2009/07/10

あれから50年。〝NHK紅白歌合戦7年連続出場歌手〟中原美紗緒「河は呼んでる」の歌詞が消えた謎を追う [その2]

●フランス映画「河は呼んでる」の舞台は、アルプス山麓からプロバンス地方の古都アビニヨンへと流れているデュランス河である。
 原作者のジャン・ジオノと映画監督のフランソワ・ヴィリエが映画化に着手したのは、一九五六年の春だった。
 フランソワ・ヴィリエは、1920年3月生まれで、「河は呼んでる」を完成させたときは38歳。
 9歳上の兄は著名俳優のジャン・ピエール・オーモン(1911年~2001年)で、映画界にはコネがあったが、当初から映画界に身を置いたわけではなかった。大学を出て「エクレール・ジュナル紙」に勤め、ニュース・カメラマンをしていたが、映画界に転進したのである。

●フランソワ・ヴィリエは、カメラマンから出発し、演出家を目指して助監督になり、当時の一流監督だったジャック・ド・バロンセリ、モーリス・クロシュ、レオニイド・モギイらに師事。短編映画監督としてデビューを果たす。
 短編監督作品には「黒い友情」「ブラザヴィールをめぐって」「伊太利に於けるローレーヌの十字勲章」などがあるが、これらは第二次世界大戦中に撮影したもので、ナチスドイツに占領されていたフランスが連合軍の侵攻によって解放されると、ジャン・コクトーの解説で、これらの作品は上映され、話題を呼んだ。
 「河は呼んでる」以前の長編映画監督作品は、兄のピエールを主演に据えた「マルセイユの一夜」(1948年)だけである。

●映画「河は呼んでる」のストーリーは、ジャケットの解説のところにも少し書かれていたが、もう少し詳しく紹介しておこう。
 アルプス山麓のオート・ザブル県にあるユバイという彼女の住む村は、デュランス河のダム工事のために人口湖の底に沈むことになり、村人たちは賠償金をもらう。
 オルタンスの父は土地をたくさん持っていたので、3千万フランという大金をもらうが、それを家のどこかに隠したまま死んでしまい、彼女が遺産相続人となる。
 しかし彼女は未成年なので、後見人が必要だった。公証人立会いのもとで親族会議が開かれ、未成年の彼女を親戚が1か月ずつ預かるという取り決めをつくる。
 ところが、親戚の連中は彼女が手にする遺産がめあてで、醜い争いを繰り広げるが、金の隠し場所を誰も発見できない。
 彼女も知らなかったが、ある日、偶然、屋根裏部屋のおもちゃ箱に隠してあるのを見つける。その瞬間から、彼女は大金持ちになったのである。
 強欲な親戚連中のなかで、オルタンスが唯一、信頼し、心を寄せたのは、おっとりして金銭に無頓着なシモンという名の叔父だった。シモンは羊を飼い、のんびりと大自然のなかの生活をエンジョイしていた。オルタンスは、前々からよくそこを訪ねては、彼と一緒に羊の群れを追っていた。
 オルタンスは、父の残した遺産の一部で新しい服を買ったりテレビを買ったりしたので、親戚の者は彼女がお金を見つけたに違いないと考え、彼女を地下室に監禁する。
 しかし、彼女は白状しない。
 やがて、オルタンスが生まれ育った家や村がダムの底に沈む日がやってきた。その日は、彼女がちょうど成人になる日だった。
 彼女は、巨額の金をおもちゃ箱からテレビの箱のなかにこっそりと移し変えていた。
 そのテレビは、今は、自分を監禁した親戚の家に運ばれている。
 ダムに貯水が開始され、監禁されていた自分の家が水に沈む直前にオルタンスは、脱出し、公証人や親戚の者が居並ぶ前で、テレビからお金を取り出す。
 そしてその金を持ってスクーターに乗り、心を寄せるシモン叔父のもとへと向かったのである。

●映画「河は呼んでる」の評については、フィガロ紙のものは紹介したが、それ以外の新聞の表も紹介しておこう。
 《 「河は呼んでる」は今迄にその類を見ない映画である。ジャン・ジオノは強大な機械工場に圧迫される自然を前にして、まず抵抗を感じてシナリオの筆をとった。語らざる風景はまれに見る厳正な趣きを呈し、フランスでも有数の風光明媚なこの地方をシネスコ画面と美しい色彩とが完璧にとらえている。 》(「パリ・ジュルナル紙」1958年5月8日付)
 《 この映画は、物語そのもののうちに、出演者たちの心理の動きの中に、ドラマの背景となる風景そのものの中に、そのすぐれた価値をもっている。
 監督はモナスク付近の非常に美しい風景をすぐれた色彩でとりあげることができた。パスカル・オードレの演技はまったく素晴らしい。アンネ・フランクを舞台で演じて有名になる以前に、彼女を発見し、この大役を与えたフランソワ・ヴィリエ監督の慧眼(けいがん)の敬意を表すべきである。 》(「ル・モンド紙」1958年5月8日付)

●映画の話は以上で終わり、主題歌に移る。
 「河は呼んでる」という曲名は、現在では「河は呼んでいる」という「い」を入れた題名で音楽の教科書やピアノ教則本などに載っている。
 どう違うかの簡単な見分け方は、「『い』のない方」は映画が封切られた当時の歌詞で、「『い』のある方」は後日作られた歌詞だと考えればよい。
 「い」を入れた歌詞は、音羽たかしとは違う別の作詞家の手になる訳詞で、最初に中原美紗緒が歌った歌詞とはまったく違った内容になっている。音羽たかしについては[その1]で説明した。
 その歌詞を訳した人は、水野汀子という作詞家だ。

●曲名に「い」が入って「河は呼んでいる」となっただけでなく、歌詞がまったく別物に変わったのは、1961年である。NHKの音楽プロデューサー、ディレクター、作詞者自身のいずれかが言い出し、意図的に変えたに違いないが、歌が大ヒットしてわずか3年しか経っていない時期に、なぜ変えなければならなかったのか!? その話をする前に、「い」のない歌詞を、もう一種類、紹介しておこう。

●「い」のない「河は呼んでる」の日本語訳詞は、加山雄三の「君といつまでも」ほかの歌の作詞家としても知られる岩谷時子が訳した詞だ。
 岩谷時子は、元宝塚の出版部勤務から、大物シャンソン歌手越路吹雪(こしじふぶき)のマネージャーに転じ、越路吹雪のためにオリジナル訳詞を創ったのである。越路吹雪は宝塚出身で、宝塚時代に二人は仲良くなった。

●(2)河は呼んでる(岩谷時子訳詞) 右側が原詞
  あの娘は河の 溢れる水よ      Ma petite est comme l'eau Elle est comme l'eau vive
  走れば子等は 追いかけてゆく    Elle court comme un ruisseau Que les enfants poursuivent
  走れ 走れ 流れのように       Courez, courez  Vite si vous le pouvez
  誰にも 掴まらぬよう          Jamais, jamais Vous ne la rattraperez

  そよ風ふけば 子羊つれて       Lorsque chantent les pipeaux Lorsque danse l'eau vive
  あの娘はいつも 森へ出かける     Elle mène mes troupeaux Au pays des olives
  おいで おいで 羊の群よ       Venez, venez, Mes chevreaux, mes agnelets
  オリーヴしげる 水のほとりへ     Dans le laurier, Le thym et le serpole

  いつもあの娘が まどろむときは    Un jour que sous les roseaux Sommeillait mon eau vive
  若者たちが まわりを囲む       Vinrent les gars du hameau  Pour l'emmener captive
  しめろ しめろ ハートの鍵を      Fermez, fermez  Votre cage à double-clé
  溢れる水よ 早くお逃げよ        Entre vos doigts  L'eau vive s'envolera

  若者たちは あの娘が好きで      Comme les petits bateaux  Emportés par l'eau vive
  愛のながれに 小舟を浮かべる    Dans ses yeux les jouvenceaux  Voguent à la dérive
  漕げ 漕げ 恋の港へ          Voguez, voguez, Demain vous accosterez
  だけどあの娘は お嫁には早い    L'eau vive n'est  Pas encore à marier

  ある朝のこと 可愛いあの娘を     Pourtant un matin nouveau À l'aube mon eau vive
  やさしい声で 河が呼んでいた     Viendra battre son trousseau Aux cailloux de la rive
  お行き お行き 河は呼んでる     Pleurez, pleurez Si je demeure esseulé
  お前の河の 溢れる水よ         Le ruisselet Au large s'en est allé

●加山雄三の「お嫁においで」とどこか似かよう印象がある訳詞である。「お嫁においで」も、加山の曲が先にできていて、あとから岩谷時子が詞をつけたから、作業としては訳詞と同じだ。
岩谷時子の詞は、シャンソンの影響が強く、春夏秋冬の自然を歌詞にとりいれるのが巧みである。

●「お嫁においで」(岩谷時子作詞・弾厚作作曲) ※弾厚作は、加山雄三のペンネーム。
  もしもこの船で 君の幸せ見つけたら
  すぐに帰るから 僕のお嫁においで
  月もなく寂しい 暗い夜も
  僕に歌う 君の微笑み
  船が見えたなら 濡れた体で駆けて来い
  サンゴでこさえた 赤い指輪あげよう

  もしもこの海で 君の幸せ見つけたら
  すぐに帰るから 僕のお嫁においで
  波も夢を見てる 星の夜は
  僕に揺れる 君のささやき
  船が見えたなら 濡れた体で駆けて来い
  空へ抱き上げて 燃えるくちづけしよう
 
●「河は呼んでる」の歌詞を一変させるのは、子供向けの番組「NHKみんなのうた」である。
 中原美紗緒が最初に歌って大ヒットした歌詞は、映画の内容に沿ったものなので、映画を知らない人には意味がわからないところがいっぱいある。
 「オルタンスって何?」
 「やがてすべてが 流れの底に埋もれる? 何のこと?」
 ましてや子供となると、なおのこと。意味が理解できなくなる。それで、映画を知らなくてもわかる内容に変えられたと推理できる。
 「子供は、映画のストーリーなんかわからないから、いっそのこと、まったく別の訳詞にしよう」
 「それに、最初の訳詞は歌詞の一部をすり変えていて問題がある」
 ということになり、シャンソンなどを訳詞していた水野汀子に頼んだ。
 曲名も、このとき「河は呼んでる」から「河は呼んでいる」に変わり、歌詞も子供を意識してガラリと変わったのである。

●(3)河は呼んでいる(訳詞 水野汀子)  右側が原詞(1番のみ)

  そよ吹く風に 小鳥の群れは      Ma petite est comme l'eau Elle est comme l'eau vive
  河の流れに ささやきかける       Elle court comme un ruisseau Que les enfants poursuivent
  ごらんよ あの空 しあわせの陽が   Courez, courez  Vite si vous le pouvez
  あなたの上にも ほほえんでいる    Jamais, jamais Vous ne la rattraperez

  野ばらのかげに 小鳥はいこう
  森の泉も 静かに眠る
  ごらんよ あの河 ささやく声が
  わたしの胸にも 呼びかけている

  そよ吹く風に 小鳥の群れは
  河の流れに ささやきかける
  ごらんよ あの空 しあわせの陽が
  あなたの上にも ほほえんでいる

  ごらんよ あの空 しあわせの陽が
  あなたの上にも ほほえんでいる

●「NHKみんなのうた」が始まったのは、「い」抜きの「河は呼んでる」の歌がヒットした3年後。昭和36年(1960年)4月3日。放送時間は月曜から金曜までの毎日で、午後6時30分から35分まで。
 新しい訳詞をつけた「河は呼んでいる」が「NHKみんなのうた」に初めて登場するのは、番組開始から3年目の昭和38年春。4月・5月の木曜日に中原美紗緒が歌ったという記録がある。
 そのことを確認するべく、NHKに尋ねたところ、「『NHKみんなのうた』の歌集の1冊目(第1集)が資料として残っているが、誰が歌ったかは書いてない。昭和39年3月発売となっている。それ以外はわからない」との返事だった。
 中原美紗緒本人に確認するのが一番確実だが、彼女はすでに亡くなっている。
 訳詞が映画の内容を反映しすぎていることや、歌詞の一部が勝手にすりかえられているという問題はあったにせよ、大ヒットした歌である。しかもNHKは、紅白歌合戦でも中原美紗緒にその歌詞で歌わせている。
 そこまでしておいて、同じNHKがまったく別の歌詞に変え、それを同じ歌手に歌わせるという神経が、私にはよくわからない。
 その後も、同番組で「河は呼んでいる」は何度も取り上げられ、歌集にも掲載されてきた。
 こうして、中原美紗緒の当初の歌は、過去のものとして葬り去られるような形で消えていく運命をたどったのである。

(城島明彦)

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2009/07/09

あれから50年。〝NHK紅白歌合戦7年連続出場歌手〟中原美紗緒「河は呼んでる」の歌詞が消えた謎を追う [その1]

 誰にも、はるか昔に聞いた歌をもう一度聞きたくなるときがある。
 私の場合は、中原美紗緒(なかはらみさお)の「河は呼んでる」(「呼んでいる」ではない)がそうだった。
 シンプルで覚えやすいワルツの曲を、中原美紗緒が透き通るような美しい声で歌って大ヒットした歌である。今から半世紀も前の出来事だった。
 この歌のレコードには、異なる3つの訳詞が存在し、興味ひかれる謎めいた話がある。

●中原美紗緒という名前を聞いても、「誰?」という人が多くなった。
 彼女は東京芸大の声楽科出のシャンソン歌手で、昭和30年代(1955年~64年)に活躍し、NHKテレビの連続ドラマ「バス通り裏」の主題歌を歌い、紅白歌合戦に7回連続して出場するなど活躍したが、1997年夏に65才の若さで亡くなった。
 「あんみつ姫」(倉金章介原作の同名マンガのドラマ化)の主役で、映画にも何本か出演した。
 彼女が歌った深夜の映画劇場(マルマン映画劇場)の冒頭に流れる「夜は恋人」という曲もヒットした。
 (蛇足:マルマンは、国産初のガスライターを売り出し、その後、ゴルフ用品や禁煙パイポで知名度を上げた会社。創業者か片山豊。衆議院議員の片山さつきは、舛添要一と離婚後、片山豊の息子で元社長の片山龍太郎と結婚している)

●中原美紗緒は、中原淳一の姪っ子である。
 中原淳一の名は、年配の女性なら大概(たいがい)知っている。若い女性でも、彼の描いた挿絵の画風を見ると、「この絵なら見たことがある」と思う。
 中原淳一は、竹下夢二のような抒情的な女性の絵を描いた画家・挿絵画家であったが、それだけでは満足せず、少女雑誌「それいゆ」「ひまわり」を創刊するという異才の持ち主で、その表紙を自ら描いた。彼が描く少女が見につけたファッションは少女たちから圧倒的な支持を集めた。
 「ひまわり」や「それいゆ」は何度か復刊され、今でも目にすることができる。

●「河は呼んでる」は、彼女が紅白歌合戦に3回目に出たときに歌った曲で、今日でも子供のピアノ教則本やフルートやギターの教則本にも載っていて、かなりポピュラーな曲といってよい。歌の本やギター教則本に載っている歌の題名は「河は呼んでる」と「河は呼んでいる」の2つがある。
 「い」をつけるかつけないかなど、どうでもいいじゃないか、と思ったら大間違いだ。「い」がついているのとついていないのとでは、大違いなのである。

●現在、中原美紗緒が歌ってレコード化し、大ヒットした「河は呼んでる」を収録しているCDは、かつてのSPレコード音源からCD化した全集(絶版)など、そのほとんどが絶版になっている。
 そういう状況下で、私は、この歌が収録されている「Music Life~栄光のポップス・ヒッツ~」(キングレコード)というCD(全部で40曲入っている)を見つけ、買った。
 「河は呼んでいる」だけを聞きたいのであって、ほかの曲は聞きたくもなかったが、You Tubeにアップされていない田代みどりの「パイナップル・プリンセス」が入っていたのと、定価が3200円と手ごろだったから、「まあ、いいか」と思って買った。

●割安なのはよかったが、冒頭のフランス語の歌詞が4箇所も違っている歌詞カードにはまいった。
 viteをvinte と誤記したり、rattraperezのtが1個しかなかったりするのは愛嬌だとしても、どう聞いても中原美紗緒が「ヴェネ、ヴェネ」と歌っているようにしか聞こえない個所が「Jenez,Jenez」となっているのはひどい。(これについては詳しく後述する)

●私は、学生時代にフランス語を教養課程で2年間学んだ程度で、その後はまったくご無沙汰しているので、フランス語の知識は怪しい限りだが、中原美紗緒の「ヴェネ、ヴェネ」(venez,venez)という発音が気になり、原詞にあたってみた。
 原詞を書いたのは、ギイ・ベアールというシンガーソングライターで、彼は作曲もし、自ら主題歌も歌ったのである。この歌はシャンソンらしくなく、フォーク調という点も異色だった。それが幅広い層に好まれた原因かもしれない。

●このシャンソンらしくないフォークっぽい感じの曲が世界的に流行ったのは、昭和33年(1958年)で、この年封切られたフランス映画「河は呼んでる」(「呼んでいる」ではなく、「呼んでる)」の主題歌として歌われた。映画もヒットしたが、主題歌は爆発的にヒットした。
 フランスのフィガロ紙は、この映画を「控え目で、感動的で、明解で、しかも残虐なユーモアを帯びたこのシナリオのもつ詩に感激しないものはあるまい」(5月6日付)と絶賛し、フランス文部省推薦となった。

●「河は呼んでいる」の原詞を見てわかったのは、中原美紗緒が歌っていた歌詞の「1番の出だしのフランス語は、一部が原詞と違っている。2番の歌詞の一部を勝手に1番に持ってきている」ということだった。
 1番の原詞で、Jamais, jamais,(ジャメ、ジャメ)となっている個所を、2番の歌詞であるVenez, venez,(ヴネ、ヴネ)に変えているのだ。今なら、著作権法上、アウトだが、それ以前に、この2つの言葉は意味がまったく異なる。
 Jamaisは、原詞では「後の文章に否定を伴う用法」として使われている。
   Jamais, jamais, Vous ne la rattraperez  とても、とても、あの子はつかまらないよ
 これを、勝手に次のように変えたら意味が通じなくなる。
   Venez, venez,  Vous ne la rattraperez   おいで、おいで、あの子はつかまらないよ
 意訳するといっても、ここまでやるのは問題である。
 原詞を無視して訳したのは、音羽たかしという作詞家。
 この人が悪いのか、音楽プロデューサーが悪いのか、ディレクターが悪いのか?

●音羽たかしとは誰か? 「音羽」が、キングレコードの本社のある文京区音羽にちなんでいることは容易に想像できる。名前の「たかし」は、そこが高台だったということに引っ掛けていることも想像がつく。それともう一つ、「音は高し」(音楽は高らかに、といったような意味)というシャレでもあるのだろう。
 この音羽たかしなる人物は、キングレコードに所属したザ・ピーナツ、ペギー葉山らが歌った海外のポップスの訳詞を多数手がけているが、キングレコードの複数社員の総称であって特定の個人ではない。いわば匿名というか覆面作詞家である。だからといって、無責任な訳をしてよいわけではない。

●中原美紗緒が歌ったシングル盤レコード「河は呼んでる」は、キングレコードから350円で発売された。
 ジャケットは、羊が群れているアルプス山麓の牧草地の岩に主人公の少女「オルタンス」が右向きに腰かけて、足を小川にひたしている写真が使われている。映画のワンシーンだが、レコードジャケットでは、足元の小川の部分がカットされている。
 ジャケットでは、オルタンスの足元(右下)にも中原美紗緒の顔写真が丸窓にはめ込んである。
 そして右上にある山には、男たちが5人集まった(これも映画の)一場面が横長に小さくはめ込まれている。
 このことからわかるように、音羽たかしの訳は、映画の内容を反映したものになっている。

●(1)「河は呼んでいる」(訳詞 音羽たかし) 最初の歌詞
 中原美紗緒が歌って大ヒットし、NHK紅白歌合戦で彼女が歌った歌詞を、ジャケットに記されたレイアウトで以下に再現する。

  Ma petite est comme l'eau
  elle est comme l'eau vive
  elle court comme un ruisseau
  que les enfants poursuivent
  courez, courez, vite si vous le pouvez
  venez, venez, vous ne la rattraperez

  1)デュランス河の 流れのように
   仔鹿のようなその足で
   駆けろよ 駆けろ かわいいオルタンスよ
   小鳥のように いつも自由に

  2)岸辺の葦(あし)に 陽はふりそそぎ
   緑なす野に オリーブ実る
   駆けろよ かけろ 可愛いオルタンスよ
   心ゆくまで 子羊たちと

  3)やがてすべてが 流れの底に
   埋もれる朝が 訪れようと
   ごらんよ ごらん かわいいオルタンスよ
   新しい天地に あふれる水を

●中込純次(フランス文学者)の訳
 原文に忠実な訳を紹介する。
   可愛いあの子は水のようだ    Ma petite est comme l'eau
   あふれ出る水、湧き出す水    Elle est comme l'eau vive
   あの子は走る河のように      Elle court comme un ruisseau
   それを子供が追いかける      Que les enfants poursuivent
   駆けろ。駆けろ            Courez, courez 
   どんなに早く走っても         Vite si vous le pouvez
   とても、とても            Jamais, jamais
   あの子はつかまらないよ      Vous ne la rattraperez

 これは1番の歌詞だ。原詞は全部で5番まであるが、「デュランス川」というフランス語は出てこないし、村がダムの底に沈むことを暗示した「すべてが流れの底に埋もれる」という言葉もない。「オルタンス」という少女の名前も出てこない。
 つまり、音羽たかし訳の歌詞は、映画のストーリーをうまく盛り込んだ内容なのである。おそらく映画の配給会社の要請もあっって、そうなったと推測できる。
 したがって、この映画を観ていない人や、年月が経って映画のことを知らない人たちが増えてくると、歌詞そのものの意味が理解できなくなってくる。

●ジャケットの裏には、歌詞(訳詞)以外にも歌の解説が載っている。今日ではわからないことも書かれているので、以下に引用する。
《 映画「河は呼んでる」(58年度、カンヌ映画祭出品作品)に主役として、登場するパスカル・オドレ(注:原文のまま)の名前は、演劇ファンの皆様にはおなじみ深い事と存じます。昨年秋(57年)、「アンネの日記」主役アンネに抜擢された当時無名のこの少女は、モンパルナス劇場の舞台に立ち大成功を収め、映画より一足先に舞台で有名になってしまいました。
 この映画の主役、オルタンスに扮する彼女のナイーヴな美しさと演技とは、わが国でも話題になる事でしょう。
 アルプスからプロヴァンスへと、ゆたかな流れを運ぶデュランス河と、そこに建設されて行くダム工事、更に湖底に沈む運命を負はされた渓谷の美しい村々が背景となって物語は展開されます。
 少女オルタンスは、デュランス河の化身ともいうべきで、人工的に変型されつつも、なお深い自然のふところを流れつづける河の姿は、そのまま少女が迫害、束縛、破壊にもかかわらず、自由と純潔を守りつづけて行く姿に通ずるものでしょう。
 映画ではギター1本によって、この河の乙女オルタンスのライト・モティーフが奏でられますが、この曲の持つ素朴で、しかも劇的な要素が観る者の心を強く打ちます。映画音楽として取り上げてみても最近出色の作品と申せましょう。作曲のギイ・アベールはモンマルトルの有名なミュージック・ホール「3匹のロバ」で歌っていた良い歌手で、この作曲で一躍有名になりました。
 レコードは無論少女オルタンスとデュランス河の清冽な流れを描写したこの映画の主題歌で、中原美紗緒の唄も清々しいリリシズムを盛り込む事に成功した、最近の傑出盤と申せましょう。 》

●映画の原題は、「L′EAU VIVE」で、主題歌は、これをそのままつけた。
L′EAUは「水」(最初のLは冠詞)、VIVEは英語のビビッド(vivid)に該当するフランス語で「生き生きとした」「活発な」という意味である。
 インターネットで調べてみると、現在、世界中に「L′EAU VIVE」という名前のホテルやレストランが多数存在し、海外ではとてもポピュラーな言葉であることがわかる。
 しかし、そのまま訳しても映画のタイトルにはふさわしくないので、意訳してロマンチックな感じのする「河は呼んでる」になった。
 映画「河は呼んでる」とその主題歌「河は呼んでいる」の河は、フランスのプロヴァンス地方を流れているデュランス河をさしている。
 プロバンス地方は、何年か前に日本でも観光地として注目を浴び、同地方のことを記した本が何冊も出たこともあり、今日では比較的よく知られた地名となっている。

●アルプス山脈を源流とするデュランス河は、〝暴れ河〟で、やたら氾濫を繰り返したので、ダムを作ることになり、そのあたりの村はダムの底に沈むことになる。
 そういう実話をヒントにして1956年に創作された映画が「河は呼んでる」(邦題)である。
映画の主人公は、黒髪が美しい少女オルタンス。彼女を演じたのがユダヤ系フランス人のパスカル・オードレ(ジャケットでは「オドレ」)。
 この映画の主人公は、デュランス河そのものであり、河の化身ともいうべきオルタンスである。
 映画の原作者ジャン・ジオノは、デュランス河の清烈で美しい流れと、身内の人間の醜い争いに触れて人間的に大きく成長していく姿を重ね合わせて描いた。

●パスカル・オードレは、13歳のときに映画「河は呼んでる」の主人公を探していた監督のフランソワ・ヴィリエに見いだされ、銀幕デビューを果たすのだが、「河は呼んでる」は、ダムの工事に合わせて撮影が進んだため、4年もの歳月を要することになる。
 企画がスタートしてから完成するまでに4年もの歳月をかけたこの映画の主役にオードレが抜擢された理由は、原作者ジャン・ジオノのイメージにぴったりだったからである。

●パルカル・オードレは、1936年にパリ郊外のヌイイ・シュル・セーヌで生まれ、幼少時にはスペインでも暮らした。
 彼女は、俳優のオリヴィエ・ユスノに勧められて、ノクタンビュエール劇場所属の「ピエール・ヴァルトの演劇講座」を受講し、演技の基礎を学んだ。そして、端役(はやく)ではあったが、「メイジャー・トムプソンの手帖」「現代娘」の舞台に出た。
 映画出演も、「河は呼んでる」が最初ではなかった。それ以前に、「二人で一対」「(1952年)、「未来のスターたち」(1955年)、「パリのマネキン」(1955年)などにも端役で出ているが、ほとんど無名であった。
 「河は呼んでる」を撮影中、彼女には別の幸運が訪れる。1957年秋、舞台劇「アンネの日記」のアンネ役に抜擢され、パリの「モンパルナス劇場」の舞台に立つのである。アンネ役で彼女は一躍有名になり、「河は呼んでる」の成功は、その時点で約束されたようなものだった。
 
●「河は呼んでいる」は撮影中からフランス映画界・演劇界の注目を集め、彼女は撮影中に、アンドレ・カイアット監督の「眼には眼を」にも出演することになる。彼女は、美しい黒髪、大きな黒い瞳を買われてアラビア人の少女役だった。
 「河は呼んでる」で注目を浴びた後、彼女は、ピエール・シュナル監督の「危険な遊び」(1957年公開)に主役で出演した。しかし、「河は呼んでる」以上の評価をえることはできず、その後もつらい女優人生を歩むことになる。
 彼女の以後の出演作品は、「俺は知らない」(準主役級・1963年)、「カラカス12時5分前」(準主役級、ディズニー映画、1967年)、「自由の幻想」(脇役、1974年)、「ポケットの愛」(脇役、1977年)である。

●ここで話は飛ぶが、パスカル・オードレはやがて結婚し、女の子を生む。その子ジュリー・ドレフュスは成人して、お母さんそっくりの美人になり、フランスでモデルとして活躍する。
 彼女もまた、黒髪美人。しかも、日本語がぺらぺらだったことから、NHKの「フランス語講座」の助手に抜擢されて注目を集め、資生堂のCMや映画「遠き落日」などにも出演したので、知っている人は多いはずだ。しかし、きれいすぎて、今一つファンは増えなかった。
 「遠き落日」は作家渡辺淳一が書いた野口英世の伝記を映画化したもので、彼女は渡米した英世と結婚するアメリカ人看護婦の役を演じた。その後、彼女は、活躍の場をハリウッドに移している。この映画は2回見たが、印象に残っていないところをみると、映画自身の出来も彼女の演技もあまりたいしたものではなかったのだろう。
(以下、[その2]に続く)

(城島明彦)

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2009/07/02

昭和30年代のB級白黒映画も、それはそれで面白い

 B級映画を4本まとめて観た。
 「ノンちゃん雲に乗る」(昭和30年=1955年)、「憲兵と幽霊」(昭和33年)、「女吸血鬼」(昭和34年)、「花嫁吸血魔」(昭和35年)。

 続いて大映の白黒映画「不知火検校」(昭和35年)を見た。これは森一雄監督作品のピカレスク・シネマ(悪漢主役の映画)である。
 悪知恵の働く盲目の按摩が悪いことばかりやって権力者に成り上がっていく話で、それまでは白塗りのノッペリした役ばかりやっていた勝新(勝新太郎)が怪演し、演技開眼した記念すべき作品。座頭市シリーズは、この作品の延長戦上にある。

 5本も古い映画を観ると、比較的新しいものも観たくなり、洋画の「ニーベルングの指輪」(5年くらい前の作品)も見た。
 これは、ワーグナーの歌劇「ニーベルンゲン」の映画化だが、A級まではいかないがAB級の娯楽大作で、話そのものは面白く、2回見た。もともとは壮大な叙事詩的ドイツ神話。それをかなり脚色してある。
 昔は、ニーベルンゲンと訳していたが、いつのまにか「ニーベルング」と呼ぶようになっている。ドイツ語では「Der Ring des Nibelungen」だから、「ニーベルンゲン」ではないのか?

 このところ、50年以上前に封切られた新東宝映画をたて続けにDVDで観ているが、映画に出てくる中華料理屋の看板に「ラーメン30円」などと書かれているのを見つけると、「これは歴史的資料だ」などと、つい大げさなことを考えたりしてしまう。古いB級映画には、そういう楽しみ方もある。

 「ノンちゃん雲に乗る」は、石井桃子原作のベストセラー童話の映画化。
 「文部省選定映画」なので、当時小学生だった人は、学校の貸し切りとなった映画館で観たか、学校の講堂で観たかのいずれかだったろう。
 私は講堂で見たが、映画のなかで、「ノンちゃん」に扮した鰐淵晴子がバイオリンで弾く「ガボット」と、悪ガキがはやしたてる「ノンちゃん、ノがつくノン左衛門(ざえもん)……」という歌は覚えていたが、雲の上から地上に戻るときにバイオリンを弾く「別れの曲」は覚えてはいなかった。

 彼女は1945年生まれなので、当時10歳だった計算になるが、日独混血だけあって体の成長が早く、着替えをするシーンでは下着の胸がすでに小さくふくらんでいることが、今回DVDで見てわかった。当時の日本人では考えられないことだ。

 それから15年後、私は本物の鰐淵晴子と会った。当時、私は東宝で助監督をしていて、彼女が「喜劇三億円大作戦」(石田勝心監督)に出演したからである。この話は別のところに書いたので、以下は省略。

 ノンちゃんのお母さん役は原節子。この人は、のちに小津安二郎作品には欠かせない女優となるが、今でも「日本一の美女」という伝説が残る人。
 今の人の美的感覚からすると、「ちょっと顔がでかすぎる」きらいはあるが、昔は、こういう人を理想の女性と考え、「永遠の処女」としたのである。吉永小百合の一世代上になる。

 おとうさん役は藤田進だ。この人には関東以北の人のような妙な訛(なま)りがあるが、出身地は久留米なので、いっぷう変わった九州訛りなのか。

 「ノンちゃん雲に乗る」は、今みると、雲の上の特撮が極めてお粗末で、しらけさせるが、当時はそんなことを感じなかったから不思議だ。

 「憲兵と幽霊」「女吸血鬼」は、怪談映画の最高傑作といわれる「東海道四谷怪談」を演出した中川信夫が監督した作品だけあって、B級企画ながら、よく撮れている。特に「憲兵と幽霊」は低予算にもかかわらず、面白く仕上げている。
役者では、天知茂が、「憲兵と幽霊」では極悪人の憲兵、「女吸血鬼」では吸血鬼と、あくの強い役を演(や)っている。
 「女吸血鬼」「花嫁吸血魔」のヒロインは池内淳子だが、同じ吸血鬼映画でも、監督の腕次第で、こうもレベルに差が出るかという見本のような作品である。
 こういう映画は、芸術性云々(うんぬん)を期待して観る映画ではないから、いかにB級娯楽に徹し切れているかどうかだ。

(城島明彦)

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2009/06/29

〝ハミ乳〟ならぬ〝ハミ乳輪〟、新発見! 〝日本映画史上初の全裸女優〟前田通子は映画『女真珠王の復讐』で、〝半乳輪〟も見せていた!

 前田通子(まえだみちこ)は、今から50年以上も前の日本のセックスシンボルだった女性だ。

 1956年(昭和31年)に封切られた新東宝映画「女真珠王の復讐」で、うしろ姿ではあったが、日本映画史上初の全裸をスクリーンで披露した主演女優として、知る人ぞ知る存在。

 岩場にしゃがんでいたスッポンポンの彼女がさっと立ち上がる場面がそれだが、日本映画史上記念すべきシーンは、されど、まばたきするくらいの時間に過ぎず、「なんだ、この短さは」と腹立たしく思うくらい極端に短いが、それでも当時は大騒ぎになり、当時青年や少年だった人たちの語り草となって今に至っている。

 この映画の共演陣は、藤田進(黒沢明の「姿三四郎」で主演)以下、のちにビッグネームになる宇津井健、丹波哲郎、天知茂、三ツ矢歌子が共演している。

 「女真珠王の復讐」は、そこそこの予算をかけているので、筋書きは〝それなり〟にしっかりしている。

 社長の椅子を狙っている貿易会社の専務(藤田進)は、自分が海外出張中というアリバイを設定しておいて、戦地で部下だった男(丹波哲郎)に命じて社長を殺させ、金庫の金も盗ませて、その罪を社員(宇津井健)と彼の婚約者(前田通子)にかぶせる。そのために宇津井健は刑務所にぶち込まれる。
専務は、秘書の前田通子を前々から狙っており、海外出張に同伴させて船の甲板で襲うが、彼女は抵抗し、海に転落して、行方不明になる。

 だが、うまい具合に無人島に漂着する。そこには、カツオ漁に出て難破し、漂着した漁師が5人いて、天知茂ともう一人以外の男は、久しぶりでみる日本の女に欲情してしまい、女をわがものにせんとして殺しあいに発展する。(これは、アナタハン事件という実際にあった事件が元ネタ)

 その島の海には真珠があり、彼女はアメリカに渡って「女真珠王」となり、復讐のために名前を変えて日本へ戻ってくる。そして、刑務所を脱獄した婚約者らと協力して復讐をはたし、めでたしめでたしというお話。

 扇情的という意味では、前田通子扮する秘書が、専務の魔手を逃れようとして航行中の船から海に転落し、無人島の浜に打ち上げられたシーンが一番ではないか、と私は思う。
 上半身は裸、下半身はなぜか(今では死語同然の)シミーズ一枚で、それが水に濡れて透けている。浜に横たわった彼女の腰、ヒップから太もも、足へと伸びる曲線がなんとも艶(なまめ)かしいのだ。

 カメラは最初、砂浜側から撮り、次に海側から彼女を撮る。砂に少し埋まる形で乳房の柔らかな丸みが見える。このカットの演出はいい。日本人のエロティシズムをうまく表現している。

 彼女が日本映画史上初の〝半乳〟ならぬ〝半乳輪〟を見せたのは、難破したマグロ漁船の漁師に小屋のなかで襲われるシーンである。
 抵抗し、揉みあっているときに胸に巻いた衣装が少しずり落ち、左右の乳輪が半分ばかり顔を出すのだ。といっても、ほんの一瞬! コマ送りで見ないと確認できないくらい超短い時間だが、乳輪の箇所が丸く黒く見えるので、それとわかる。(白黒映画なので黒く見えるのであって、実際の色は不明)
 
 彼女は演技に夢中で、そういうことに気づかなかったと思われる。監督はラッシュ(粗つなぎ)を見たときに「ありゃ」と思ったろうが、一瞬のことだから、「ま、いいか」とそのまま使ったのだろう。

 どうということの話ではあるが、主演女優の〝半乳輪〟出しは、とにかく日本映画史上初ということになる。

 新東宝は、この映画が大ヒットしたのに味をしめ、次の作品では前田通子を最初から裸同然にするにはどうしたらいいかと知恵を絞った。
 そして思いついたのが、「海女」という設定。これなら、裸になることに無理がない。ということで、翌年は「海女の戦慄」を作って、全編これ、大サービスに努めたのである。

 「女真珠王の復讐」では、貿易会社のOLという設定であるから、むやみやたらと脱ぎまくるわけにはいかなかったが、こちらは、海にもぐるのが仕事の海女だから、思う存分に肌を露出させることができる。

 で、この映画は、場内が暗くなると、いきなり、スクリーンに髪を肩まで伸ばした前田通子の背中を映し出し、彼女がおびえたような表情でこちらを向くと、上半身は裸とわかる。両手で胸を押さえているが、はみだしまくっていて、なんとも扇情的である。
 キャメラが少し引くと、彼女の立っている背後は白い壁で、そこにピストルを構えた男のシルエットが映し出され、彼女は誰かに脅されているのだということがわかる。と、「海女の戦慄」というタイトルが立ち上がってくる。

 映画を全部見終わると、このシーンは映画とは関係のないサービスカットであることがわかる。この割きりのよさは、〝B級映画のお手本〟のようなものである。

 DVDが発売されているので、この映画を再鑑賞した人は何人もいるだろうが、岩場に一糸まとわぬ姿ですっくと立った〝日本初の女優の全裸シーン〟や冒頭のシーンにばかりを注目して、別のシーンをおろそかにしたため、前田通子の「半乳輪」シーンに気づかずにきたに違いない。

 前田通子のことを書いているブログもチェックしたが、誰もこのことには触れていないのは、ほんの一瞬だけ左右の乳輪が半分露出しているのがわかる程度なので、見落としてきた可能性が高いが、私のように、目を皿のようにしてDVDを見るだけでは満足せず、何度もコマ送りして確認するような人は、いなかったということだろう。

 私が〝新発見〟に執念を燃やしたのは、このDVDを今頃になって見たという情けなさに加え、当時はとても厳しい性表現規制が敷かれていて、乳首や乳輪はおろか、乳房であっても画面で露出することはご法度だったから、それを覆すような新事実を見つけて悦に入りたいという気持ちがあったからだった。

 前田通子は、主題歌も歌っている。野村俊夫作詞・服部レイモンド作曲の「海女の慕情」で、なかなか上手だ。ときおり、美空ひばりそっくりの目元になるときがあるが、声はひばりほどうまくないが、歌がへたではない。

 「海女の戦慄」でチーフ所監督を務めたのは、のちに松竹で監督として喜劇を量産する渡辺裕介。小坂一也も挿入歌を歌っている。一流の連中が、この映画作りに参加していたのも見逃せない。

 「海女の戦慄」では、性表現がさらに進み、万里昌子(昌代。のち大映に移籍)が、何かというと、くっきり透け乳首で登場しているのも目を引く。万里昌代は、小柄なので、昔の用語でいう〝トラグラ〟(トランジスタ・グラマー)で、殺されて海中に下向きに浮かぶシーンでは豊満な胸と深い谷間を見せる大サービスもしている。

  故水野晴夫ふうにいうなら、「B級映画って、たまに見ると、ほんとに楽しいですね」というところか。

(城島明彦)

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2009/06/24

締め切りを気にしつつ、50年前の古い映画を見てしまった

 50年前の新東宝映画といっても、とっくにつぶれた粗製乱造の映画会社だから、若い人たちは「何、それ」でしょうなあ。

 くそ忙しいさなかにDVDで見た新東宝映画のタイトルは、もっと時代ばなれしている。

 「海女(あま)の戦慄(せんりつ)」「女真珠王の復讐」「海女の化物屋敷(ばけものやしき)」。

 化物屋敷などという言い方自体、死後に近いですな。

 これら3本は、今ふうにかっこよくいうと「エロチック・サスペンス」でございます。

 主演女優は、団塊世代以上のジジイたちなら大体知っている前田通子(「海女の戦慄」と「女真珠王の復讐)と三原葉子。いずれも、巨乳を売り物にする肉体派でございました。

 私は、長い間、前田通子主演のこの2作を見たいみたいと思いながら、見る機会を逸し続けてきました。

 DVDとして販売されているのですが、買ってがっかりすると腹がたつので、買わずに来ました。

 しかし、TSUTAYAにありました。それもずいぶん前から……。

 7泊8日のジジイ・レンタル価格は、1本たったの210円。

 ウハウハ喜びながら、3本も借りて、締め切り間際に見てしまいました。

 前田通子は、日本映画史上で初めて、吹き替えではなく、主演女優が尻の割れ目をスクリーンでさらけ出したお方であります。(彼女の記事は、前にブログに詳しく書いておりますので、関心がおありの方はそちらをどうぞ)

 尻の割れ目など、いまなら、どうということもない話ですが、50年前はたいへんなことでした。

 と、煽(あお)っておいて、今日のところは、ここまでです。いま書いている原稿があがったら、続きを詳しく書きます。

 それと、中原美紗緒(みさお)の「河は呼んでいる」についても、新説を書く予定。この人のことも、若い人は知らないでしょうなあ。テレビドラマ「あんみつ姫」を演じた美形のシャンソン歌手で、挿絵画家の中原淳一の姪(めい)っ子だった人……。

(城島明彦)

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2009/06/18

「星野ジャパン」の教訓はどうなった!? 日本代表といわず、なぜ「岡田ジャパン」というのか?

 テレビのスポーツニュースを見ていたら、サッカーの日本代表の戦績を報じるシーンで「岡田ジャパン」を連呼している局があり、イライラさせられた。

 日テレである。

 日テレのアナウンサーは、そうするのが当然かのように、「岡田ジャパン」を繰り返していた。

 そういえば、かつて「ゴ~~ル!」を連発して物議をかもしたのも、この局のアナウンサーではなかったか?

 私は野球大好き、相撲大好きだが、サッカーには興味がないので、試合中継は観ない。
 しかし、野球や相撲の結果をスポーツニュースを見ていると、サッカーの試合のダイジェストも目に入ってしまう。

 したがって、サッカーの2010年に開かれるサッカーの「W杯(ワールドカップ)南アフリカ大会」のアジア予選がどうなっているかぐらいはわかる。

 そのとき、イライラするのは、「岡田ジャパン」「岡田ジャパン」と連呼されることである。

 日テレが一番ひどい。局全体でそういうように決めてあるのか、スポーツの結果を報じる番組では必ず「岡田ジャパン」という。

 「おまえら、プロ野球のWBCの教訓を忘れたのか。試合をやっているのは選手であって、監督ではない」
 
 番組を見ていて、そう怒鳴りたくなったが、ふと、NHKや他の民放もそういっているのかもしれないと思って、見てみると、さすがにNHKは岡田ジャパンなどとは一言もいわず、「日本代表」で通していた。

 日テレは、野球のWBCで、なぜ「原ジャパン」をやめて「侍ジャパン」に名称を変えたのかという教訓を忘れてしまったと見える。

 「日本代表」といわないのか。なぜ「日本代表」どうしていえないのか。

 岡田監督が退場させられた試合で、日本代表は勝利しているが、それも岡田采配なのか?

 「日本代表」といえば、選手が主体にした呼称になるが、監督のことも含めたニュアンスは出る。

 テレビ局にとって言葉は「商品」だ。
 言葉を商売にしている企業なのだから、それくらいのことは考えてしかるべきである。

 それを馬鹿の一つ覚えのように、「岡田ジャパン、岡田ジャパン」と連呼するのだから、、あきれてものがいえない。

 その点、原辰徳は偉かった。
 星野仙一なら、「星野ジャパン」といわれて当然と思ったろうが、原辰徳は〝ファンの気持ち〟や世間の考え方をよく理解していた。

 そういえば、WBCでは、日本列島が連日連夜、フィーバーしまくるなかで、ひとりカヤの外だったテレビ局が日テレであった。
 あれで原は男を上げ、星野は男を下げた。あの時点で星野の時代は終わったのだ。誰もがそう思っている。

 ところが日テレは、いまだに「NEWS ZERO」で星野をコメンテーターとして定期的に使い続け、野球以外の事件や政治問題まで星野にコメントをいわせている。

 よほど人材不足とみえる。

 世間の感覚とズレまくっている星野のコメントなど聞きたくもないと思っている視聴者が多いことを、日テレは気づいていないらしい。

 「どうせ聞きかじりか、誰かの受け売りだろ? それを知ったかぶりして」
 視聴者のほとんどは、星野のコメントをそう思っている。

 ニュースはニュースで、専門家にきちんとコメントさせろ、といいたい。
 
 メインキャスターの村尾は、論点も鋭く、好感がもてるが、それを星野がぶち壊している。

 今の星野のイメージは昔の星野のイメージではなく、〝ダーティー〟な印象が強すぎる。そしてそのイメージは日テレのイメージにも波及する。

 ついでにいうなら、タレントの桜井翔がわけ知り顔に政治問題やら経済問題などを解説したり論じたりするのも閉口する。

 ついでのついでにいうなら、フジテレビの「サキヨミ」という報道番組も超レベルが低く、視聴者を愚弄している。

 そういう番組に共通するのは、ニュースを芸能化しているということだ。時事問題や経済問題をわかりやすく報じるということと、芸能人を起用して親しみやすくさせようとすることは次元が違う。

 視聴率を上げることばかり考えていると、テレ朝の「報道ステーション」ように、「大スクープ! 世界初! 金正日の後継者といわれる彼の三男正雲の写真入手!」などといって、そっくりさんの写真を報じるという笑止千万な大失態をやらかしてしまうのがオチである。
 
 あれ以来、視聴者の頭には、「報道ステーション」がどんなことをいっても、「また、ガセか?」という思いが頭の片隅にインプットされることになった。

 報道ステーションの大ポカの背景には、きちんと調査しないでガセネタに飛びつき、「世紀の大スクープ」として流してしまうという企業体質が関係しているのではないのか。

 報道番組での田原総一郎の「拉致事件の被害者死亡発言」、戦後最大のスクープと銘打った「川島芳子の遺骨発見の報道番組」……。

 一度なら目をつむれるが、二度も三度と立て続けに勇み足をくりかえすと、そう思われても仕方がない。

 話をサッカーに戻す。
 日テレの「岡田ジャパン」に驚いて、NHKを見ると、そうはいわず、「日本代表」といっていた。
 テレ朝やTBSのスポーツニュースも「流し見た」が、そのときの他局はみな、「日本代表」といっていた。

 ところが、TBSは今朝の「朝ズバッ!」のなかで、「岡田ジャパン」といい、ごていねいにもフリップにもそう書いてあった。

 それを見て思った。
 「同じ局内でも徹底していないのは、番組担当のディレクター、プロデューサーによるのではないか。知的レベルの低いディレクターやプロデューサーが担当しているスポーツ番組では、相も変わらず、監督名をチーム名としてしまっているのかもしれない」と。

 そういうことをチェックできていない局も、またレベルが低いということになる。

 少しは頭を使って、いい名前を考えてプレゼントしてやったらどうか。

(城島明彦)

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2009/06/17

菊池夏樹『菊池寛 急逝の夜』出版記念会の夜

 6月16日(火)午後6時から、JR市ヶ谷駅そばのアルカディア市ヶ谷(私学会館)で、元文藝春秋の編集者菊池夏樹さんの処女作『菊池寛 急逝の夜』(白水社)の出版記念会が開かれ、私も顔を出した。

 名前から察しがつくと思うが、菊池夏樹さんは、文豪にして文藝春秋の創設者菊池寛の孫である。
 夏樹という名は菊池寛がつけたが、夏樹さんが2歳のときになくなってしまった。

 発起人には作家の伊集院静、逢坂剛、大沢在昌、勝目梓の4氏が名を連ね、文壇の大御所である渡辺淳一、井上ひさし両氏が挨拶した。

 私が物書きになってまだ日が浅い頃、逢坂さんと大沢さんと私は、菊池さんに赤坂見附にある店の座敷ですき焼きをごちそうになったことがあった。

 そのとき逢坂さんから、私と逢坂さんが同じマンションに住んでいたことがあると聞いて驚いた。

 当時住んでいたのは、板橋区の蓮根というところにあった3DKのマンションだった。
 私が7階で逢坂さんは2階。702号と202号で垂直の位置関係であったから、間取りはまったく同じだったのだ。
 
 私が文藝春秋発行の小説誌「オール讀物」の新人賞を受賞したとき、当時勤務していた会社と付き合いがあった博報堂のある営業マンから「気づきませんで、申し訳ありませんでした。うちの逢坂剛にいわれて、知りました。受賞、おめでとうございます」といわれて、びっくりした。

 逢坂剛さんの名前は知っていたが、その人が博報堂に勤めていることは知らなかった。

 その分譲マンションに入居した私が、一階の郵便受けにずらっと並んだ名字のなかで最初に覚えたのは「中」という名字だった。

 「中」という名字が気になったのは、一文字の名字はそこだけで、しかもバランス感覚抜群の左右対称文字で目を引いたということ以外に、別の理由もあった。

 私は中日ドラゴンズの大ファンなのである。そのドラゴンズには、かつて「中利夫(なかとしお)」という名選手がいたのだ。今日に至るも、彼と同性のプロ野球選手は出ていない。

 中利夫は、センターを守っていた。センターは日本語でいえば「中央」、つまり「中」で、彼の打順が回ってきて「センター中」と場内アナウンスされるのを耳にするたび、あまりにできすぎではないかと思ったものだった。

 「オール読物」には、新人賞と推理小説新人賞の二種類がある。逢坂さんがそのマンションの部屋で書いた小説が1980年に「オール讀物」の「推理小説新人賞」を受賞し、作家デビューを果すが、私は、ちょうどそのから、小説を書いたいと思うようになっており、その2年後に「オール読物」の「新人賞」に80枚くらいの短編小説を応募した。

 同じマンションの住人がすでに新人賞を受賞していると知っていたら、別の賞に応募していただろうが、幸か不幸か、私は「オール讀物」の定期購読者でなかったためにそのことを知らなかった。
 今考えると、作家に必要不可欠な情報収集力が著しく欠如していたということになる。

 初めて応募した作品だったが、最終候補の3点まで残った。しかし、私だけが選に漏れ、残る2作が同時受賞した。

 それからしばらくして、「オール讀物」の編集者と名乗る人物から当時の勤め先へ電話がかかってきた。「会いたい」という。それが菊池夏樹さんだった。

 彼はえらく気を使う人で、待ち合わせ場所を銀座のソニービルにした。当時私がソニーに勤めていたからだった。一事が万事、この調子である。

 菊池夏樹さんは1946年6月26日生まれで、私はその2週間後の7月10日生まれ。性格も考え方も違うが、同じ時代の空気を吸って生きてきたという共通点がある。

 菊池夏樹さんは、いろいろアドバイスしてくれ、次に応募するときは直接、自分宛に送ってくれ、といってくれた。「オール読物」の新人賞は今は年1回だが、当時は2回だったので、私は会社勤めでよれよれになりながら、コミカルタッチの小説を書いたが、書きながらどこか違うなと思っていた。
 
 菊池さんに送ると、これはダメですといわれ、別のものに着手した。
 それを書きながら、「これでダメなら、以後、応募することはやめよう」と思っていたので、入選したとの知らせを受けたときはうれしかった。

 彼は1946年6月26日生まれで、私はその2週間後の生まれ。性格も考え方も違うが、同じ時代の空気を吸って生きてきたという共通点がある。
 
 出版記念会が終わりに近づいたとき、突然、私の名が呼ばれた。しぶしぶ壇の方へ出て行くと、彼はマイクに向かってこう紹介した。
「私が文藝春秋時代に担当させていただい作家の98パーセントが直木賞をとり、売れっ子作家になりました。残る2%は、この人です」
 私は、へらへらと笑うしかなかった。笑いながら、私は彼がいつも私に呈してきた苦言を思い浮かべていた。
「あなたほど、私のいうことに耳を貸さなかった人はいない」

 話が終わると、「見つかってしまいましたね」と声をかける人がいた。顔を見ると、ぶんか社の編集者の小川将司さんであった。

 菊池さんは、小川さんの編集担当で、菊池寛が書いた「競馬読本」をテーマにした祖父と孫のコラボレーション読み物を、7月にぶんか社から出すことになっている。

 私は、同社から8月5日に発売される書き下ろし小説を執筆中の身であり、本来なら家で青い顔をしてパソコンに向かっていなければならない立場なので、「やばい」と思った。小川さんは、その担当者なのである。

 小川さんと知り合ったのは、作家の角川いつかさんの紹介だが、話してみると、彼は、菊池夏樹さんが文藝春秋を退職した後、会長に就任した出版社に以前勤務していたことがあり、菊池さんをよく知っているということだった。世間は狭い。

 お開きになり、会場を出ると、二次会に繰り出すらしい〝のんべえ組〟の編集者や作家が集まっていた。

 昨年、小説執筆について手紙でアドバイスをしてくれた大沢在昌さんがそこにいたので、「がんばりま~す」と挨拶して階下へ向かった。

 菊池夏樹さんとは、近々、共著を出す計画が浮上している。うまくいくよう、がんばりま~す。

(城島明彦)

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2009/05/31

新型インフルを「政争の具」にした民主党と〝喜んで利用された〟女性検疫官

 私には、厄介な持病がある。若い時分からのもので、睡眠不足のときや疲労してくると背中の筋肉がこわばって痛くなり、仕事ができなくなる。それで、しばしばベッドに横になって休息する。

 5月28日も、執筆中に痛みがひどくなったので休憩することにし、テレビをつけてベッドにひっくり返った。

 ちょうど参議院の予算委員会での質疑応答をNHKが中継中で、眼鏡をかけた中年女性が質問に立ち、勇ましい口調で厚労省を批判していた。舛添厚生大臣は、答弁側にいた。

 見かけない国会議員だと思っていたら、意外や意外、厚労省の職員だった。正確にいうと、四十代半ばの技官(医系技官。羽田空港検疫官)である。

 この人物を参考人として呼んだのは、民主党の鈴木寛だと知って、「なるほど」と得心した。

 この技官、「日本には新型感染症に対する防御機能がない」「日本の感染症対策はゼロ」というのが持論の「反体制派」で、新型インフルに対する政府のやり方について不満たらたらの〝不平分子〟である。

 それだけなら、どうということはないのだが、この女性技官、新型インフルで世界中がパニックに陥りつつあった3月下旬に、タイミングを見計らったかのように講談社から『厚生労働省崩壊』という反体制本を実名で出版していた。

 「天然痘テロ対策」などがテーマで、新型インフルに言及したものではないが、きわもの的な印象はまぬがれない。

 こういう本には必ず仕掛人がいる。

 もし彼女が正義感から持論を展開しているのなら、選挙も近い時期にこうしたきわどい本を出すべきではない。「便乗商法」と受け取られてしまう。どんなに正論と思える主張を吐いても、痛くもない腹も探られることになる。

 それ以前に、もっと大きな問題がある。

 サラリーマンが本を出す場合は、会社の許可がいる。会社を批判するような暴露本は、無論、許可されない。たとえば、トヨタの社員が、『トヨタ崩壊』という本を書いたら、どうなる!? 株価に影響するどころの騒ぎではないはずだが、そうなる前に会社が許可しない。

 それでも強行に出版した場合は、それ相応の譴責(けんせき)処分が待っている。

その技官は、そういうことを覚悟の上で出版したのか!?

 官庁も同じだろう。しかし、3月に本が出て、はや6月になるが、まだ技官を辞めてはいない。それどころか、正々堂々、今度は、国会で民社党の走狗(そうく)となっての参考人発言である。
 一体全体、何を考えているのか。

 これから先を民社党から約束ないしは保証されてでもいるのではないのか。そう勘ぐられても仕方あるまい。

 その技官が、まだぬくぬくと仕事を続けているところを見ると、厚労省というところは、よほど鷹揚(おおような)な職場なのなのだろう。

 あるいは、厚労省が激震するような〝隠しダマ〟でも持っていて、うっかり処分できないのか。

 自民党政治のひどさは今更あげつらうまでもないが、民主党も昔の社会党と似たりよったりで、「何でも反対路線」が見え隠れし、民社党が政権を取ったら、こういう女性技官のようなタイプを厚労省のトップにすえることになるのかと考えると、ぞっとする。

 「政府のやり方がお粗末」であるとする女性技官の予算委員会での発言内容は、新聞やテレビニュースでも報道されていたから知っている人がたくさんいるだろうが、改めて書くと、こういうことをいった。

「マスクやガウンをつけ、検疫官が飛び回る姿は、パフォーマンス的な共感を呼ぶので、利用されたのではないか、と疑っている」

 厚労大臣の舛添は〝テレビの力・使い方を熟知しきったタレント〟のようなもの。加えて、衆議院議員選挙も近いことから、当然、パフォーマンスという項目も視野にあって当然である。

 こんなわかりきった低次元のことを、テレビ中継されている場面で、一技官が、したり顔でわざわざいう必要などない。

 パフォーマンスというなら、厚労省の一職員が国会の場で参考人発言をすること自体、パフォーマンス以外の何者でもないではないか。

 こういうのを「身勝手」という。テレビ中継されるからといって、「目くそ鼻くそを笑う」たぐいの茶番的なことをやってどうする。

 民主党の〝反自民パフォーマンス〟の一環として完璧に利用されたのは明らか。

 もし彼女が、技官として心底から、今回の新型インフルの防御策に危機感を募らせているのなら、論文とまではいわないまでも、緊急レポートの1本でも書いて、なぜWHOに直接働きかけないのか。

 選挙前に、自民党の厚労政策を公然と批判するような本を出す暇があるなら、医者として、公僕として、世界のため、日本のために身を粉にして尽くせ!

 公務員として、一方で、ぬくぬくと給料をもらいながら、給料をくれているところを公然と批判する本を出したり、テレビで発言するなど、もってのほか。

 文句があるなら、本を出したいなら、評論家になりたいなら、厚労省をやめてフリーになってからやれ。

 成田空港勤務ではなく、羽田空港勤務なので、のんびりと他人事のようなこともいっていられたのだろう、という皮肉な受け止め方もされてしまう。

 自民党も民主党も、そして、この厚労省職員も、みんな同じ穴のムジナだ。

 新型インフルは、これから進化しないと誰が言い切れる?

 メキシコ以外では、結果的に死者が少なかったからといって、安心するのはまだ早い。これだけのスピードで、世界中に飛び火する勢いを見ただけで、普通の神経の人は恐怖を感じているのだ。

 今年の冬から来年春までに、なにが起こるか、誰も予想できない。
 
 厚生労働省崩壊などとご高説を垂れる前に、医者であり技官である公僕としての自身の務めを果たせ!
 
(城島明彦)

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2009/05/29

もうひとつのWBCー―ボクシング「内藤大助と中国人ボクサーの試合」の後味の悪さ

 WBCというと、プロ野球の世界選手権を思い浮かべる人が多くなったが、どっこい、名称としてはボクシングのWBC(世界ボクシング評議会)のほうが大先輩である。

 内藤大助は、そのWBCで、5月28日に判定勝ちはしたものの、中途半端な印象を受けた観客が多かったはずだ。

 相手の中国人ボクサーの背が極端に低すぎたのが原因で、手こずりまくり、パンチにいつものさえがなかったが、相手以前に、減量に失敗していたのではないか。

 内藤自身がそれを一番感じていたのだろう、試合後のインタビューでは、「すみませんでした」を連発した。

 彼の人柄のよさにつられて、「まあ、勝ったからいいじゃないか」と私は思いはしたが、いまひとつすっきりしなかった。

 バッティングで切った両まぶたは30針も縫ったそうで、そのケガもいい印象にはならなかった。

 内藤が苦戦する試合を観ながら、野球のWBC 人気が盛り上がっている3月8日にタイで戦った辰吉丈一郎の試合(TBSが中継)を思い出した。

 辰吉はとうの昔に引退していると思っていたので、彼が試合をすること自体に驚いたが、年齢を知ってもっと驚いた。38歳であった。
 相手のボクサーは19歳。ちょうど半分の年齢である。

 プロ野球選手では、中日の山本昌のように40歳を超えても現役投手をやっている者もいるが、ボクサーでは40前後は無理。

 辰吉の試合では、セコンド陣が見るからに「ヤーさん風」というか「チンピラ風情」で、なんとも不快な感じがした。

 結果はボロ負け以前。試合になっていなかった。一言でいうと、ぶざま。
 
 まだ戦えると思っているのが悲しい。過去の栄光と伝説を汚すことはしない方がいい。

 そういうことは周囲のものがいってやらないとダメだ。

 そのときの試合後のインタビューでの辰吉の受け答えは、薬物中毒患者のように〝レロレロ〟だった。

 辰吉のレロレロ話から私は、あるボクサーを連想した。

 日本最強のボクサーといわれているピストン堀口である。
 
 彼をモデルにした映画(菅原謙二主演、妻役が若尾文子)を子供の頃に観たことがあるが、その中で今でも覚えているのは、くねくねと蛇行して歩いた後で、「自分ではまっすぐに歩いているつもりなんです」といったシーンである。

 ピストン堀口は、線路を歩いていて列車にはねられて死んでいる。

 辰吉の脳は、TBSが放送した彼の話し方や内容から判断すると、完璧にダメージを受けている。

 そういう状態の男に試合をけしかせ、テレビ放映するという感覚もよくわからない。

 辰吉はきちんとした精密検査を受け、リタイアしたほうがよい。

 TBSのゼニ儲け主義に踊らされていると、まちがいなく「廃人」になる。〝廃人20面相〟は、しゃれにならない。

(城島明彦)

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2009/05/20

「やればできる」と珍しく朝青龍を褒める

 朝青龍は、10日目把瑠都、11日目魁皇との対戦では、〝得意の〟張り手を使わなかった。

 左ひじの包帯が痛々しいが、ふたりの巨漢力士を正面から一気に攻めて軽く勝った。
 
 立ち合いに一発、張り手をかまさなくても、堂々の横綱相撲で勝てるじゃないか。

 いつも、こういう相撲をとらなければ。

 気になる点もなくはない。

 把瑠都と魁皇がどちらもケガをしているから張り手を使わなかっただけ、なのかもしれないという疑念だ。
 
 それは、これからわかることだ。

 張り手を使わない朝青龍は、実に立派ないい相撲をとる。

(城島明彦)

 

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2009/05/15

朝青龍の張り差し、何とかならないか

 朝青龍は、肘(ひじ)に痛みをかかえながらも奮闘してはいると思うが、毎度毎度の張り差し、あれは何とかならないのか。

 小結や関脇くらいの力士なら、「またか。しょうがない奴だな」ですむが、横綱となるとそうはいかない。

 くせになってしまっているようで、実に情けない。

 朝青龍の体つきは立派な横綱であり、横綱らしい貫禄も備えているが、毎度毎度の張り差しは、「横綱相撲」という言葉とは相容(あいい)れないものがある。

 相手を押したり突いたりするのが正面からの力であるのに対し、張り手は横からの力だから、特殊な使い方になる。

 そういう特殊な張り手の稽古をしまくっている力士がいるなどという話は、聞いたことがない。

 だが、もし誰かが、特殊な鍛錬方法を駆使して、手のひらの皮を異常にぶ厚く、堅く、鋼鉄のごとくに鍛えまくって最大の武器とし、「得意技・張り手」ということになったらどうなる!?

 張り手が許されるなら、「空手チョップ」も許されてもよさそうなものだが、相撲技にはない。

 それが、相撲の美学というものなのだろう。であれば、張り手は、相撲技としては、美学すれすれ・ぎりぎりの技とであるといえはしまいか。

相撲道を踏みはずしかねないギリギリのきわどい技を、出会いがしらに、いきなり相手にぶっ放すのを得意とする横綱の姿は、美しいものではなく、横綱としての自覚が足りないというほかない。

 朝青龍は、「相撲魂」というものが完全にはわかっていないように思える。今場所も、相撲が終わってから相手力士にガンを飛ばすという、横綱にあるまじき行為があった。

 話は変わるが、東関親方が今場所を最後に引退するそうだ。

 東関親方というより、彼は、やはり、今でも高見山だ。

 高見山は横綱にはなれなかったが、土俵態度は横綱だった。

(城島明彦)

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2009/05/14

〝エロじじい〟鴻池祥肇は国会議員を辞めろ!

 鴻池祥肇(よしただ)。
 こいつの情けないエピソードを聞いて、「絆創膏を顔にはって首相の足を引っぱった赤城議員」のことを思い出した。

 こいつの選挙区には、女の有権者はいないのか。いても、寛容な女ばかりなのか?

 議員宿舎に女を泊めたり、無料パスで人妻と温泉旅行したり、「女好きは先祖からのDNA」などと自慢げに公言するなど、時代錯誤の感覚で、国政を担っているという意識・自覚がまるでない。

 「こういうことをいっぱいやってきたが、今回は運悪くばれてしまった」
 などと当人はいいたいだろうが、「ばれる、ばれない」といった低レベルの問題ではない。
 
 こいつは、前に防災・特区担当国務大臣をやっている。
 わが身の防災を忘れてどうする?

 「都合が悪くなると、病院へ逃避」
 というパターンも変わりばえがしない。
 体が悪いのなら、女も議員もやめて、養生に専念しろ。

 鴻池は、麻生派の副会長。
 ヒイヒイいっている麻生親分をもりたてるどころか、足を引っぱってどうする。
 ノー天気な野郎だ。

 わが身を守れないのだから、麻生も守れないということか。

 (城島明彦)

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2009/05/04

「日曜洋画劇場」で、なぜ邦画?   「象の背中」のミスキャストぶり

 「日曜洋画劇場」と銘打っておきながら、5月3日(日)21時スタートの映画は、邦画の「象の背中」だった。
 
 この番組は、まだレンタルビデオ屋がない時代に、洋画の名作をたくさん放送し、私はそのほとんどを観てきた。
 
 総じて、なかなかいい映画を選んでやっているが、時折、テレ朝が制作費を出した邦画の駄作を放送する。

 5月3日放送の「象の背中」は秋元康原の同名の小説の映画家で、「突然、末期がんを宣告された40代後半の働き盛りのサラリーマンが、余命をどう過ごすか」というシリアスで興味あるテーマだったが、主人公の妻役の今井美樹が最悪で、演技以前の演技。学芸会に毛の生えたようなひどい芝居で、話を、というより映画全体をぶち壊していた。

 主役の建設会社部長に扮した役所広司は、そこそこの熱演のように見せかけていたが、ストーリー展開同様、彼の芝居にはリアリティが感じられなかったのが致命傷。
 
 井川遥の愛人との関係も中途半端。ふたりの子供も、なにやらとってつけたような田舎芝居。

 演出にもカメラワークにも、いいところはなく、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても駄作としかいえない映画。

 そういう情けない作品を何とか支えていたのが、脇を固めた岸部一徳と高橋克実。

 話を戻すが、「日曜洋画劇場」の邦画は、3月29日(「相棒」)と4月5日(「座頭市」)にもやっている。もっと以前にも、「男はつらいよ」シリーズや「鉄道員(ぽっぽや)」「夢」などをやってはいるが、ほとんどが洋画。
 
 邦画も流すのなら、「日曜映画劇場」となぜ名称を変えないのか。

(城島明彦)

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2009/05/03

視聴者をなめるにも、ほどがあるぞ、NHK! ワンダー×ワンダーは何だ!

 5月2日(PM10時~10時45分)放送のNHKテレビの「ワンダー×ワンダー」という番組は、ひどかった。

 「奈良の阿修羅像」の特集ということで期待して観たら、これが最悪。民放の深夜番組以下であった。

 CMが入らないから、丸々45分たっぷりの放送時間だが、きちんと編集したら20分ぐらいで終わるようなスカスカの内容。

 何人かのタレントが、中身のない話を井戸端会議のような調子でだらだらと話し続け、あげくの果てに「もっと詳しく見たい方は、BSハイビジョンを」と案内した。その日のその時間には見られない人だっているのだ。
 
 あの番組は、番宣(番組宣伝)なのか? 予告編なのか?

 NHKだから、そのうちに、はっとするような展開になるのだろうと思いながら観ていたが、最後まで、だれっぱなし。

 こういうくだらない番組をよく作れると、あきれてしまった。時間をムダにしたと腹もたった。それくらい、ひどい番組だった。

 制作費がないなら、もっと頭を絞れ。智恵を出せ。

(城島明彦) 

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2009/05/01

内館牧子横審委員への朝青龍の挨拶奇襲は、細木数子の差し金?

 5月10日から始まる大相撲夏場所に先立って、一昨日(4月29日)、「横審の総見」(横綱審議委員会の稽古(けいこ)総見」が両国国技館で行なわれたが、無料公開のせいか、客席はいっぱいだった。

 土俵の正面にセッティングされたテーブル席には、横審メンバーのお歴々(現在13人で、鶴田日経新聞社元社長が委員長)がずらりと並んで、稽古を見守っていた。

 そこまではよくある話。ありえない話が起こったのは、稽古が終わった直後。何を思ったか、朝青龍が委員席につかつかと歩み寄り、内館牧子委員に接近した。

 内館さんは、大相撲史上初の女性委員で、しかも朝青龍の言動に対しては、朝でなくても〝ズバッ〟と歯に衣着せず〝男勝りの超激辛コメント〟を連発してきたお方。
内館さんは病みあがり。心臓病の手術をし、病院での〝点滴〟から復帰した彼女は、朝青龍にしてみれば、いつも激辛(げきから)で耳の痛いことばかりいう〝天敵〟。

 その天敵に文句でもいいにいったのかと場内に緊張が走ったが、朝青龍、テーブルに左ひじをついて、内館さんに顔面を接近させた。

 でかい体とでかい顔、でかい態度の朝青龍が迫ってきた意味がわからず、顔面がこわばる内館さん。と、朝青龍、テーブルに左ひじをつき、彼女の方に手を置いて、
「お元気ですか。手術、心配していたんです」
 と話しかけた、

 朝青龍得意の、横綱らしからぬ「張り差し」急襲を受けて、とっさには言葉が浮かばず、どぎまぎし、思わず苦笑する内館さん。そこへニの矢を放つ朝青龍。
 「これからも激辛な批評をお願いします」

 好意的・短絡的に考えれば、「天敵を見舞った朝青龍は、えらい、立派」「気さくな性格じゃないか」ということになるのだろうが、ちょっと待った。

 横審というのは、横綱らに苦言や正面きって文句をいえる「権威ある存在」。力士たちからみると、泣く子も黙る雲の上のコワ~イ人たちの集団のはず。
 それを屁とも思わず、ハグしながら「お元気ですか」とは、どういう了見か、といいたい。

 こんなことは、長い大相撲の歴史のなかでも前代未聞。

 いつも口うるさく叱りつけられている中学生が、病気から復帰した超厳しい文科省の幹部役人のいる部屋へいきなり入っていって、机にひじついて……という状況を考えたら、わかりやすいだろう。

 礼儀も何もあったものではない「内館さんへの奇襲お見舞い」は、朝青龍が一人で考えたことではあるまい。彼の日本の母を名乗る細木数子の差し金ではないのか?

 かけた言葉は丁寧であっても、「友だち感覚の挨拶」であり、朝青龍は、立場の違いというものを知らなさすぎる。横審の権威も何もあったものではない。

 ここはモンゴルではない。日本の伝統の頂点に立つ人間なら、もっと自覚せよ。それが嫌なら、マゲを落として母国へ帰るがいい。

 居丈高(いたけだか)に人々に説教垂れまくっていた細木数子女史も、自分の〝息子〟となると、つい甘ちゃんになってしまって、注意の一つもできなくなるというわけか。

 仰天こいた内館さんは、後になって頭にきているはずだ。
 ほかの委員連中は、いうべきことをもっとビシッといわないとダメだ。

(城島明彦)

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