2019/11/19

麻薬で沢尻エリカ逮捕事件は「彼女だけの責任で、制作者は責任なし」というフジTV小倉智昭はバカなのか?

「大臣が辞任しても首相には任命責任」がないといっているのと同じだ!

 

 麻薬取締法違反で逮捕された女優沢尻エリカ事件に関して、フジテレビ系「とくダネ」司会者の小倉智昭がバカなことをいった。

 スポーツ報知オンライン版から引用。

《フリーアナウンサーの小倉智昭氏(72)は、沢尻容疑者が出演を予定していたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」が混乱していることに「大河ドラマも問題になってるじゃないですか。NHKが無駄遣いをするとみんなたたきますよね、NHKを。大河ドラマ、そのままやってもいいと思う。本人の責任はあるかもわからないけど、周囲の人とか制作者には全く責任がないわけで。それはやるべきだと思うんだけど、おかしいかな、この考え方。音楽とかもすぐに発売禁止になるでしょ」とコメントした。》

 

 周囲の人とは他の共演者のようにもとれるが、こういうことをいう奴がいるから、芸能人はつけあがる。

 小倉智昭のように、「本人に責任があるだけで、制作者には全く責任がない」などと自信ありげに堂々とコメントするところに、淀み腐ったテレビ界の深層が見え隠れする。それよりなにより、テレビでこういう愚かなことを堂々と言い放つこと自体、狂っている

 

 小倉は、大臣がいわずもがなのことをいってしまって更迭されると問題などでは、「任命責任」がどうのと、まくし立てる。

 ドラマの役は任命するのではないが、似たようなものだ。

 NHKには、いっぱいいる女優のなかから沢尻エリカを「選んだ責任」「起用した責任」というものがあることは明々白々

 

 わかりやすい例でいえば、もし小倉智昭がシャブで捕まったら、プロデューサーや担当役員は「監督不行き届き」で更迭されるし、小倉が出演した番組は、たちどころに放送禁止となる。世論がことのほか厳しい場合には、社長退任という事態に発展するかもしれないし、組織ぐるみが指摘されたら何人もの役員が連帯責任を取らされる。それが企業の社会的責任というものだ。

 

 小倉智昭は、長い間、ニュースも報道しているのだから、それくらいのことがわからないはずがない。

法を犯して逮捕されても、その罪を犯した当人だけで済むという話ではないのだ。

 小倉は、甘い。甘すぎる。

 

 沢尻エリカは、ツッパリ時代に「別に」とそっけなく答えて袋叩きにあって反省したと見え、近年は別人のように礼儀正しくなり、愛想もよくなっただけでなく、生来の美貌にも磨きがかかり、女優としての演技も確かなものとなって幅広い役がこなせるようになり、好感度が上がった――かのように見えたから、CMに起用する企業も現れた。

 

 だがそれは、彼女の表面しか見ていなかったということになる。

 彼女がクスリをやると、どういう狂態をさらす姿に一変してしまうのかということは、当人や当人とごく親しいクスリ仲間以外には知りえないことである。

 

 沢尻エリカが出演しているNHK大河ドラマをそのまま流してもいいという意見も結構あるようだが、もし許すとなると、犯罪者のテレビ出演は、そういうケースも考慮に入れて判断する必要があるのだ。

 極論すれば、出演者が何人逮捕されたとしても、一向に構わないということになる。

 さらにいうと、実現の可能性はきわめて低いケースとして、出演者全員が犯罪者ということだってありえなくはない。そうなると、テレビ番組はまるでゾンビ映画だ。

 

 「おかしいなこの考え方」という小倉の方が「おかしい」のだ。NHKに媚びを売ったのか!?

(城島明彦)

 

ピエール滝、沢尻エリカ……民放化したNHKが「素行調査」を怠った罰だ! 

「人を見る眼」がないNHK大河ドラマ班に、当然の報い

 

 昔から日本国民にとことん嫌われてきた3代武将は、吉良上野介、井伊直弼、そして明智光秀と相場が決まっている。

 

 そういう人物を主役に据えたドラマを作っても、地元以外では歓迎されない。

 

 明智光秀がなぜ主君信長に反旗を翻して本能寺の変を起こしたのかという肝心の理由がよくわからないから、いかようにも描けるが、所詮、脇役に過ぎず、秀吉や信長のような人気は期待できず、視聴率が惨憺たる結果に終わることは火を見るよりも明らか

 

 しかも光秀は、人望がなかったから、他の有力武将らにそっぽを向かれ、三日天下で終わってしまった。

 

 秀吉が「主君の仇を討つ」という大義名分を掲げて「中国大返し」という奇跡的なスピードで攻めてきたので、光秀はあわてて逃げようとして落ち武者狩り遭い、農民に竹槍で殺され、あっけなく命を落としたというエピソードも情けない。

 光秀は、その程度の人物でしかないのだ。

 

 信長は秀吉を〝はげ鼠〟と呼んだが、光秀に対しては〝きんか頭〟とののしった。

 きんか頭の「きんか」は「金柑」で、きんかんのような禿げ頭という意味だ。

 

 同じハゲでも、秀吉は愛嬌があったが、光秀には陰湿なところがあった。

 

 そんな人物を主役にしたドラマに大金を投じてどうするのか。

 でもって、沢尻エリカの薬物事件で、これまで撮影した分がすべてパーになった。

 その責任は誰が取るのか。

 

 ピエール滝で煮え湯を飲まされていながら、素行調査を怠った罰だ。

 沢尻エリカ以外にも、「何かやっているのではないか」と思える危なそうな俳優、女優、歌手、タレントはいっぱいいる

 

「あの女優は、真に迫った演技をする」

 などと感心するような連中は特に危ない。

 かと思えば、俳優ではないが、田代まさしのように、逆に「目が死んでいる」ことでクスリを疑える者もいる。

 この際、NHKは、とことん調査してみたらどうか。

 

 いずれにせよ、NHKは民放化したことで、「綱紀」がルーズになった

 たとえば、昔ならNGだった髪型や衣装がまかり通っている。

 

 髪型や衣装が派手になると、行動や金づかいなども派手になり、いつしかクスリに手を出したりするようにもなるのだ。

 

 ごく普通の格好をし、ごく普通の人と仕事や遊びをし、ごく普通の生活を送っている者が、クスリに手を出すことはありえない。

 

 衣装や服装にうるさかった時代のNHKは、清く正しく美しい生き方を是としていたからだが、「あまりにも四角四面で融通がきかぬ」との批判を浴びて、今日のだらしないNHKに堕落してしまった。

 

 その結果が、大河ドラマに起用したピエール滝であり、Eテレにゲスト起用した田代まさしであり、今回の沢尻エリカという〝薬物トリオ〟なのだ。

 沢尻エリカの薬物事件は、綱紀がゆるんだNHKで起こるべくして起こった〝氷山の一角事件〟といえる。

 

 昔のNHKに戻れとはいわないが、「そこまでやらなくてもいいのではないか」といわれるぐらいの厳しい規制をかけて、髪形、服装、話し方など、さまざまな点で、民放とは一線を画すべきではないのか。

(城島明彦)  

 

 

2019/11/18

白鵬、本性をさらけ出す! 待ったをした玉鷲に怒り、片手で胸を突き、場内どよめく! 

自分から待ったをしたり、相手に待ったをさせるのも、張り差しをする策略か?

 

 テレビで観戦している方がわかりやすいのに、九州場所をわざわざ観に行く現地の人たちは、相撲のことをよく知っている人が多いのではないか。

 となれば、私がこれまで繰り返し繰り返し、本ブログで書いてきた白鵬という力士の〝本性〟についても、よくわかっているのだろう。

 

 昨日(8日目)の白鵬と玉鷲との一番で、最初、白鵬が待ったをし、次に玉鷲が待ったをした直後に白鵬が取った行為を目の当たりにして、場内がどよめいたのは、そのことをよく示している。

 白鵬は憮然とした表情をして、待ったをした玉鷲の胸板を右手でどんと突いて押し戻したのだ。

 

 相撲を知らない人は、「たかがその程度で」と思うかもしれないが、横綱がそういうことをすること自体、あってはならない大変な醜態であり、非難される行動なのだ。

 

 「横綱の品格」というと難しく感じる人がいるかもしれないが、こういうことも含めて「礼儀に反すること」を横綱はしてはならないのである。

 白鵬と玉鷲は同じモンゴル出身。番付では白鵬が上位だが、年齢は玉鷲が一つ上である。先輩に少しは敬意を払うべきではないのか。

 

 たかが、「待ったの後の押し返し」というなかれ。

 白鵬の場合、一事が万事だから問題なのだ。

 勝負がついているのにダメ押しをして相手力士を土俵下に付き落とすのもその延長であり、プロレス技まがいの連日の「張り差し」「かち上げ」で相手力士にダメージを与え、うまくいけば「軽い脳震とう」を起こさせて力が出ないようにして、勝ち星をあげてきたのも、その延長線上にある。

 

 白鵬の場合は、横綱にふさわしくない、この種の失態を何度も何度もやらかしてきた。

 時折、注意を受けたが、しばらくたつとケロッと忘れ、また同じ醜態を繰り返してきたから、もはや「人間性」を問われるといっていい。

 だからこそ、口を酸っぱくして物申してきたのだ

 

 さて、玉鷲戦に話を戻そう。

 二度の待ったの後、立ち合いが成立したと思った次の瞬間、白鵬は玉鷲の側頭部を張った。

 玉鷲の体の力が抜けたように見えたと思ったら、土俵の外に足を踏み出しており、あっけなく勝負がついた。

 こういう勝ち方を、「強い」とか「横綱相撲」とかいえるのか。

 横綱なら、たとえ立ち遅れても受けて立て!

 

 声を大にして私はいいたい。

 

 こんな力士に誰がした!?

 親方が甘やかし、相撲協会が多めに見てきたからだろう。

 観客の眉をひそめさせ、不快な気分にさせてもても平気とみえる。

 

 NHKよ、大相撲中継は子どももいっぱい見ているんだゾ。

 実況中継のアナウンサーや解説の北の富士、舞の海は、そういう視点に立って、白鵬のほぼ連日のような「張り差し」やら「かち上げ」やらに苦言を呈すべきではないのか。

 子どもが真似してもいいのか?

 

 私が小学生だった頃(昭和30年代)は全国的に大相撲が大人気で、学校の休み時間になると、運動場や砂場でよく相撲を取ったものだ。

 結構強かった私は、小柄な子とか軽量な子には、先代若乃花(横綱)の真似をして「上手やぐら」とか「呼び戻し」といった大技をしかけたこともあったし、千代の山(横綱)の真似をして「突っ張り」とか「突き押し」などもやったり、「内掛け」とか「とったり」という奇手も使ったことがあるが、「張り差し」やら「張り手」は一度もやったことはない。

 

 不謹慎な言い方になるが、白鵬の技で、相手力士が誰か、脳に損傷を負ったり、顎が砕けたというような大けがをしないと、問題視しないとでもいうのだろうか。

(城島明彦)

 

2019/11/17

思い出は甘酸っぱい? 昭和30年代にホップ、タイムスリップ、ジャンプや!

「ひとみちゃん」から「りんごちゃん」へ、バトンタッチに失敗

 

 「りんごちゃん」という、男なのか女なのかよくわからない〝丸顔のでぶっちいモノマネ芸人〟が現れたときは驚いて、昭和30(1955)代後半にタイムスリップしそうになってしもた。

 なんせ、「りんごちゃん」っていうのはね、昭和37(1962)年に神戸一郎が歌った歌謡曲の題名だったんや。

 

 このお人は商船大学の出で、歌手になる前は船乗りをしてはった。マドロスや。

 並みの美声と違いますのや。昭和32(1957)年12月に10代の恋よさようなら」でデビューして、紅白出場4はダテやないで。4回戦ボーイとは格が違うのや。

 ほんでもって、そのあくる年にリリースされた「銀座九丁目は水の上」では、海外航路の豪華船の描写がありマスト。よくデッキた歌詞やで。

 「銀座は八丁目までとちゃうの?」というあんたは偉い! そうなんや、九丁目は東京湾で海の上というしゃれでんがな。

 少年時代のオイラは、神戸一郎のまねをして、よう歌ったもんや。

 

  ♪夢の光よ シャンデリア

   粋なカクテル マンハッタン

   欧州通いの 夢乗せて

   銀座九丁目は 水の上

   今宵は船で すごしましょう

 

 この歌の舞台は東京湾やけど、港といえば、横浜か神戸。

 このお人は神戸生まれ。でもって、神戸という芸名にしたんやが、そのまま「こうべ」と読ませるのは芸がない、かんべんしてんかというので、「かんべ」と読ませたんや。オイラの出身地の三重県にも「神戸」(かんべ)という地名があるでぇ。

 

 かんべといえば、「簡便化」ちゅう言葉、知っとるやろ?

 上から読んでも「かんべんか」、下から読んでも「かんべんか」。

 もうダジャレはいわへんから、「かんべんかんべんか」(勘弁、勘弁か)

 こういうのを「かいぶん」といいますんや。

 「怪文」と違うで、「回文」と書きますねん。ほんまの話でっせ、怪聞やおまへん。

 あかん、また脱線してしもた。

 

 けどなあ、「りんごちゃん」はヒットせんかったんや。歌詞がイマイチやった。

 

  ♪リンゴちゃんって いうのはね

   ちょっとオデコで 可愛くて

   いつも町ですれ違う すれ違う娘さん

       恋をしている わけではないけれど

       いつもリンゴの 匂いがした

 

 実はな、この歌の3年前に「ひとみちゃん」(昭和34年4月)という歌が出て、鶴は千年、亀は万年、大ヒットしてまんねん。

 神戸一郎が所属したコロムビアレコードは、その「ひとみちゃん」にあやかろうとしたんや。歌詞の最後のフレーズに注目。「りんご」が出てきよります。

 

  ♪ひとみちゃん ひとみちゃん

    君の瞳が 濡れてると

    星の光も 悲しそう

    君の瞳が 輝くと

    小川の流れも うれしそう

    丘のりんごの 木の下で

    君の瞳に 恋をした

 

 そう、「りんごちゃん」は「ひとみちゃん」の3年後の姿やったんや。

 

 それにしても、昔の歌詞はシンプルでんなあ。

 歌詞の3番では、リンゴちゃんの出身地はリンゴのなる村で、母と同じ名前じゃないかと想像し、そう思ったら、なつかしさがこみ上げてきたというストーリー。

 で、歌詞の最後はちゅうと、

 

  ♪急に僕の胸に 甘いすっぱい匂いがする

 

 「甘酸(あま)ずっぱい思い」とはいうけど、アウト? セーフ? よよいのよい! じゃんけんぽん! 

 甘い匂いだけならセーフやけど、「甘ずっぱい匂いがする」娘はアウトや!

 

  ♪どっどど どどうど どっどどど……

   甘いリンゴも 吹き飛ばせ

   すっぱいリンゴも 吹き飛ばせ

 

 瞳がキラキラしてた女の子は、3年後には宮沢賢治の「風の又三郎」に変身して、甘さと酸(す)っぱさが入り混じった娘に変っていたんや。

 そういう人生経験を「酸いも甘いも噛み分けた」というんやでぇ。

 脇が(腋臭)甘く、ダジャレが出てきて、どうもす(酸)いません!

(城島明彦)

2019/11/16

多くは言わぬ。〝極道横綱〟白鵬、今日は宝富士の右側頭部をぶん殴って勝った!

立ち合いで「張り差し」「かち上げ」をしない代わりに、今度は取り組み中に「殴打風張り手」だ!

 

 大相撲九州場所7日目、白鵬対宝富士の勝負。

 白鵬は、取組中、宝富士の左側頭部めがけて思いっきり張り手をかますと、首根っこを押さえつけるようにして宝富士の体を前に落として勝った。

 前日は、立ち合いざま、明生の右耳つまり右側頭部を張って、脳震とう症状を誘引している。

 

 以前、「張り差し」「かち上げ」を連発する白鵬の相撲に対し、前横審(横綱審議会)委員長が「そんな手は見たくない」とまでいったが、白鵬はどこ吹く風。

 

 激しい動きなのでわかりにくいが、横からひっぱたきに行くのだから、意図してやったとしか思えない。

 突いたり押したりではない。ぶん殴っているのだ。

 

 相撲ファンに気づいてもらいたいのは、明生といい宝富士といい、昨日も今日も、白鵬の張り差しやら張り手が決まった次の瞬間、対戦力士は簡単に土俵に這(は)ったという点だ。

 

 その張り手を食らって、宝富士は何が起こったかわからないうちに負けていた、という状況だ。

 白鵬のひどさは、勝った後、土俵上で「やった」とばかりにガッツポーズを決めたことからもわかる。こんな横綱、見たことがない。

 

 これが史上最高の優勝回数の持ち主なのか!?

 引退した稀勢の里は、勝っても、土俵上では表情を一切変なかった

 そうするのが力士として当然のことだと入門時から親方に繰り返しいわれてきたからだという。

 

 相撲界は、白鵬に引っ掻き回されっぱなしだ。

 情けない限りという言葉しか見つからない。

(城島明彦)

2019/11/15

〝性悪横綱〟白鵬、明生に右耳を平手で狙い打ち! 明生、足がもつれて勝負にならず

あざとすぎるぞ、白鵬! 明生は脳に衝撃を受け、よろけたじゃないか!

 

 白鵬は立ち合いざま、左手で明生の右耳に張り手を見舞い、左に傾きかけた明生の右を差して、出し投げにいき、倒した。

 

 その取り口を見て解説の北の富士は、白鵬が左手で張って左手で差しに行ったと驚いていたが、耄碌(もうろく)したのか、大事なことを見落としている

 

 普通、左手で張れば、その分、左脇があくので、右手で差しに行く。

 だが白鵬は、張り手にいった左手で差しに行った。

 明生が張られて動きを止めたから、そうする余裕が生まれたのだ。

 

 耳を張ればどうなるか、計算づくだったのだ。

 白鵬が〝極悪力士〟〝性悪横綱〟といわれるゆえんは、そこにある。

 相手が動いたために、たまたま耳に手が当たったのではない。

 白鵬は、明生が立った瞬間、狙い定めたように耳に平手打ちをかましている。

 

 耳を張られると、鼓膜が破れたり、中耳炎になったりし、最悪の場合は脳に損傷を受けたりするので、アマチュア相撲では禁じ手とされている。

 

 大相撲では「張り差し」は認められた取り口だが、張ってもいいのは顔面であって、耳とか側頭部ではない。

 耳とか側頭部は一種の急所だ。側頭部に張り手を食らって失神した力士は過去に何人もいる危険極まりない技である。

 私は、このことを耳にタコができるほど繰り返してきたが、白鵬の耳には馬の耳に念仏。

 白鵬は、側頭部だろうが耳だろうが一向に平気だ。

 顔面を張る「張り手」「張り差し」という技を悪用して、一撃で仕留めたり、相手がをふらつかせたり、相手の体力を弱らせたりすることを平然と繰り返してきた。

 勝てば何をしてもいいという〝極悪横綱〟、それが白鵬なのだ。

 

 録画した人は、明正との一番で明生の体に何が起きたかをスローモーションやストップモーションで確かめるがいい。

 

 ここ2日ばかり、白鵬が大横綱にはふさわしくない〝下位力士への究極のパワハラ技〟ともいえる「張り差し」プロレスまがいの「かち上げ」をしなかったので、反省し封印したかもしれないと思ったが、その期待はものの見事に裏切られた。

 考えてみれば、ここまであくどい張り差しを繰り返してきた白鵬が、1日や2日で改心するはずはないのだ。

 白鵬の「張り差し」と「かち上げ」だけを集めた映像をyou tubeにアップしてくれないだろうか。空前絶後の極悪横綱の〝瞬殺狙い〟の張り差しという性悪な手口がよくわかるはずだ。

(城島明彦)

〝性悪横綱〟白鵬、明生に右耳を平手で狙い打ち! 明生、足がもつれて勝負にならず

あざとすぎるぞ、白鵬! 明生は脳に衝撃を受け、よろけたじゃないか!

 

 白鵬は立ち合いざま、左手で明生の右耳に張り手を見舞い、左に傾きかけた明生の右を差して、出し投げにいき、倒した。

 

 その取り口を見て解説の北の富士は、白鵬が左手で張って左手で差しに行ったと驚いていたが、耄碌(もうろく)したのか、大事なことを見落としている

 

 普通、左手で張れば、その分、左脇があくので、右手で差しに行く。

 だが白鵬は、張り手にいった左手で差しに行った。

 明生が張られて動きを止めたから、そうする余裕が生まれたのだ。

 

 耳を張ればどうなるか、計算づくだったのだ。

 白鵬が〝極悪力士〟〝性悪横綱〟といわれるゆえんは、そこにある。

 相手が動いたために、たまたま耳に手が当たったのではない。

 白鵬は、明生が立った瞬間、狙い定めたように耳に平手打ちをかましている。

 

 耳を張られると、鼓膜が破れたり、中耳炎になったりし、最悪の場合は脳に損傷を受けたりするので、アマチュア相撲では禁じ手とされている。

 

 大相撲では「張り差し」は認められた取り口だが、張ってもいいのは顔面であって、耳とか側頭部ではない。

 耳とか側頭部は一種の急所だ。側頭部に張り手を食らって失神した力士は過去に何人もいる危険極まりない技である。

 私は、このことを耳にタコができるほど繰り返してきたが、白鵬の耳には馬の耳に念仏。

 白鵬は、側頭部だろうが耳だろうが一向に平気だ。

 顔面を張る「張り手」「張り差し」という技を悪用して、一撃で仕留めたり、相手がをふらつかせたり、相手の体力を弱らせたりすることを平然と繰り返してきた。

 勝てば何をしてもいいという〝極悪横綱〟、それが白鵬なのだ。

 

 録画した人は、明正との一番で明生の体に何が起きたかをスローモーションやストップモーションで確かめるがいい。

 

 ここ2日ばかり、白鵬が大横綱にはふさわしくない〝下位力士への究極のパワハラ技〟ともいえる「張り差し」プロレスまがいの「かち上げ」をしなかったので、反省し封印したかもしれないと思ったが、その期待はものの見事に裏切られた。

 考えてみれば、ここまであくどい張り差しを繰り返してきた白鵬が、1日や2日で改心するはずはないのだ。

 白鵬の「張り差し」と「かち上げ」だけを集めた映像をyou tubeにアップしてくれないだろうか。空前絶後の極悪横綱の〝瞬殺狙い〟の張り差しという性悪な手口がよくわかるはずだ。

(城島明彦)

2019/11/14

前回の大嘗祭では桂離宮に迫撃弾が撃ち込まれるなど、7カ所でゲリラ事件が発生

黄ばんだ1990年の記事(11月23日付)の切り抜きが出てきた

 

 「古代へタイムスリップ」「幻想的な脂燭の光」「絵図を思わせる行列」と読売。

 「〝暗闇の祭り〟苦心報道のカメラ」「神武以来初めて、テストなし」「赤外線フラッシュも『ダメ』」「即位の礼では床下が取材場所」と東京中日スポーツ(トーチュウ)。

 

 当時、費用は当時25億円ということだったが、その後22億円とされた。

一方、今回は27億円。その間29年。数字の上では微増だが、今の方が人件費・材料費などが多くかかっているので、経費削減感が強い。大嘗祭の主要費用は大小39(前回)の建物からなる大嘗宮だが、今回は前回の8割弱に縮小したことがすでに発表されている。

 

 読売の記事はのリードは、

「(前略)二十二日夕方から行われた六十二年ぶりぶりの大嘗祭。日本独自の農耕文化に根差すという儀式は、上古に模した大嘗宮を舞台に、ほのかな明かりの中で進んだ。カヤぶき屋根、かがり火のはぜる音。そして天皇陛下の真っ白な祭服。しかし、参列席はヒーターで暖められ、外に高層ビルが望める。現代と古代と、大嘗祭に千数百年をタイムスリップしたような幻想的な時間が流れた。」

 

 トウチューの記事は、大嘗祭に報道陣の立ち入りを認めたのは前回が初、つまり、神武天皇以来初めてで、ぶっつけ本番だったとし、次のような解説も付している。

 「天皇陛下は、神座の横に作られたもう一つの神座(縦〇・九メートル、横一・二メートル)の前に伊勢神宮に向かって座り、ご飯やお酒などを皇祖神はじめ神々に供えた後、お告文(つげぶみ)を読み、自らも食べて国・国民の安寧と五穀豊穣を祈られた、とされている」

 

 読売の記事によれば、過激派のゲリラと見られる事件は、二十二日夜から二十三日未明にかけて一府五県で起きた。ほぼ同時刻だったという。

(城島明彦)

2019/11/13

白鵬はまともな立ち合い、まともな取り口で隠岐の海を破った

この勝ち方が普通の横綱の勝ち方――「力の衰えは感じられても、さすが横綱」といえる

 

 大相撲九州場所の4日目(1113日)、白鵬は、身長・体重、体つきの似た隠岐の海と対戦した。

 がっぷり四つに組んだが、隠岐の海にもろ差しとなられ、土俵際で上手投げを打って勝った。

 上手投げと下手投げの打ち合いとなった場合は、下手投げの方が有利だが、隠岐の海は全力を出し切れず、わずかの差で白鵬の上手投げがまさった。薄氷を踏むとまではいかなかったが、こういう勝ち方であってもいいのだ。

 

 全盛期なら簡単にもろ差しを許さなかったが、体力が衰えているのだろう。圧勝とはほど遠い勝ち方だったが、それでも勝つのが横綱なのである。

 

「横綱の品格」とは何か!?

 

 「張り差し」や「かち上げ」を繰り返すことではない。

 立ち遅れても「待った」をしないで、受けて立つ。

 全盛時のような馬力やスピードや怪力などは影を潜めたが、それでも勝つ。

 非の打ちどころのない横綱相撲が取れなくても、たとえ悲壮感が漂う取り口になったとしても、黒星は喫しない。

 負けそうで負けない。

 鍛え方が違う、これまで積み重ねてきた稽古の量が違う、と観客は思う。

 15日間堂々と戦って何番か負けたとしても、言い訳はせず、千秋楽が終わってみれば優勝している。

 土俵を離れても、人格者として言動に気を配る。 など。

 

 それが真の横綱であり、その姿はどこか神々しくさえ感じられる

「横綱の品格」というのは、そういうことが備わっている横綱を指す。

 

 真の相撲ファンは白鵬に求めているのは、そういう横綱の姿だ。

 白鵬には、このことを知ってもらいたい。

 

 今日4日目の取り口は、まともな相撲だったが、明日以降はどうか?

(城島明彦)

 

〝悪知恵〟白鵬には「張り差し」か「かち上げ」しかないのか!?

「円熟味を増した」といわれる横綱になぜなれぬ!

 

 

 「またか」

 「これしかないのか」

 と、苦々しく思った相撲ファンは決して少なくはないだろう。

 大相撲九州場所(十一月場所)の2日目の大栄翔との取り組みでは、顎を狙ったら「かち上げ」を見舞おうとして失敗して負け、3日目は朝乃山の左顔面を狙った強烈な「張り差し」を敢行して、朝乃山の片目が見えなくなるようにして勝った横綱白鵬のことである。

 

 白鵬の「かち上げ」は、危険なケースが多い。なぜなら、大栄翔に見舞おうとしたそれは、右腕を曲げて右腕を相手の胸板にぶつける通常のそれではなく、相手の顎に肘を命中させようとする「プロレス技」の「ひじ打ち」に限りなく近かった。だが、その目論見は外れ、あごに決まらず、白鵬の右手は空を舞い、「しまった」と思っているうちに寄り切られたというわけだ。

 

 張り差しを頻繁に使う力士は限られている。平幕の松鳳山は、馬鹿の一つ覚えのように、連日やるが、来る日も来る日も張り差しばかり見せられると、「いいかげんにしろや」といいたくなってくる。

 豪栄道もよく張り手を使うが、観ている方はあまりいい気持ちはしない。取り組むたびに張られる力士は、口に出すことはなくても、もっと不快だろう。

 玉鷲も以前は張り差しをよくやったが、今はほとんど見かけない。それでも勝っているのだから、それでいいのだ。

 

 白鵬のように、立派な体をしている力士は、姑息とも思えるような張り差しなどという手を使う必要などなく、体力を活かして堂々と渡り合えば、立派な相撲内容で勝てる。

 

 にもかかわらず白鵬は、安易で見苦しい「張り差し」と「かち上げ」を多用し、「かち上げ」では実に巧妙にやるから、たちが悪い。

 だが、見る人は見ているのだ。

 来る日も来る日も、相手力士の顔面を張り飛ばしたり、ひじをあごに激突させなければ、相撲が取れないとでもいうのか。

 そういう腐った根性は、最高位の横綱として情けないというより、あってはならない

 

白鵬の3日目は、立ち合いざま、朝乃山の左顔面を張り飛ばして全力を出させないようにして勝った。張り手が尋常なパワーではなかったことは、朝乃山が花道を引き揚げるとき、左眼だけをパチパチとまばたきさせていたことからも推測できる。

取り組みでは、一瞬、朝乃山の左目が見えなくなった可能性が高い。

つまり、白鵬という横綱は、そういうことを平気で、計算ずくでやる横綱なのだ。

 

「大横綱」とか「横綱相撲」と呼ぶ力士には、ふさわしくない取り口なのである。

 白鵬ファンのなかには、こういって反論する人もいるだろう。

 「『張り差し』も『かち上げ』も相撲の四十八手として公式に認められた技だ。それを使ってどこが悪い」

ならば、問いたい。

 「大栄翔や朝乃山は、なぜその手を白鵬に見舞わなかったのか」と。

 横綱の顔面を張ることへの遠慮もある。しかし白鵬は、それを逆手に取って、自分より下位の力士に張り差しを飽きることなく繰り返してきたのだ。

 それは、一種の「パワハラ」である。

 

 張り差しも、十五日間のうち一度や二度なら許されるかもしれないが、白鵬の場合は頻度があまりにも多すぎるので、横審の前委員長から「張り差しや張り手を繰り返すのは見たくない」と異例の注意発言まで飛び出したほどだ。

 つまり、見苦しく、横綱としての品格に欠け、感動しないというわけだ。

 にもかかわらず、いまだに改めようとしない。

 そこにも、横綱の品位品格を問われる問題がひそんでいる。

 

 

 たとえ立ち遅れたとしても、堂々と受けて立ち、立ち合いの劣勢を力で取り返して、力強く寄り切ったり投げで勝ったることで、

 「さすが横綱」

 と感心されるような相撲を取るのが「横綱相撲」なのである。

 

「連日のように、対戦力士の顔面を張ったり、あごをひじでかちあげたりするような荒っぽい手を使うのは、横綱にはふさわしくない」

と心ある相撲ファンは思っているはずだ。

 

 白鵬は、「勝てばいいのだろう、優勝回数が多ければ多いほど大横綱だ」と思っている節が感じられる。

 だが、そうであってはいけないのだ。

 横綱は強いだけではダメなのである。

 心技体のどれかが欠けても、真の横綱とは呼べない。

 双葉山や大鵬の勝ち星や優勝回数は、白鵬より少ないが、誰もが相撲史上屈指の「名横綱」であり、「大横綱」であると認め、賞賛している。

 その理由は、いうまでもなく取り口にある。

 双葉山や大鵬は、心ある相撲ファンが眉をひそめる立ち合いや取り口をしなかったからだ。

 

 白鵬は、勝ち星や優勝回数では、大相撲史上ナンバー1だが、それにふさわしい立ち合いや取り口をしているとは認めがたい。

 白鵬は、力士としては晩年の域に入っている。

 横綱として円熟味を増したといわれるような「押しも押されもせぬ堂々たる横綱相撲」を取ってもらいたい。

 それには、まず、「張り差し」と〝ひじ打ち〟まがいの「かち上げ」を封印することだ。

 

 全国の相撲ファンよ、今後の白鵬の立ち合いと取り口に注目だ!

 (城島明彦)

2019/11/09

「レレレのレ」の「leleleのre」と「rerereのle」はどう違うの?

「日本語と英語は近いようで遠い? 近いようで遠い?」の巻

 

 

 たとえば――

 

 亭主を亡くした女は、いいようのない寂しさから虚脱状態に陥り、晴れた夜には決まって空に輝く赤く大きな星Antares(アンタレス)をじっと見つめ、悲痛な叫び声をあげた。

 「あんた~っ!」

 そう、女は「ペットロス」(pet loss)ならぬ「あんたロス」になっていたのである。

 そして女は、アンタレスに向かって、狂ったように歌い始めた。

  ♪あんたがたどこさ 肥後どこさ 熊本さ

 ここまでが「lesson 1」(レッスン・ワン)である。

 

 だが女は、熊本へは行かなかった。

 意外にも、地中海のレスボス島(Lesvos)を経てロス(ロス・アンゼルスLos Angeles)へと飛び、「レスビアン」(レズ/lesbian)になったのだ。

 このくだりが「lesson 2」になる。

 

 そして「lesson 3」へと突入だ。

 やがて女はレスリング(wrestling)にはまり、ついにはレズの相手とペアを組んで、ベガス(ラスベガスLas Vegas)のリングの上で泥レスをするようになった。

 その後、女は上野動物園のレッサーパンダlesser panda)の飼育員になったという。

 

 夜になると、動物園の上空には、アンタレスが赤く大きく輝いていた。

 アンタレスは、さそり座のαである。

  ♪そうよ私は さそり座の女~ァ

 

 ところ変わって、首相官邸の庭先である。

 さそり座の首相のかたわらで官房長官がつぶやいた。

 「今夜もアンタレスが赤いですなァ」

 「そういう君の腹は黒いぞ」

 「そんなこといってないで、さ、総理、部屋に戻りましょう」

 すると総理は、にやっと笑って英語で返した

 〝You are deep no less than me.〟(私に劣らずあんたも腹黒い)

(城島明彦)

2019/11/08

秋たけなわでございますなあ、あき竹城

秋もいいけど、春川ますみ

 

 あき竹城は団塊世代で、今じゃ〝山形弁のヘンなばあさん〟キャラが売り物のバラエティタレントになっておりますが、かつては〝デブ系〟ヌードダンサー

 日劇ミュージックホールに出演したこともありました。

 朱雀さぎり、松永てるほ、アンジェラ浅丘、岬マコらが人気の頃であります。

 

 オイラは、東宝の新人研修の一環で、同ホールのエレベーター係をやらされ、空いている時間は客席の後ろから彼女らの踊りをただで何度も見させてもらったのであります。

 同社への1970年入社が決まっていた大卒は5人いましたが、なぜかオイラだけが名花の〝乳出しダンシング〟のオンパレードを連日ただで満喫できる日劇ミュージックホール。ほかの連中は、日比谷界隈の直営映画館。人事も、わかっておったんですな。

 

 渡辺直美には負けるが、春川ますみとメリー・ローズ

 

 あき竹城より年齢がほぼひと回り上の春川ますみも、今は女優だが、もとはといえば、ヌードダンサー。浅草ロック座で踊っておったんですな。

 春川ますみは、ひいき目にいえば当時の流行語の「トラグラ」(トランジスタグラマー)、ストレートにいえば「小柄で、ずんぐりむっくり」だったが、驚くべきは、その芸名。

 メリー・ローズでありました。メリー・ジェーンではありませぬ。

 

 ロースは牛肉、ローズはバラで、ズロースは女性用下着。のちに惨殺されるハリウッド女優シャロン・テート主演の映画「ローズマリーの赤ちゃん」というのもありましたっけ。

 

 だがしかし、正統派ローズは、東京ローズジプシー・ローズ、へてからコロムビア・ローズにとどめを刺しますなあ、御同輩!

 

 若い世代のためには、解説が必要でしょうな。

 東京ローズは、太平洋戦争中、米兵の戦意をそぐプロパガンダ放送をやった女性DJ。

 ジプシー・ローズは、日本のマリリン・モンローといわれたストリッパー。

 コロムビア・ローズは、「東京のバスガール」を歌った初代。

 

 それにしても、どう逆立ちしても、メリー・ローズから春川ますみのあのアンパン顔で小太り体型は浮かびません。

 春川ますみは、最近経産省の局長との再婚話で話題沸騰の菊池桃子のデビュー映画「パンツの穴」にも出ていたんですな。

 オイラの頭のなかでは、今村昌平の傑作映画「赤い殺意」で、布団をひっかぶって「母ちゃん」という西村晃と事に及ぶ太った田舎の中年女のイメージが鮮烈であります。

 

 あんたも好きねえ、ってか。

 いえいえ、私は正真正銘のセカンドチェリー。娘が生まれてからは、「煩悩を断ち、女犯を断って、清く正しく美しい体で生きよう」と固く決意して三十年近くになりますのや。

 信じる者は救われん。

 

  ♪ チェーリー チェリーベイビー チェーリー カモン トゥナ~イト

 

 おっと、「チェリー」じゃなく、「シェリー」だった。チェッ。

 尾崎豊の「シェリー」じゃおまへんで。

 

  ♪ Sherry, Sherry baby Sherry, Sherry baby

    Sherry, can you come out tonight?

 

 1962(昭和37)年にヒットしたアメリカン・ポップスのフォー・シーズンズの「シェリー」やで。そのときオイラは、花も恥じらう16歳。青春でしたなあ。

(城島明彦)

2019/11/07

ボケ防止! 盗作ナツメロメロ組曲で、あそぼ!

ええか? え演歌? ええのんか? こんなことして!

 

  起承転結はもう古い、いまや、奇笑添尻(きしょうてんけつ)だ。

 というわけで、狂作狂室と参ろうかの。

 

 ◆盗作詞! 石原裕次郎モザイク・メドレー

  [奇] アカシヤの 花の下で  (赤いハンカチ)

  [笑] 風が吹く吹く やけに吹きゃァがると (風速四十米)

  [添] 東京で一つ 銀座で一つ  (銀座の恋の物語)

  [尻] 夜霧よ今夜も 有難う  (夜霧よ今夜も有難う)

 

 ◆ごちゃまぜの味! 女性歌手モザイク・メドレー

  [奇] 母は来ました 今日も来た  (二葉百合子「岸壁の母」)

  [笑] 年の離れた 妹と (金田たつえ「花街の母」)

  [添] お姉さんの爪弾く 三味線に  (こまどり姉妹「三味線姉妹」)

  [尻] 海鳴りだけを 聞いている  (石川さゆり「津軽海峡冬景色」)

 

 ◆昭和の大物共演! 男性歌手モザイク・メドレー

  [奇] 恋の涙か 蘇鉄(そてつ)の花が  (春日八郎「長崎の女(ひと)」)

  [笑] 吹けば飛ぶよな 将棋の駒に  (村田英雄「王将」)

  [添] 姉(あね)サかぶりが 見えないか  (三波春夫「船方さんよ」)

  [尻] 古城よひとり 何しのぶ  (三橋美智也「古城」)

 

 ――わしも、暇じゃのう。とうとう頭にキムチ。 

(城島明彦)

2019/11/06

松尾芭蕉は「俳人」、田代まさしは〝廃人〟

63歳なのに、覚せい剤で逮捕の「再々々々犯」とは!

 

 NHKは、今年の7月にEテレの番組「バリバラ」で二週二度にわたって、田代を起用している。

 その番組をちらっと見たときに、私は、志村けんのギャグをもじって、

 「だいじょう~ぶかァ!?

 と思ったが、案の定だった。

 田代まさしは、小心翼々としており、肝っ玉は小さい!が、キンタマはでかい?

 NHKの民放化が招いた事件というべきだろう。昔のお堅いNHKだったら、こんなアブナイ男をゲストに呼ぶようなことはしなかった。

 田代は、NHKからお呼びがかかったことで、世の中はチョロいと思ったに違いない。

 

 この男の本を読めない連中は、田代に同情したり更正させようとして、何人もの人間が次々と煮え湯を飲まされてきた

 

 そういう手助けをする奴こそ、信用できない大馬鹿者だ。

 騙した田代は大馬鹿者だが、騙された男も救いようのない大馬鹿者だ。

 人を見る眼がないのはもとより、そういうやつらのいうことも当てにならないということになりはしまいか。

 早い話が、力量のない部下を抜擢したり、力量がある部下を飛ばしたりするのも、そういうやつらがやらかすことだ。

 

田代まさしは「灯台下暗し」を悪用した知能犯にして確信犯である

 

 覚せい剤依存を断つためと称して「日本ダルク」(薬物依存更生施設)に入っていたが、いつのまにか教戒師のような立場になって、新しく入所してくる他の依存者に経験談を語りながら説教するなどし、ときたま民放のインタビューに応じたり、講演するなどしていたのだから、それこそ盗人たけだけしいというべきか。

 あの顔、この顔、いくつもの顔を持つ田代まさし。

 貴様に、〝廃人二十面相〟というあだ名を進呈しよう。

 

スズメ百まで覚せい剤を忘れず、ってか

 

 古くは、俳優で歌手だった清水健太郎、近くは三田佳子の息子ら。

 こいつらは、覚せい剤やら麻薬らをやっては捕まり、出所してはまたやるということの繰り返しだ。

  元巨人の清原は大丈夫なのか。

(城島明彦)

2019/11/02

〝みどりのタヌキ〟がいった「合意なき決断」は名言か迷言か、「流行語大賞」狙いか

 ♪ サッポロ一番 味噌つ~けた――「東京脱輪音頭」ってか

 

苦渋の決断」というのはよく耳にするが、蚊帳(かや)の外に置かれて事前の相談もなく、寝耳に水の「マラソンと競歩は東京から札幌に変更する」と宣告された〝みどりのタヌキ〟小池百合子都知事、IOCへの恨み節を「合意なき決断」という言葉で総括した。

 

 「合意なき決断」という言い方は耳新しく、なかなかいいことをいうじゃないか、と最初は思ったが、よく考えてみると、言語明瞭・意味不明。これが小池百合子流である。

 

 1960年代の安保騒動のときに安倍晋三首相のおじいさんの岸信介首相がいった「声なき声」という名言を思い出したが、こちらは言語も意味も名誉腕ある。「安保反対」を叫んで国会に突入した学生ら左派の闘士だけが目立っているが、何も発言しないけれど「安保賛成」と思っている国民はいっぱいるという意味だった。

 

 

小池百合子はなぜ「健康ファースト」といわぬのか

 

 先の選挙での「都民ファースト」連呼も、〝アメリカのへんな奇術師〟トランプがしばしば口にした「アメリカ・ファースト」の受け売りだったが、「〇〇ファースト」なんて珍しくも新しくもない。

 

 日本人にとっての「〇〇 ファースト」の元祖は「レディー・ファースト」であって、アメリカ映画が珍しかった古い時代には斬新だったが、今じゃ死語に等しい。

  

 小池百合子は、東京五輪ではさかんに「選手ファースト」といっていたが、「健康ファースト」とは一言もいわなかった。

 選手の健康を考えたら、気温37度とか40度といった異常高温が予測される東京でのマラソンや競歩は回避するのが筋。

 東京開催に固執して、IOCを説得して東京開催で決着させたとしても、レースで万が一にも死者が出た場合は、誰が責任をとるのかということが、小池の頭からは飛んでいる。

 

 「ほかのスポーツは東京でやるのに」といったことも、札幌反対の理由として挙げる者もいたが、10種競技は検討する必要があるかもしれないが、そのほかの競技は、マラソンや競歩のように2時間以上も炎天下を走り続けるわけではないから、同じ土俵の上に乗せて論議すべきではない。

 

 

小池百合子の「危機管理」はどうなっているのか?

 

 地球温暖化が異常ともいうべきスピードで進展している昨今、かつての日本列島では起きなかった風水害などが繰り返し発生するようになっている。

 そういう過酷な環境になっているなかで、想像を絶する熱波のドーハで開かれた先のマラソンで女子選手の4割が棄権したことが判明した時点で、東京でそうなったらどうするかとか、死者が出たらどうするかとか、そのときの責任はだれが負うのかといったことを真剣に考えなかったのだろうか。

 道路の温度を下げる工夫をしたとか、選手にミストを噴射するといったことは、小手先の改善策に過ぎない。

 「人命ファースト」と本気で考えるなら、「合意なき決断」などというべきではなかった。

 小池百合子の頭には、再選を意識したさもしい了見の「メンツ・ファースト」しかなかったのか。

 

 1814年のウィーン会議の「会議は踊る、されど進まず」というのもあったが、IOCやJOCと開催都市東京の間で行われた「札幌に変更」を最終確認する会議は、波乱もなく、すんなり進んだようで、〝みどりのタヌキ〟の「合意なき決断」という腹鼓だけが、むなしく東京の秋の空に響き渡っただけだった。

 

 幕末で考えると、吉田松陰は、討幕を図ろうとして捕縛され、明日の命の保証がなくなったときに、討幕に走った動機を、こうなることはわかっていたが、それでもやった理由を「やむにやまれぬ大和魂」という言葉で表現したが、小池百合子も、タヌキの最後っ屁のような当てこすりをいわず、「やむにやまれぬ決断」とでもいえば、拍手喝さいとなったかもしれない。

(城島明彦)

«ビートたけしも頭が上がらなかった昭和の芸人由利徹の「いい話」