2023/02/07

NHK大河ドラマ は、なぜフィクションで遊びたがるのか?

〝視聴率ばなれ〟を自ら誘引するNHKにブーイング

 

「妻子奪還」を2回もやる不思議

 NHK大河は、6回・7回と連続で「今川の人質」となっている家康の妻子(正室の築山殿〈つきやまどの〉、嫡男竹千代・長女亀姫)の奪回話「瀬名奪還作戦」「続・瀬名奪還作戦」だが、伊賀の忍者部隊を率いる服部半蔵と本多正信が妻子奪還を画策するという逸話は、「虚実入り混じった」というより、6回目などは「ほとんどがフィクション」であり、加えて、「妻子奪還というテーマに2回も費やしていいのか」と歴史好きな視聴者からは苦情の声も出ているようだ。

 たとえば、放送日翌日(2615:30配信)の「FLASH」は、《『どうする家康』の「完全フィクション回」に驚きと賛否 41話で家康の生涯「残り54年描き切れるか」の憂慮》と題して、ウォッチャーの感想として次のような声を伝えていた。

「第5話は、本多正信と服部半蔵が、今川の本拠である駿府に潜入、瀬名を奪還しようとして失敗する、というストーリーでした。しかし、これは明らかなフィクション。正信と半蔵という、これから重要な役柄を担う2人の紹介のために、1話を創作話で丸ごと費やしたといってもいいでしょう。

史実では、今川重臣の子息を捕虜とし、元康の妻子と人質交換したとされ、それが第6話の『続・瀬名奪還作戦』にあたります。家康といえば今後、長篠の戦いや伊賀越え、小牧・長久手の戦い、関東移封、関ヶ原、大坂の陣と、描かなくてはならないエピソードが山ほどある。それにも関わらず、フィクションを交えた妻子の奪還の話だけで2週分も使ってしまって……という視聴者の心配は、もっともでしょう」

 案の定というべきか、後述するように視聴率(関東地区の平均視聴率、ビデオリサーチ調べ)129%と低く、声なき声として「NHK大河は、史実無視のフィクションで遊んでほしくない」と多くの視聴者が思っていることは容易に推測できるのではないか。

 

「人質交換」が実態なのに「妻子奪還」とは?

 家康の人生の大きな節目は、19歳のときにやってくる。

 信長が、「桶狭間の戦い」で、誰も予想しえなかった「今川義元を葬り去る」という大金星をあげ、そのおかげで家康は、6歳のとき以来の「人質」という縛(いまし)めを解かれ、自城の岡崎城へ戻れたのだが、妻子はまだ今川家の人質として駿府にいた。家康を今川家の人質から解放しても、今川を裏切らなることがないように氏真がそうしたのだ。

 家康にとって妻子を人質から解放することは重要な事案ではあるにしても、NHKが2回にわたって「妻子奪還作戦」を描こうとまでする真意が、私には理解できない。 

 結論から言えば、家康が戦いで捕虜にした妻子の奪還は、家康が戦で生け捕った今川氏真の近親者2人との人質交換によるので、「奪還」などという表現はいささか大袈裟すぎるきらいがあるからだ。

 もう少し詳しくいうと、家康は、信長との軍事同盟(清州〈きよす〉同盟)が成立した翌月の1562(永禄5)2月、自ら兵を率いて出陣、名取山に本陣を設け、家臣の松井忠次・久松俊勝の両名に命じて上之郷城に忍び込ませて放火させ、同城を攻略した。その結果、城主の鵜殿長照および長照の弟は討死し、長照の長男氏長・次男氏次を生け捕りにしたのである。

 家康は、今川氏真が従兄弟2人を見殺しにはできず、何とか無事に生還させたがっていると知り、石川数正を駿府へ派遣し、人質交換交渉に当たらせた。こうして妻子は岡崎へ戻ることになったというのが、史実なのである

 

本多正信と服部半蔵

 本多正信についてだが、本多家は、松平(徳川)譜代の家臣で、幼少の頃から家康に近侍していながら、三河で一向一揆が勃発すると、家康を裏切って一揆方につくが、一揆が終息すると、家康は正信を許して家臣として復帰させ、家康の参謀として尽すようになる。

 服部半蔵は伊賀国服部郷の出身だが、父保長の代に伊賀から三河に移り、家康の祖父清康・父広忠、家康の3代にわたって松平家に仕えた。半蔵は、16歳のときに(愛知県蒲郡市にあった)三河宇土城(みかわうとじょう。上之郷城〈かみのごうじょう〉、西郡宇土城〈にしのごおりうとじょう〉とも)の夜討ちで戦功をあげたと『服部半蔵正成譜』(正成は名)に書いてある。

「西郡宇土城(にしのこおりのうとじょう)夜討の時、正成十六歳にして伊賀の忍(しのび)の者六、七十人を率いて城中に忍び入り、戦功をはげます。これを称せられて、家康より持槍(長さ七寸八分、両鎬(りょうしのぎ)を賜ふ」

 

「じり貧」の視聴率が意味するもの

 まだ放送が始まって2ヵ月目とはいえ、回を追うごとに「じり貧」の視聴率の推移がそのことを如実に物語っている。

  154%→153%→148%→139%→129

 歴史的に不明な出来事は、安易にフィクションに走らず、史実をとことん追いかけることで、「こうだったのではないか」という描き方をしてこそ、〝NHK大河の本領発揮〟といえるのではないか。私は、ずっとそう思ってきた。

 しかしNHKは、視聴率が下がろうが、叩かれようが、フィクション路線を変えようとはしない。

 

三河武士気質

 家康の人質暮らしは、足かけ13(織田家2年、今川家11年)にも及び、その間に初陣も済ませ、義元の姪を妻にもらい、子(一男一女。竹千代・亀姫)までもうけていたので、いつしか、そういう〝隷属的な暮らしが板についた〟としてもおかしくなかったが、家康はそうではなく、いつか岡崎城へ帰るという望みを捨てていなかった。

 その理由は何かといえば、極端なまでに「耐え忍ぶ」という、他に類を見ない〝三河武士気質〟ではないか。

 何に堪えるのか。刻苦であり、貧困であり、境遇などである。

 家康の父も祖父も20代なかばで不慮の死を遂げていたことも、「自分が松平家を再建する」という思いを強くさせた。

 譜代の家臣たちは、日頃は農業に精を出しながら、戦(いくさ)に備えていた。

 その一方で家康は、文武両面での教育に力を注いでくれていた〝烏帽子親〟(えぼしおや)である義元には「恩義」も感じていた。

 のちに家康は、「武士道」に代表される「人としての生き方の規範」として「儒教」を政治にとり入れるが、そうした背景には人質生活を通じて身につけた考え方があったのだ。

 そこが、何の苦労もなく育ち、蹴鞠や謡などに明け暮れていた義元の嫡男氏真(うじざね)と大きく異なる点だ。

 義元は、親バカにはならず、「家康を氏真の指南役にしたい」という強い思惑があって、人質であっても家康に文武両面での教育を受けさせたと推察でき、そのことは家康にも伝わっていた考えてよいのではないか。

 その反面、義元には人質に対する冷酷な一面も当然あって、普通は〝ご祝儀〟の意味合いで安全な「初陣」(ういじん)も、17歳のときの家康の場合の初陣「寺部城攻め」は、そうではなく、厳しい戦をあてがわれた。

 その年の家康は、寺部城だけではなく、広瀬城、挙母城、梅が坪城、伊保城なども攻めた。

 人質だから冷酷非情な扱いをしたという面以外に、義元は、家康に「〝武将としての非凡な才〟を見出していた」とも考えられるだろう。

 義元の武将らが「危険だから」という理由で引く受けなかった桶狭間の戦いの前哨戦「大高城への兵糧入れ」という至難の任務を、義元が家康に命じたのも、「人質だから」という理由に加えて「家康ならやり遂げる」という思いも義元にはあったはずだ。

 

(おまけ)伯父水野信元との石ヶ瀬の戦いについて

 家康は、今川から織田に転んだ伯父(家康の生母お大の方の異母兄)の水野信元(緒川城の城主)と石ヶ瀬で三度も戦っている。

  17歳(永禄元年6月) 石ヶ瀬川(愛知県大府市)を挟んで、緒川城(愛知県刈谷市)の軍勢と戦闘。

  19(永禄3年6月) 「桶狭間の戦い」(5月19日)後の6月中旬、石ヶ瀬から刈谷城外へと攻め入る。

  20歳(永禄4年2月) 三度めの戦い(家康は、横根(大府市)や石ヶ瀬で戦い、広瀬城や伊保城を攻めた)

  21歳(永禄5年正月) 信長・家康の軍事同盟「清州同盟」成立

    (永禄5年2月) 家康、名取山に本陣。甲賀・伊賀の忍者活躍。長照・長忠の兄弟は討ち死にし、2子(氏長、氏次)を生け捕る

 家康は19歳のときに大高城へ兵糧入れを果たし、城に留まっていたとき、信元は「今川義元が信長に討たれたから、そこにいると危ない。逃げろ」と知らせてくれたが、家康は自分で確かめるまで大高城を動かなかった。

 信元は、今川方から織田方に転び、家康が21歳になった1月には、信長の意をくんで家康との同盟交渉をになった人物だが、家康からは信用されていなかったのだ。信元は、のちに(長篠の戦い後)、「武田に内通した」と信長に疑われ、家康に殺されることになる。

 ▼拙著・拙訳書

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 (城島明彦)

2023/01/30

妄想・暴走・時空超絶の〝怪作〟家康やがな! デラおもろいでアカンわ! あんたも、大河ドラマ、いっぺん観たってちょう!

「どうする家康」の鬼採点! おどろき、ももの木、さんしょうの木、100点満点でどうなる?

おどろ記 第4話「清州でどうする」(1月29日)

 この前、見逃した「どうする家康」の第3回を土曜日の再放送で観て、明くる日曜の夜には第4回を観ました。で、感想はというと、全体にかなりテンポが速いという印象でしたな。それだけじゃあ、おもしろくないというんで、採点してみました。

〇新説度 200点

 家康には今川義元の姪(築山殿〈つきやまどの〉)という正室がおりましたが、NHK大河は「信長は、妹お市と家康を夫婦にさせようとしたが、成立せず」という〝びっくらぽん〟の新説を打ち出しましたぞ。当時は、同盟を結ぶと相手の息子や娘と結婚させて親戚になるのが普通でしたから、という理屈ですかな。

 そういう想像自体はあってもよいでしょうが、『信長公記』などの記録には残っておらず、いかんせん、嘘っぽすぎますわな。その分、新鮮味というか、新説度は抜群!

 家康と信長は、実際には、同盟を結んだ翌年(1563〈永禄6〉年)に、信長の長女(徳姫〈五徳〉)と家康の嫡男(竹千代)を婚約させました。幼すぎたので、実際に結婚するのは同盟から5年後の1567(永禄10)年。それでも新郎新婦はどちらも9歳と幼かったから、子どもが生まれるのは18歳になってから。ところが、徳姫が産んだのは女の子2人。

それを見て、姑のお大の方は「なぜ男児を産まぬのじゃ」と嫌味を言い続け、あげくの果てには、側室をあてがうのですな。こうして嫁姑問題は激しくなっていったというわけですな。

〇北川景子のブスメイク 80点

 信長の妹で、〝絶世の美女〟といわれたお市の方を演じるは、その役にぴったりの北川景子だが、「えッこれが北川景子!?」という、普段よくみているお顔とあまりに違う〝ブスっちい顔だち〟で登場したので、あっと驚いた。これがすっぴん顔なのかい?

 ▽お市の方 家康は6歳から8歳(数え年)まで織田家に人質に取られていたが、お市が生まれたのは1547〈天文16〉年。家康が織田家に人質にとられた年なんですな。よって、家康68歳、お市13歳というのが歴史的事実。信長は1534(天文3)年生まれなので、お市は13歳年下の妹ということになりますな。

〇タイトルバック一新 85点

 マンネリ打破の意気込みを買う! タイトルバックのチャレンジングな演出姿勢が伝わり、好感度。

〇「どうする家康」の不思議ロゴ 35点

 まるまっちいロゴマークは「ダンゴムシ」に見えてコミカルすぎて違和感がある。意外性はあるが、デザイン的にはイマイチ。〝だんごむし家康〟は子どもには受けるかもしれませんなあ……。

 10カウント「だるまさんがころんだ」に変えて、これからは「いえやすはだんごむし」ってぇのは、どうでっしゃろ? あかんか。

〇回想利用に新機軸 90点 

 NHK大河は幼少期から時系列で描くのが通例で、そのためにチンタラチンタラとなる悪弊を生んだが、それを廃して、幼少期などは「回想」という形で処理する手法を取ったのは、大進歩といえる。

〇今川義元のバカ遺児嫡男氏真(うじざね)が瀬名姫を手込め 15点

 家康は、16歳のときに、義元の姪の瀬名姫(築山殿)を嫁にしたしたが、彼女は家康より推定810歳年長で、それから3年後の桶狭間の戦いの頃は2527歳。

 一方、「霞か、雲か、はた露か」の有村架純は29歳だが、役柄が家康の嫁の瀬名だけに、そんなに違和感はありませなんだ。

 氏真は死んだ親(義元)も認めていた「暗愚」ではあったが、女に不自由はしておらず、♪カゴメ、カゴメ、籠のなかの鳥の人質の家康の嫁を手ごめにするなどということは、ありえないし、資料にもないし、NHKも描いてはならんのとちゃうのん。テレビは子どもかて観てるんやでぇ。

〇年齢詐称の大胆演出 -50点(大赤点!)

 超低予算番組「孤独のグルメ」で一世を風靡した松重豊の「石川数正(かずまさ)」役、これはいけませんぞ。桶狭間の合戦当時の数正の年齢は27歳ですからな。

 松重の実年齢は60歳で、どうみても青年には見えませんわな。

 いつも平気でこういうことをやるのが、NHKの悪いくせだっちゅうの。視聴者を馬鹿にしてんのか? NHK党の意見は、どうや。

 それはさておき、北川景子・松重豊共演の映画「ヒキタさん! ご懐妊ですよ」は面白かった。おススメですぞ。

〇ジャニーズとの癒着度 50点

 岡田准一が信長役だが、折しも、キムタクが信長に扮した製作費22億円という超々々大作映画「レジェンド&バタフライ」がNHK大河放送の2日前の金曜日(127日)に公開された。大河の家康が松本潤、信長が岡田准一で、映画の信長がキムタクとなれば、いずれも(元)ジャニーズ。脚本が大河と同じ古沢良太という点も含めて、話題づくりを狙った〝あざとさ感〟も読み取れるわな。

 岡田准一は、2014年のNHK大河「軍師官兵衛」で主演黒田官兵衛を演じた。(個人的な感想をいえば)そのイメージがいまだに強く、信長を演じても当時の姿とダブる。そういう人物を起用すれば、NHKとジャニーズの癒着を疑われかねない。

〇信長から〝白うさぎ〟呼ばわりされた 50点

 秀吉は「猿」、家康は「狸」に対して、信長は「虎」か「狼」と呼ばれることが多いのですが、NHKは「織田家の人質時代の信長は14歳~16歳の悪ガキだったから、家康をイジメまくったに違いない」と解釈したようですな。しかし、いくら何でも8つも年下の幼児をぶん投げたり、とことんイジメたとは考えづらいですわな。

〇今川に義理をつくすか、悲願の独立かの描き方 65点

 家康は義理堅い人。今川義元は人質家康に教育を施し、武芸の稽古も積ませたが、家康の初陣でも大高城への兵糧入れでも温情は見せず、下手をすれば命を落としかねなかった。家康の心中には「恩讐」の両面が拮抗してたのだ。家康は、義元が死ぬと家臣の待つ岡崎城へ帰るが、氏真には「桶狭間の復讐戦をせよ」と何度も迫っている。

 そこが家康の義理堅いところだが、氏真のもとには依然として「妻子が人質として囚われている」という理由もあった。

 信長が家康に同盟を呼びかけたのは、桶狭間の戦いから2年後である。

〇清州同盟締結で見せた信長の横暴な態度 50点

 信長が父信秀の法要で位牌に香をつかんで投げつけたのは、19歳のとき。

 その行ないを諫めようとして、教育係を務めた家老が自決した事件が起こるんです。でもって、さすがの〝野生児〟信長も猛省して、しばらくは行ないを慎んでいたのですが、やがてまた以前のような型破りな言動が戻ったといいます。

 同盟締結についてですが、これは、家康が、桶狭間の戦いの前哨戦となった「大高城への兵糧入れ」で信長軍を圧倒したのを見て、敵に回すのは損だと考えたからでしてな。

信長の方から頭を下げて持ちかけた話なんですから、大河ドラマで描かれたような乱暴きわまりない接し方はしなかったと考えるのが常識です。つまり、対等の関係の同盟であり、そのとき29歳だった信長は21歳の家康に対して、年齢こそ8歳もへだたっていましたが、「徳川殿」「家康殿」と丁寧に接したはずです。

 しかし、その対等の関係は、同盟を結んで年月が経つにつれて、家康が愚直でおとなしい忍従タイプであるのを見て、信長は次第に上位に立つようになっていったんですな。

そうはいっても、何ごとにも真剣に取り組む家康を尊敬する気持もあり、言葉遣いなどにも気をつかっていたようで何ですぞ。

〇家康の母(お大)の描き方が異常っぽい 65点

 NHK大河では、家康の生母お大(於大の方)が「しゃしゃり出て」きて、家康にあれこれいわせましたが、そういう性格付けはどこから出てきたのかてぇと、家康の嫁になった信長の娘徳姫との嫁姑問題からでしょうかなあ。徳姫が父信長に手紙で嫁いびりの実情を訴え、信長は娘の言い分を聞き入れて、お大と徳姫の夫を殺すように家康に申し入れたことがありましてな。政治にあれこれ口を差し挟んだり、嫁をいびり倒す意地の悪い性格という描き方は、この事件に拠(よ)っているのでしょうな。

▼初夢速報! 戦国の三英傑が揃い踏みの「どうする家康」の番宣に、きれいどころの有村架純に北川景子に松嶋菜々子が、Tバックの後ろ姿で出血大サービスってか! 

 戦国の三英傑だけに、これがほんとの「三ええ尻(けつ)」やでぇ。

 そんなケツ(けっ)たいな大サービスがあるわけないやろってか。

 ――史実とドラマとの違いは、拙著『家康の決断』を読んでもらったら、たちどころにわかるでなも。よろしゅう頼んますわ。

 おいでやす、家康へ。やすうしときまっせ!

 Photo_20230130074501 (城島明彦)

2023/01/23

「異次元」の少子化対策だと? なら、見本は「岸田文雄の冷凍精子+小池百合子の冷凍卵子を高市早苗の腹で育てて出産!」で、どや!

 「異次元」「異次元」と聞いた風なことをいうなら、せめて、これくらいのことをいわんかい!

 異次元の少子化対策の決定打は、成人式以後の冷凍精子・冷凍卵子の義務化だ!

 25歳、30歳、35歳、40歳くらいまで、定期的に全国民が冷凍精子・冷凍卵子を提供し、永遠に国で保存するんや。

 

 どや、スケールがデカいやろ。

 日本の活力をよみがえらせたいなら、神の領域を怖れるな。

 

 「異次元の金融緩和」――安倍晋三のこの言葉を最初に耳にしたときは、

 「これで、日本は、アメリカに次ぐ世界第2位の経済超大国に再び躍り出せる」

 と思ったが、「絵にかいた餅」どころか、〝砂上の楼閣〟までもいかんかった。

 ええ加減にせんかい。

 

 そのほとぼりも冷めぬ昨今、岸田文雄首相は、

 「異次元の少子化対策」てなことを言いだした。

 「所得倍増」はどうなった?

 〝所得倍増+出生倍増〟ならインパクト超大やないか! 

 日本は、かつての勢いを取り戻すだろうが、問題は、その中身と実行力だっちゅうの!

 

 すると、しばらく鳴りをひそめていた〝ゆりっぺ姐さん〟こと小池都知事が、岸田外首相が外遊でいないタイミングを狙って、赤い気炎を吐いた。

 「毎月5000円の子育て支援金を給付する」

 これぞ、「鬼の居ぬまの何とやら」で、ゆりっぺ姐さんの常套手段。

 「時期は?」ってぇと、来年の話だという。

 新年早々、来年の話じゃ、鬼がわらうつうの!

 

 人工授精で、バンバン子を生み、国や地方自治体が責任をもって育てたら、あっという間に人工倍増だぁ! 

  「借り腹」も高いギャラを払って募集するんや。

  誰でも好きな相手を選べるようにするんや。

 ジジババ世代なら、吉永小百合、和泉雅子、栗原小巻……

 こんな美女が子を生まないなんて、もったいなさすぎると思わんか!

 

 天皇の後継者問題かて、一発で解消や。

 

 全国民の精子や卵子が「国立冷凍バンク」に登録してあったら、計画的にどんどん人口を増やせるぞ。

 国民投票で、誰と誰の子を20人、誰と誰の子を15人てな具合にどんどん増やせるでぇ。

 

 高倉健と吉永小百合の子を見たいと思わんか?

 大谷翔平と広瀬すずの子かて、20人、30人とつくり放題や。

 ただし、当人にも拒む権利を残しておかないとイカンけどな。

 

 北川景子のような既婚者かて、本人がOKすれば、あるいは本人が出した条件をクリアできたらOK。

 危ない遺伝子をもっていなければ、誰の精子や卵子でも頂戴できるシステムにするんや。

 生まれた子は、里親制度もありにし、国や自治体が責任をもって監視するから、安心やで。

 日本中に、超絶優秀遺伝子をもった子があふれかえるんや。

 こんなええ話を夢で終わらせたらアカンでぇ!

  

 国レベルとは別に、個々人が自分の子の親としても希望できるシステムも、併行して実施したらええ。

 子種が欲しい女は、金を出すのや。

 ただ金を積んだら、大谷翔平の精子やすずちゃんの精子をもらえるというのとはちゃう。

 高いし、抽選やで。

 

 応募資格は、当然厳しくなるわな。

 その資格は、努力次第でクリアできるようにするんや。

 頑張ったら、憧れの人の精子や卵子を正式にもらえるんやで。

 そうなったら、死に物狂いで仕事したり、才能磨きに励むようになるぞ。

 みんなが頑張ったらGNPUPし、日本はまたたく間にアメリカも中国も抜いて、世界一になれるでぇ。 

 

 なに? 

 「そんなん無茶や、あかんがな」やて?

 日本が滅ぶかどうかの瀬戸際に、なにいうてんのや。

 「異次元、異次元」ていうから、提言したまでの話やないか。

(城島明彦)

「どうする家康」第3回目、「伯父(水野信元)につれられて母が会いに来た」は嘘! 「大高城への兵糧入れ」前日に「家康がひそかに会いに行った」のが正しい! 

 体調が悪く、ずっと眠っていて第3回の放送を見逃したから、偉そうなことはいえないが、爆睡したおかげで早起きし、スポニチアネックスの記事を読んで、「またNHKの悪い癖が始まったか」と思った。

 ドラマを面白くするためには、平然と歴史を歪曲するという困った癖だ。

 どんな内容だったかが、スポニチアネックスに次のように書いてあった。傍線は筆者。

  第3話は「三河平定戦」。故郷の三河・岡崎へ戻った松平元康(松本潤)は、打倒・織田信長(岡田准一)を決意するが、弱小の松平軍は全く歯が立たない。一方、今川氏真(溝端淳平)は援軍をよこさず、本多忠勝(山田裕貴)らは織田に寝返るべきだと言い始め、駿河・駿府に瀬名(有村架純)を残す元康は今川を裏切れないと悩む。そんな中、伯父の水野信元(寺島進)が岡崎城に“ある人”を連れて来る。それは16年前に生き別れた元康の母・於大の方(松嶋菜々子)だった…という展開

 

 この記事を読んで、「へえ、そんな風にしたんだ」と思ったが、事実の改竄(かいざん)はNHK大河の常套手段。「またやったか。ひでえもんだ」である。

 家康(当時の名は元康)が三河平定に着手するのは、桶狭間の戦いで今川義元が信長に殺され、人質から解放され、岡崎城に戻ることができたからだった。しかし、今川義元の後継者の氏真が生きていて、妻子は依然として「人質」として氏真の監視下に置かれているから、完全な自由の身ではない。

 

 NHK大河では「母が家康のところへ会いに来た」としているが、実際は、その逆で、会いに行ったのは家康の方であり、会った時期も違っている。

 家康が母に会いに行ったのは、「大高城への兵糧入れ」の前日。

 NHKが母が会いに来たとするのは、その翌年。

 

 家康は、桶狭間の戦いに臨む今川義元から、信長軍に包囲されて食糧が尽きてきた「大高城への兵糧入れ」という〝危険きわまりないミッション〟を命じられ、「死ぬかもしれない。攻めて、その前に」と考えて、こっそり生き別れた母に会いに行ったのである。

 NHKがこういうことを知らなかったはずはなく、知っていて、わざと事実を歪曲したのだ。そうした大きな理由に、「お大に扮したNHK好みの女優の一人、松嶋菜々子の登場場面を効果的・印象的に演出したいとの意図があったからではないのか」と私は推測している。

 なにせ、家康の伊賀越えに江姫を同行させたNHKである。これぐらいのことは朝飯前なのだろう。

 

「そんなこと、どっちでもいいじゃないか」という人もいるだろうが、自分から「生母に会いに行く」と「生母が会いに来た」とでは、家康の考え方、性格などの解釈がガラッと変わってくる。NHK大河班の連中は、そういうことは考えないのだろうか。 

「ドラマを面白くしたい」「新しい家康像を創出したい」ということばかり考えて、歴史を都合のよいように好き勝手につくり変えてしまうのは、本末転倒ではないのか。民放ならいざ知らず、少なくとも受信料でドラマをつくっているNHKがやるべき姿勢ではない。

〝カピバラそっくり顔〟立花孝志(NHK党党首)さんよ、こういう点も追及せんといかんよ。

 

 拙著『家康の決断』(ウェッジ)のその個所を以下に引用するので、参考にされたい。

「元康は、信長との戦いで戦死するかもしれないと思い、その前日、ひそかにある人に会いに行った。3歳のときに生き別れたお大(於大)の方である。

 お大は、織田方の久松俊勝と再婚して、その居城「阿久比城」(あぐいじょう/愛知県知多郡)に住んでいた。お大は驚いたが、16年ぶりに会う、別れたわが子が立派な姿になっているのを見て涙を流し、元康もまた涙にむせんだという。

 お大は、「生家を相続した異母兄(水野信元)が従属先を今川から織田へ鞍替えした」という理由で、元康の父(広忠)に離別された関係で、そのときは実家の居城には入れてもらえず、城の近くの椎の木屋敷というところに住み、水野家の菩提寺「楞厳寺」(りょうごんじ/曹洞宗)で仏門に入った」 ※お詫び:拙著を読み返すと、ケアレスミスを犯しており、「水野信元」を「水野元信」と誤記(P34)していた。すみませんなあ。

 この文の後に、私はこう書いた。

「自立してからの家康の女性の好みは、秀吉と違って、顔や身分を少しも気にしなかっただけではなく、後家や出産経験のある者を何人も側室にしたが、その理由は幼くして別れた母お大の方への思いを心の奥で追い求め続け、母親のような包容力のある女性を追い求めていたからではないのか。私には、そう思えてならない」

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(城島明彦)

2023/01/15

ふざけてんの? 「どうする家康」はパロディ? ギャグ大河? どうするNHK!

 NHK大河「どうする家康」の初回を見て、違和感を覚えたのは、私だけではなかった。

  「日刊ゲンダイDEJITAL」(1月18日)は、こんな出だしの記事を発信した。

 筆者はコラムニストの海原かみな氏。

 

 「この8日に始まったNHK大河ドラマ『どうする家康」を見て、「あれえ、今年は青春コメディーかいな」とズッコケたのではないか。

 

 1回目・2回目を通じて私が感じたのは、「わざと、ふざけているのか」ということだった。新機軸を打ち出そうとして、意図的にそういう線を狙ったのなら、考え違いもはなはだしい。

 まず年齢設定は、いつもながらの「でたらめ」で、今回もひどいことになっている。

 

▼でたらめ、その① 42歳の岡田が14~16歳の信長を演じた不気味

 家康と信長の年齢差は8歳。竹千代と呼ばれていた家康が、織田家に金で売られて人質となったのは6歳から8歳まで。

 そのときの信長の年齢は14歳~16歳だった。

 大河では、信長が幼児の家康役の子役を何度もぶん投げる、〝いじめ〟ともみえるようなシーンがあったが、そういう想像はさておくとして、演じる役者の年齢が無理すぎた。

 信長役の岡田准一 1980年生まれで42歳。

 42歳の岡田が1416歳を演じること自体、無理を通り越して不気味である。

 役者だから縁起はうまいが、やっていることは、

 

▼でたらめ、その② 27歳の石川数正を60歳の松重豊が演じる不気味

 桶狭間の戦いは1560年。

 このとき石川数正は27歳(数え年)。

 演じた松重豊は59歳(数えで60歳)。 

  ※石川数正 1534~1609年

   松重 豊  1963年1月19日生まれ

 NHK党の攻撃材料にされかねない、こういう無茶というか、視聴者の気持ちを逆なですることを平気でやれる神経を疑う。 

 

▼でたらめ、その③ 本多平八郎忠勝が主君である家康に〝タメ口〟を叩くデタラメ加減

  家臣忠勝が主君家康を尊敬できないという理由でタメ口を聞くという設定自体、戦国時代の主従関係ではなく、現在の感覚で頭の中で想像した設定で、誰が考えても無理がある。

 

▼こんな演出では、視聴者はだんだん離れていくだろう。そうならないことを祈るばかりだ。

 ただ演出面では「救いもあった。

  

【参考】真実を知りたい人は、こちら

 徳川家康から学ぶ「忍耐力」  

 ウェッジ WEBマガジン「WEDGE ONLINEhttps://wedge.ismedia.jp

 ①「人質家康」はいかに辛抱して活路を見出したか (11日発信)

 ②戦国武将に一目置かれた「桶狭間の戦い」での徳川家康 (18日発信)

 ③徳川家康と織田信長の浅からぬ縁 出会いから別れ19日発信)

 

 天下人に上り詰めた徳川家康の「決断力」

 幻冬舎 WEBマガジン「GOLD ONLINE」 http://gentosha-go.com/ 

 【第1回】 NHK大河『どうする家康』時代が求める新しいヒーロー像は? (18日発信)

 【第2回】戦国時代の人質の半数は殺害!徳川家康はなぜ生き延びたのか? 115日発信)

 

 ▼拙著『家康の決断』

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(城島明彦)

2023/01/08

NHK大河「どうする家康」第1回放送で、気づいた点いくつか

いろいろ工夫していることは伝わったが、さあ、これからどうする

〇信長「桶狭間の戦い」の前哨戦「大高城への兵糧入れ」の家康から始めたのは賛成

 これまでの大河では、幼少期から始めることに固執してきた感がある。幼少期などは、どこかで回想シーンとして入れればいいのに、そうすることなく、毎度毎度、似たような展開にい、〝一種のマンネリ化〟を招いていた。

 その点、「どうする家康」では、19歳のときの「大高城の兵糧入れ」から始めたのは評価できる。

 大高城への兵糧入れのシーンで、初陣(2年前の17歳)のカットを回想シーンとして入れる手もあった。

 

〇桶狭間の戦いと大高城への兵糧入れの場所の位置関係・時間比較をもう少しわかりやすくした方がよかった

 桶狭間の戦いで信長が義元に討たれたのと家康が大高城の兵糧入れに成功したのは、ほぼ同時刻で、両者は少し離れた場所にいたでに入っており、兵糧を入れたとおおたか

 

〇今川義元の顔は。「武将顔」ではなく、「公家顔」のはず

 桶狭間で信長に討たれる義元の顔は、顔は白塗りで、お歯黒をした公卿顔(〝おじゃる顔〟)なのに、普通の武将の顔と同じになっていたのは史実に反している。

 野村萬斎が普通の武将のメイクで義元役を激しく演じたが、そのまま信長役になれた。

 信長役は岡田准一だが、おっとりしており、イメージとしては違う。

 

〇NHKのジャニーズとの癒着が岡田准一を信長に起用したのか?

 野村萬斎のが短い時間だったが、演じた顔・姿・声、動作は信長そのもののように私には映った。

 岡田を白塗り、お歯黒メイクにすれば、義元のイメージとピッタリになったのではないか。

 家康の松本潤、信長の岡田准一。どちらもジャニーズ。

 そこにミスキャストの生じる癒着構造があるのではないか、とゲスのかんぐりをいれたくももなるのだが……。

 

〇イッセー尾形のいつもながらのオーバーな芝居にダメ出し

 老家老(鳥居忠吉)役のイッセー尾形は、NHK大河でいつも大袈裟な演技をし、浮いている。今回も「歯が抜けていて何をいっているのかわからない」という設定だが、オーバーすぎていて浮いてしまっている。

 演出家に抑える力がないのか、尾形が勝手にそのような演技にこだわるのか。シラケるのは私だけなのか。

 歯抜けになるとスース―いう音が混じるだけで、棋士の加藤一二三も歯抜けだが、何をいっているかはわからなくはない。

 

〇有村架純演じる瀬名姫は姉さん女房(8~10歳年上)

 家康が瀬名姫と結婚したのは16歳。そのとき瀬名は2426歳。

 一方、松本潤は現在39歳。有村架純は29歳。

 どちらも若づくりはしても、その年齢差には見えないところが苦しかった。

 (個人的には、演技力があり、笑顔が似合う有村架純は嫌いではない)

 

〇家康と築山殿がラブラブの関係であったようにNHKは描いたが、後に家康は、信長の命で築山殿を斬殺させることになる。そのシーンをどのように描くのか気になった。

 一般には、家康は、嫁に行き遅れた年上の娘を義元から無理やり押しつけられた、と解釈されてきた。

 ドラマとして面白くするのは、それでは都合が悪いとNHKは考えたのだろうか。

 

〇元康(家康に改名前の名前)と瀬名姫の夫婦関係

 今川の人質時代の家康は、元信、元康だ。

 (幼名)竹千代→(元服)元信→(結婚した頃、改名)元康

 元信・元康の「元」は今川義元の「元」。

 瀬名姫は、義元の姪で結婚後は築山殿(つきやまどの)と呼ばれことになる。

 義元が2人を政略結婚させたので、家康が彼女を好きだったかどうかはわからない。

 夜の結婚生活は、年齢差を考えると、築山殿がリードし、それがトラウマとなって、後に家康は後家や美醜を問わないようになったのではないか。私を含めて、そう考える人は決して少なくない。

 ただし、結婚前の2人の関係に触れた史料はなく、義元が人質家康をどのように扱ったかという細かい史料もないから、結婚前から好き合っていたいたとするNHKの解釈は間違いではない。

 

〇大高城への兵糧入れに成功した後、家康が弱気になって姿をくらまし、大高城のすぐ裏の海岸を1人さまよっていると、そこへ馬に乗った武将の槍で襲われ、その武将が本多平八郎忠勝だったというシーンは不要ではないのか? 

 家康が義元の死を知ったのは、桶狭間の戦いの翌日。それも夕刻。

 大高城を守っていた家康のところへ、放っていた密偵が戻ってきて、義元が桶狭間で殺されたと報告するが、家康は信じない。

 続いて敵方の織田勢ではあったが伯父からも手紙で「義元が信長に殺されたから逃げろ」と急を知らせてきたが、家康は密偵を放って調べさせ、それでようやく事態を知り、「さあ、どうする家康」となり、岡崎城へ向かうのが史実。

 今川勢は、あっちの砦、こっちの砦から逃げ、岡崎城からも逃げているとの報告を聞くと、家康は、有名なセリフを吐く。

 「捨て城ならば、拾わん」

 堂々と岡崎城に入城したのである。

 このあたりのことを描いてほしかった。そうすれば、家康の用心深さが伝わると思うのだが。

 ドラマなんだから、固いこといわずに、ま、いっか。(ん?次回?)

 ▼(手前みそコーナー)

 トコトン史実にこだわりたい人に、おすすめ! 事実は事実、ドラマはドラマという人にもおすすめの1冊!  

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(城島明彦)

2023/01/04

「団塊の世代」なんて生ぬるい! 今じゃ「断崖の世代」だ、あとがない!

そこのジイちゃん、バアちゃん、新年おめでとうやあらへんがな。

 めでたいのは、あんたらのオツムの方やでぇ!

 よう聞きや。

 昔は「犬を歩けば、棒にあたる」いうたけど、今はちゃうでぇ。

 「犬も歩けば、ボーッとしたジジババにあたる」いうんやで。

 そこんとこ、ようわきまえて道を歩かんと、えらいめにあうで。

 

 今のご時世は、街に出て石投げたら、ジジババにあたるわな。

 けど、ジジババいうても、一緒くたにしたらあかんでぇ。

 まちまちや。

 あっちにもこっちにも、ぎょうさんいよるのが、団塊の世代や。

 

 団塊世代の連中は、戦後の1947年から49年にかけて、どどっ~と大量に生まれよったから、赤ん坊のときは、あっちで「這い這い」、こっちで「這い這い」しとりました。

 それが小学校にあがるようになると、次々と建て増した校舎のあっちで「ハイハイ」、こっちで「ハイハイ」と元気に挙手するようになったわな。

 競争社会やから、ボーッとしとったら、取り残されたんや。

 

 そういや、昔はハエのことを「ハイ」というてへんかった?

 夏休みになると、あっちでもこっちでも、「ハイハイ」というわけや。

 

 それが中高生にもなる時分には、

 ♪かわいいベイビー、ハイハイ

 と、歌うようになってましたな。

 コニー・フランシスの歌やがな。

 日本では中尾ミエが歌ってましたで。

 昭和も30年代後半の話ですな。

 

 もっと進んだ悪ガキあたりは、エルビス・プレスリーの「GIブルース」あたりを口づさみながら、大人っぽく変装してストリップ小屋にもぐり込んで、あきれるくらい厚化粧の踊り子が、

 「ハイハイハイハイ」

 と掛け声かけながら、たくしあげたスカートの中に顔を突っ込んで、クンクン匂い嗅いでハイになってるアホな奴もおったんや。

 〇〇君、君のことや!

 

 なかには煙草スパスパ、シンナー吸ってハイ、ハイになる奴もいましたなぁ。

 「スーダラ節」で人気爆発の植木等なんかは、はい?

 「ハイ、それまでよ~」なんて歌うてたくらいや。

 

 そういう青春前期を過ごした団塊の世代も、今じゃあ、続々と後期高齢者入り。

 あっちでヨロヨロ、こっちでフラフラ。

 それが今じゃあ、カラオケで、プレスリーの「ロカ・フラ・ベイビー」を歌って、オダを上げる始末や。

 ロカフラベイビーちゅうても、廊下をフラフラ歩く赤ん坊の歌とちゃうぞぉ。

Rock A Hula Baby」というレッキとした名前がついたんやでぇ。

 

 あの頃のどの家の父ちゃんも月給は少なかったけど、毎年毎年、昇給してたもんな。

 母ちゃんは母ちゃんで、父ちゃんにチン上げを要求うるもんで、父ちゃんは残業残業また残業で疲れた体にムチ打って、夜のお勤めに励んでましたわな。

 ああ、しんど。シンドバットや。

 

 おあとがよろしいようで、今日のところは、これにてオシマイ!

 おっと、忘れるとこやった。

 宣伝や、宣伝や。

 大河ドラマの「どうする家康」の便乗本、買(こ)うてんか。

 過当競争で、たいへんなんや。

 大河ドラマ観るんやったら、1冊、頼むわ。退屈させ変でぇ。

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 ほな、さいなら。

 (城島明彦)

2022/12/07

俳優の故・志垣太郎が寿司をおごってくれた思い出

1972年に千葉県茂原市のロケ先で

 志垣太郎が心不全で急死したことは、誰から聞いたのかは忘れたが知っていたので、「長男がブログで37日に逝去していたことを発表した」と本日のスポーツ紙などが報じているのを見て、「えっ、未発表だったのか」と驚いた。

 志垣太郎が寿司をおごってくれたのは1972(昭和47)年の春から夏にかけての頃だった。

 当時私は東宝の映画の助監督をしており、森谷司郎監督の「初めての愛」についていた。ありふれた言い方をすると、「2組の男女の青春の光と影を描いた映画」で19729月に公開されたが、当時はまだ無名に近かった「少しは私に愛をください」をはじめとする小椋佳の歌を全編にいくつも使った点に森谷司郎の先見の明があった。

 森谷司郎は、私が東宝に入社する際の保証人の1人だった。

 「初めての愛」の主演は岡田裕介(のち、映画プロデューサーを経て東映社長・会長)で、準主役が恋人役の島田陽子。

 志垣太郎は岡田裕介と同居している親友役の準主役で、志垣の恋人役が、当時文学座の演劇研究所に所属していた服部妙子。

  Photo_20221207193601 東宝映画(1972年)「初めての愛」ポスター 

 中央左寄りの男女は岡田裕介と島田陽子。下段左の写真が志垣太郎(後ろの女優は加賀まりこ)

 

 「初めての愛」では、服部妙子が千葉県の茂原に住むおじいちゃんを尋ねるシーンがあり、茂原へ12日のロケがあった。撮影が終わって旅館に入り、スタッフは大広間、島田陽子と服部妙子は同じ別室になった。

 私は神経質で寝床が変わると寝付かれないのに加えて、スタッフ連中がマーシャンをするので、うるさくて眠れず、そのうち腹も減ってきたので、「寿司でも食べに行くか」と思って出かけた。志垣太郎と出会ったのは寿司屋へ向かう道だったのか、店の暖簾をくぐると志垣太郎がいたのかは忘れたが、1時間くらい寿司屋にいて、いろいろ話をし、一緒に旅館へ戻った。会計をするとき、5つ年上の私が2人分支払おうとするのをさえぎって、志垣太郎が支払った。

 腹が満たされたせいか、旅館に戻ると、すぐに寝つき、翌朝目を覚ますと、周囲の様子が変だった。

 何事かときくと、スタッフの誰かが島田陽子と服部妙子が寝ている部屋に忍び込み、足を撫でるという事件が昨晩あったのだという。足を撫でられる被害に遭ったのは、服部妙子の方だという。

 スタッフの誰かが、「犯人はパジャマを着ていたというじゃないか」と私に繰り返しいった。

 島田陽子と服部妙子は私のことを〝パジャママンさん〟と呼んだが、冗談にしろ、旅館の浴衣に着替えず、持参したパジャマに着替えていたのは私だけだったから、不愉快になった。

 そういう事件があったので、出発するロケバスのなかは、重苦しい雰囲気で、誰もしゃべらなかった。

 ロケバスの運転手が犯人だとわかったのは、その翌日だった。

 それから50年もの歳月が過ぎた。

 

 「初めての愛」が完成し、9月に公開された後、私は、助監督会が発行しているシナリオ同人誌「アンデパンダン」に志垣太郎を主人公にした青春映画のシナリオを2作寄稿した。そのうちの1本がそれで、「白薔薇懺悔録に記された青春譜」といったような青くさいタイトルをつけたが、会社からの反応はなかった。

 私が映画界を去ったのはその翌年のことだった。辞めた後、提出してあった別の企画が通って、福田純監督から電話があり、「自分の手で映画化するから脚本を書いてくれないか」といわれ、第2稿まで別の筆名で書いて、あとはその組に着く助監督の手に委ねた。

 

 森谷司郎監督は、1984(昭和59)年12月に逝去し、岡田裕介は202011月に71歳で亡くなり、志垣太郎は20223月、島田陽子は同年7月に69歳であの世へ行った。

「初めての愛」の主役・準主役で残っているのは、私より3歳若い1949年生まれの服部妙子だけ。

 服部妙子は愛知県の出身で、彼女の父と私の叔父は東海銀行(現在の三菱UFJ銀行)の同僚で仲が良かったことから、変わり種どうしの私と彼女を結婚させたかったらしいことが、あとになってわかった。

 映画の撮影以前か撮影中に、彼女の父と親しいという話を聞いていたら、個人的な話もしたろうに、もしかしたら、夜、「寿司を食べに行かないか」と誘っていたかも知れず、いや、そこまでいかなくても、旅館でコーヒーでも飲みながら歓談ぐらいできたかもしれない。そうなっていたら、痴漢事件も起きていなかったのではないか、と私は思うのだ。

 次の本は、あの事件からちょうど50年後の今年、私が執筆した近著で、400数十年前の家康の青春時代も書いてある。ぜひ、ご一読を!

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 (城島明彦)

2022/12/05

明け方のW杯のスぺイン戦ライブ中継を観戦し、体調を崩した

年は取りたくない。徹夜したら風邪をひいてしまった

 

 コスっタリカで昇天しそうになった日本だったが、おスぺイン戦では先取点を採られても一気に逆転したから、観ている方も〝昼夜逆転〟で精神状態もハイになり、高齢者連中の真っ白になったの頭のなかではトルコ行進曲が鳴り響き、腹のなかは真っクロアチアで今の日本、あまりいいことがないから、かつて無敵艦隊で世界を制覇したスペインを倒したことで、日本中が狂喜乱舞だ、江戸川乱歩。

 ♪可愛いベイビー、ハイハイ!

 状態になってしまった。(といっても、若い人にはわからんだろうな)

 

 ——ってな冗談はさておき、老化の尺度は徹夜後の体調でわかりますな。若い者は徹夜も平気だが、ジジババにはこたえる、こたえる。

 高齢大国ニッポンでは、W杯のスペイン戦のライブ中継をテレビ観戦し、体力を消耗してコロナに感染したジジババが大勢出たというぞ。

 オイラはコロナにこそかからなかったが、風邪をひいてしまった。

 その点、今夜は午前零時からだから安心というわけにはいかぬ。勝てば興奮して眠れず、負ければ腹が立って眠れず。

 結局、朝まで眠れない人が大勢出るのではないか。それが心配ってか。

 昼夜逆転で眠れないときは、こういう本でも読んでみて! なに? 退屈して眠たくなるってか?  オー、ノー! 興奮して、ますます目が覚めてしまって、体に悪いかも。世の中、うまくいきませんな。

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 (城島明彦)

 

2022/11/24

〝ドーハの奇跡〟を祝して! ワールドカップ版「新・ドレミの歌」

 ♪ド~はド~ハのド ♪ド~は堂安のド

 

▼元歌「ドレミの歌」(ペギー葉山作詞)

 ♪ドはドーナツのド ♪レはレモンのレ ♪ミはみんなのみ 

 ♪ファはファイトのファ ♪ソは青い空 ♪ラはラッパのラ

 ♪シは幸せよ ♪さぁ歌いましょう ♪ ランランラン

 

💛ワールドカップ・ドイツ打倒版「ドレミの歌」

【1番】

 ♪ドはドーハのド ♪レは歴史的のレ ♪見たかドイツのミ 

 ♪ファはファンファーレのファ ♪ソは底力 ♪ラは楽勝のラ 

 ♪シは死んだふり前半  ♪さぁ歌いましょう ♪ ランランラン

2番】

 ♪ドは堂安のド ♪レは冷静浅野のレ ♪ミは見事のミ 

 ♪ファはファン泣かすのファ ♪ソは総力だ ♪ラはラッキーのラ

 ♪シは勝利だよ ♪さぁ歌いましょう ♪ ランランラン

 

 ギャグる門には福来る、ってか。みなさんも、ひとつ、どうです? 

(城島明彦)

元大関朝乃山が、幕下力士相手にまた負けた。精神面に致命的弱点があるのか?

精神面に不安定すぎる。どっしりしているのは体格だけか? 

 

 対戦相手をまったく相手にしない相撲を取って当たり前なのに、負けた。

 「油断した」という言い訳は通用しない。

 心と体に隙があったから負けたのだ。

 先場所も1敗して優勝できず、十両昇進が成らなかった。

 今場所はすでに勝ち越しているので、来場所の十両昇進=関取復帰は確定しているが、陥落以降は全部勝って当たり前

 そう思っていた相撲ファンは多かったから、落胆しているのではないか。

 今の大関には不甲斐ない連中が多いから、朝乃山には大きな期待が寄せられている。

 そういう声に応えられるように、褌(ふんどし)を引き締め、いや、まわしを固くきつく締めて、来場所こそ、ぶっちぎりの強さを発揮して15戦全勝で十両優勝してもらいたいものだ。

 格下相手に負けた理由は、朝乃山自身が痛感しているだろうから、来年の初場所以降は、二度と同じ過ちをしないようにするだけだ。

 来年のNHK大河ドラマの主人公は徳川家康だが、家康は同じ過ちを二度繰り返すことはなく、戦う相手に自分が苦しめられた戦い方をして、ついに天下を取ったのである。

 「朝乃山は、格下相手に不覚を取った痛恨の体験を相撲に活かした」

 と誰もが感じるようになったとき、朝乃山は大関に復帰し、横綱を目指せる大器に成長したといえるだろう。

(城島明彦)

2022/11/22

拙著『家康の決断』。来年の大河ドラマ「どうする家康」の便乗本、本日発売! 

決断には大中小があり、「今日はどの服を着ようか」と迷う「選択」も決断の一種だ

 

 出版物に「商機」という言葉を当てはめると、 NHK大河ドラマ「どうする家康」が放送される来年は「家康もの」の本がそれにあたる。

 現在、出版社はどこもかしこも不況にあえいでいるので、「家康もので稼ごう」と考え、その結果、似たような本が続々と発売され、過当競争が起き、共倒れになることが多い。 

 私も声をかけてもらったので「家康もの」を執筆し、本日発売と相成った次第。

 題して『家康の決断』。

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 気取っていうと、「NHK大河ドラマ関連本」、早い話が「NHK大河便乗本」。

 本書のミソは、年代別(10代、20代、……60代・70代)に章立てした点だ。現時点で、こういう書き方をした家康本は出ていないから、以後、その手の本が出たら「拙著をまねた」ということになる。早い者勝ちである。

 吉田松陰(松陰の妹を主役にした「花燃ゆ」2015年)、西郷隆盛(林真理子原作の「西郷〈せご〉どん」2018年)、渋沢栄一に続いて、この家康本で、私のNHK大河ドラマ便乗本は4冊目になる。

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 吉田松陰のことを書いた拙著は『吉田松陰「留魂録」』(「留魂録」は松陰が処刑される前夜に書き残した遺書)で、この本はかなり売れ、今も読まれている。松陰を演じた伊勢谷友介が、劇中、妙な演技をするので「どういう解釈をしているのか、おかしな奴だ」と思っていたら、その後、大麻で逮捕され、ミソをつけた。

 西郷隆盛本は、「面白い。売れたでしょう」とよくいわれ、テレビ番組にも出演したが、あまり売れなかった。

 

 渋沢栄一のことを書いた拙著は新書で、日本の近代化を阻害しているのは『論語』といって徹底的に『論語』を排斥した福沢諭吉に対し、渋沢栄一は『論語』を崇拝し、バイブルとして愛用していた。その両者の違いを対比して論じ、そのような見方をした本は過去現在を通じて1冊もなく、目のつけどころはよかったが、二兎を追ったせいか、あまり売れなかった。拙著発売後、岩崎弥太郎と渋沢栄一を比較した本が出たが、そちらの方は売れたようだ。拙著でも岩崎弥太郎と福沢・渋沢の対比を論じていたが、一部に過ぎなかった。
 なかには『福沢諭吉と渋沢栄一』を面白いと思ってくれた人もいて、中学受験予備校の模擬テストに使ってくれた。その問題は、後日、紹介する。 

 ついでに、時代ものの拙著を紹介。

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 本日のところは、ここまで。拙著発売の告知でした。

(城島明彦)

2022/11/18

閣僚は統一教会とべったり、海域は北朝鮮や中国に威嚇されっぱなし、物価は高騰しっぱなし……こんな日本に誰がした

 いつの間にか、暮らしにくい国になった日本

 かつては世界を震撼させるほど働きまくった日本人が、いまじゃ、一見、のんびり優雅に働いている。
 そんな日本に、北朝鮮はやりたい放題だ。ICBMは撃ち放題。拉致した日本人を返そうともしない。

 そのつど日本政府が発するコメントは、バカの一つ覚えとしかおもえない「遺憾」「厳重抗議」だとさ。

 排他的経済水域内に北朝鮮のICBMが撃ち込まれ、中国の無人航空機が領空を飛び、ロシアの軍艦が津軽海峡を通過しても、ぼんやり見ているだけ。

 経済力にしたって、どんどん低下している。

 かつての日本の国力は、どこへいったのか。

 政治家も官僚も経済学者も経営者も、私欲を捨てて、国のためになることを、もっと目に見える形でやらんかい!

 (城島明彦)

 

 

 

 

2022/11/17

窓を開けて寝たら風邪をひいた

気がつけば、冬の一歩手前。古い映画を見て過ごす日々。

 

 年を取ると、ボ~ッとするのは頭だけじゃありません。

 体もですわ。

 若いつもりで、風呂上がりにパンツ一枚、ランニングシャツ一枚で寝込んでしまい、寒くて目を覚ますと、明け方だった。

 男なのにオカンや。寒気がし、くしゃみ連発ですがな。

 その後、発熱、胃やら腸やらが痛くなり、下痢したので、もしかしたらコロナと思った。

 しかし、オイラはしぶとい。ただの風邪だった。

 安い風邪薬と正露丸で、熱も腹痛を撃退だ。というと、聞こえはいいが、シンドイ思いをした。

 若い頃なら1日寝ればケロッと治る病気も、年を取ると抵抗力や回復力が低下するせいか、3日もかかった。

 

 ベッドに寝ていたが、退屈なので、you tubeにアップされている古い名作映画を片っ端から見た。

 東映映画あり、松竹映画あり、東宝映画あり、大映映画あり、新東宝映画あり。

 〝100万ドルのエクボ〟といわれていた20代の頃の音羽信子は、きれいでしたな。

 淡島千景のデビュー作「てんやわんや」は、おかしな映画ですなあ。

 結婚を噂されたながら破局した葉山良二と芦川いづみのラブロマンス映画も捨てがたい。

 今風の美人顔だった若き日の北原三枝、美少女時代の吉永小百合が主演する映画は、数えきれませんぞ。
 大映の看板女優山本富士子と菅原謙二の恋愛映画、同じく大映の叶順子主演の恋愛映画も、なかなかなもんでしてな。

 結婚前の田宮二郎と藤由紀子の産業スパイ映画も、面白いですぞ。

   片岡千恵蔵の近藤勇は、「パッツ」という例の息継ぎが懐かしいですな。

 いやいや、懐かしの銀幕スターたちは、時の経つのを忘れさせてくれますなあ。 

 テレビ番組がくだらなさすぎるおかげで、古い映画鑑賞に明け暮れる日々ですわ。

 

 だが、どう考えても、著作権を無視した代物で、画質があまり良くないものが多いが、ただで観られるのだから文句はいえない。

 東宝映画の助監督をしていた若い頃は、カメラアングルとか、カットつなぎとか、専門的なことが気になったが、今はスジを楽しむだけ。

 you tubeに飽きると、アマゾンのプライムビデオの1950年代から1960年代の日活映画を観て過ごした。

 古い映画を好んで観るのは、当時の銀座や横浜の街や店や風景がどうだったかがわかるからだ。

 

 オイラ、酒が飲めんのでなあ。

 人が苦労してつくったものを、コーラやコーヒーを飲み、センベイをかじりながら、

 「映画なんて、自分でつくるもんじゃない」

 などと、時には毒づいたりもする。

 家で、好きな時間に好きなだけ、映画を見られるなんて、いい時代になりましたなあ

 だるまさんがころんだ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10

 オイラもあんたもパー 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10

 (城島明彦)

 

2022/11/14

〝栃若時代〟の映画『土俵の鬼 若ノ花物語』(1956年12月公開)を観た

子どもの頃、観たくても見られなかった映画『若ノ花物語』をアマゾンのプライムビデオで観た

 

 劇中、若ノ花の実際の取り組みが出てきた。

 横綱の吉葉山、鏡里、大関の朝潮、松登、大内山をはじめ、安念山、成山、鶴ヶ峰、宮錦といった懐かしい力士との対戦が見られ、面白かった。

 その取り組みのなかには、かの有名な大技「呼び戻し」もあって、「おお、これこれ」と思ったものだ。

 映画を見て、もう一つ思い出したのは、若ノ花自転車で花籠部屋と自宅を往復していたこと。こういうことも、当時の相撲大好き少年はよく知っていた。

 すっかり忘れていたのは、若の花と栃錦が水入り2回の大相撲になったが、最初の水入りの際、栃若が相手の健闘を讃えるかのように互いに微笑んでいたことと、次の取り組みの後で、再開したということ。

 日活映画では、若い頃の若ノ花は青山恭二、花籠親方は坂東好太郎だが、若ノ花という四股名(しこな)は親方が大ノ海を名乗る前の四股名だったということも劇中で語られる。

 

 映画では、奥さん役が北原三枝、いわずと知れた〝昭和の大スター〟石原裕次郎の奥さんだ。

 当時の相撲少年は、皆、若ノ花の長男勝男くんが、ちゃんこ鍋をひっくり返して大やけどを負い、死んでしまったが、それでも出場し、土俵に上がる前まで首に数珠をかけていたといったエピソードなどは、漫画雑誌の記事を通じて、よく知っていた。

 昭和30年代の少年たちが夢中になったのは、相撲、野球、プロレスで、当時、「怒涛の男 力道山物語」(1955年東映)、「鉄腕投手 稲尾物語」(1959年東宝)などの〝スポ根(こん)〟映画は結構つくられ、いっぱいあった漫画誌は競って人気力士や選手の物語を別冊付録につけたものだった。

 力道山の映画は少年の頃、夏休みに商店街の空き地で無料上映されたときに観た。そして、それから半世紀以上も経った2年ほど前にプライムビデオで改めて観たが、いくつかのシーンを間違いなく記憶していたことがわかって、郷愁にひたった。

 力道山は、セリフ回しもうまかったが、日頃から無口な若ノ花はうまくなく、その点を考慮したのか、せりふはすくなかった。

 私は、小学生時代、相撲が強かったこともあって、化粧まわしをつけた力士のブロマイドを集めていて、ある日、学校へもって行って友だちに見せびらかしていたところ、先生に取り上げられ、返してもらえずなかった。小学1年生から4年生までコツコツと集めたので、100枚は越えていたのではないか。

 その先生のことは好きだったが、プロマイドを返してくれなかったそのことだけはいまだに不満に思っている。
 他人から見れば、どうということのない出来事も、当人にとっては、生涯、忘れられない重大な出来事なのだ。

 思い出とは、そういうものなのではないだろうか。

 (城島明彦)

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