けがをしないと、問題視しないとでもいうのだろうか。
(城島明彦)
「ひとみちゃん」から「りんごちゃん」へ、バトンタッチに失敗
「りんごちゃん」という、男なのか女なのかよくわからない〝丸顔のでぶっちいモノマネ芸人〟が現れたときは驚いて、昭和30(1955)代後半にタイムスリップしそうになってしもた。
なんせ、「りんごちゃん」っていうのはね、昭和37(1962)年に神戸一郎が歌った歌謡曲の題名だったんや。
このお人は商船大学の出で、歌手になる前は船乗りをしてはった。マドロスや。
並みの美声と違いますのや。昭和32(1957)年12月に「10代の恋よさようなら」でデビューして、紅白出場4回はダテやないで。4回戦ボーイとは格が違うのや。
ほんでもって、そのあくる年にリリースされた「銀座九丁目は水の上」では、海外航路の豪華船の描写がありマスト。よくデッキた歌詞やで。
「銀座は八丁目までとちゃうの?」というあんたは偉い! そうなんや、九丁目は東京湾で海の上というしゃれでんがな。
少年時代のオイラは、神戸一郎のまねをして、よう歌ったもんや。
♪夢の光よ シャンデリア
粋なカクテル マンハッタン
欧州通いの 夢乗せて
銀座九丁目は 水の上
今宵は船で すごしましょう
この歌の舞台は東京湾やけど、港といえば、横浜か神戸。
このお人は神戸生まれ。でもって、神戸という芸名にしたんやが、そのまま「こうべ」と読ませるのは芸がない、かんべんしてんかというので、「かんべ」と読ませたんや。オイラの出身地の三重県にも「神戸」(かんべ)という地名があるでぇ。
かんべといえば、「簡便化」ちゅう言葉、知っとるやろ?
上から読んでも「かんべんか」、下から読んでも「かんべんか」。
もうダジャレはいわへんから、「かんべんかんべんか」(勘弁、勘弁か)
こういうのを「かいぶん」といいますんや。
「怪文」と違うで、「回文」と書きますねん。ほんまの話でっせ、怪聞やおまへん。
あかん、また脱線してしもた。
けどなあ、「りんごちゃん」はヒットせんかったんや。歌詞がイマイチやった。
♪リンゴちゃんって いうのはね
ちょっとオデコで 可愛くて
いつも町ですれ違う すれ違う娘さん
恋をしている わけではないけれど
いつもリンゴの 匂いがした
実はな、この歌の3年前に「ひとみちゃん」(昭和34年4月)という歌が出て、鶴は千年、亀は万年、大ヒットしてまんねん。
神戸一郎が所属したコロムビアレコードは、その「ひとみちゃん」にあやかろうとしたんや。歌詞の最後のフレーズに注目。「りんご」が出てきよります。
♪ひとみちゃん ひとみちゃん
君の瞳が 濡れてると
星の光も 悲しそう
君の瞳が 輝くと
小川の流れも うれしそう
丘のりんごの 木の下で
君の瞳に 恋をした
そう、「りんごちゃん」は「ひとみちゃん」の3年後の姿やったんや。
それにしても、昔の歌詞はシンプルでんなあ。
歌詞の3番では、リンゴちゃんの出身地はリンゴのなる村で、母と同じ名前じゃないかと想像し、そう思ったら、なつかしさがこみ上げてきたというストーリー。
で、歌詞の最後はちゅうと、
♪急に僕の胸に 甘いすっぱい匂いがする
「甘酸(あま)ずっぱい思い」とはいうけど、アウト? セーフ? よよいのよい! じゃんけんぽん!
甘い匂いだけならセーフやけど、「甘ずっぱい匂いがする」娘はアウトや!
♪どっどど どどうど どっどどど……
甘いリンゴも 吹き飛ばせ
すっぱいリンゴも 吹き飛ばせ
瞳がキラキラしてた女の子は、3年後には宮沢賢治の「風の又三郎」に変身して、甘さと酸(す)っぱさが入り混じった娘に変っていたんや。
そういう人生経験を「酸いも甘いも噛み分けた」というんやでぇ。
脇が(腋臭)甘く、ダジャレが出てきて、どうもす(酸)いません!
(城島明彦)
立ち合いで「張り差し」「かち上げ」をしない代わりに、今度は取り組み中に「殴打風張り手」だ!
大相撲九州場所7日目、白鵬対宝富士の勝負。
白鵬は、取組中、宝富士の左側頭部めがけて思いっきり張り手をかますと、首根っこを押さえつけるようにして宝富士の体を前に落として勝った。
前日は、立ち合いざま、明生の右耳つまり右側頭部を張って、脳震とう症状を誘引している。
以前、「張り差し」「かち上げ」を連発する白鵬の相撲に対し、前横審(横綱審議会)委員長が「そんな手は見たくない」とまでいったが、白鵬はどこ吹く風。
激しい動きなのでわかりにくいが、横からひっぱたきに行くのだから、意図してやったとしか思えない。
突いたり押したりではない。ぶん殴っているのだ。
相撲ファンに気づいてもらいたいのは、明生といい宝富士といい、昨日も今日も、白鵬の張り差しやら張り手が決まった次の瞬間、対戦力士は簡単に土俵に這(は)ったという点だ。
その張り手を食らって、宝富士は何が起こったかわからないうちに負けていた、という状況だ。
白鵬のひどさは、勝った後、土俵上で「やった」とばかりにガッツポーズを決めたことからもわかる。こんな横綱、見たことがない。
これが史上最高の優勝回数の持ち主なのか!?
引退した稀勢の里は、勝っても、土俵上では表情を一切変なかった。
そうするのが力士として当然のことだと入門時から親方に繰り返しいわれてきたからだという。
相撲界は、白鵬に引っ掻き回されっぱなしだ。
情けない限りという言葉しか見つからない。
(城島明彦)