メビウスの迷宮

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自己紹介文

 このブログは、作家の城島明彦が書いている。内容は2022年11月17日時点。

 プロフィールが2年間放置されていたので、書き換えることにした。

 相変わらずの出版不況で、物書きは、厳しい状況になっているが、私は興味・関心がない分野のものは執筆しない。今年(2022年)に書いた本は、単行本『家康の決断』『超訳 方丈記』(いずれも出版社はウェッジ)。
 
 私が物書き専業になったのは文藝春秋社発行の小説誌「オール読物」の新人賞を受賞した1984年からで、以来、筆一本で細々とやってきた。その間、自分が書きたいと思ったものを中心に書いてきた。
 誰でもそうだが、興味を持つ対象は年齢とともに変わる。私が書きたいと思うテーマやジャンルも、やはり年齢とともに変わってきた。小説やらノンフィクションやら古典の現代語訳やら人物論やら時代物やらである。

 近年は、年老いたせいもあるが、「日本人の生き方・考え方」「日本人と武士道」「生と死」といったテーマに関心が移り、日本の古典の現代語訳やら武士の時代やら幕末・明治維新などに力を入れている。
 現代語訳では、2012年が宮本武蔵の『五輪書』(ごりんのしょ)、2014年が吉田松陰『留魂録』、2015年が貝原益軒の『養生訓』と続き、2016年は石田梅岩の『都鄙(とひ)問答』,2017年は『中江藤樹「翁問答」』と続き、2021年1月には『葉隠』が出版された。いずれも致知出版社から出ている。
 『吉田松陰「留魂録」』は現代語訳シリーズに入っているが、「留魂録」の現代語訳は短く、吉田松陰について書いた文章の方が圧倒的に長く、全体の3分の2を占めており、「吉田松陰論」といってよい。
 
 時代物では、2018年のNHK大河ドラマの主人公西郷隆盛の謎が多い人生を描いた『考証・西郷隆盛の正体』(カンゼン)が2017年10月に発売された。カンゼンはサッカーなどのスポーツ物の本や雑誌ではよく知られているが、近年、武士物・時代物に進出、私もその一翼を担ったというわけだ。

 以前は、ビジネス書も多く書いたが、次第に離れ、『世界の大富豪 成功の法則』(プレジデント社/2015年12月発行)以後は、ほとんど書いていない。
  
 企業の広報の危機管理については、2012年12月発売の『広報がダメだから社長が記者会見する!』がある。雑誌「広報会議」(宣伝会議発行)に「危機管理広報」を2012年から2017年まで40回にわたり連載したが、それ以後はノータッチだったが、先頃、同社から2021年1月号「危機管理特集」(2020年12月1日発売)への執筆依頼を受け、久しぶりに「広報のプレスリリース」(お詫びリリース/ウェブコメントの書き方)をテーマにした原稿を書いた。執筆依頼があったから書いたまでだが、このときも、編集担当が途中から通信社から転職してきた若い女と変わったとたん、えらく横柄な応対をされた。昔も今も、この手の女編集者が多いのが、この業界の特徴でもある。
 
 私は1946年生まれで、すっかり年をとってしまい、2014年春には『親の入院・介護のしくみと手続きがすぐわかる本』を都庁で福祉関係の仕事を長くやっていた友人と書いた。この本は、2015年に改訂版が出たが、その後、他社が類似本を続々と出したこともあり、今年で廃刊となった。しかし、編集担当者からは事前に何の連絡もなく、ある日、廃刊を告げる文書の入った封筒が送られてきただけ。
 その点、拙著の小学館文庫を廃刊にするにあたっては、同社の編集局長名の丁重な手紙が送られてきた。これが普通だが、そういうことすらしない出版社がほとんどになっている。一事が万事、こんな調子だから、出版不況になったのではないのか。そう毒づきたくなってくる。

 前記の『親の入院・介護のしくみと手続きがすぐわかる本』は、ジャーナリスティックな観点に立ち、ケアマネージャーを中心とする介護関係者のためのわかりやすい本『ケアマネなら知っておきたい社会知識ナビ』(2012年3月初版・現在、増補改訂版が発売中)を書いているときに、必要だと考えたのがきっかけとなったのだが、担当編集者の退社などもあって2018年に3度目の改定を加えて出版し、現在に至っているが、私と同じ小中高大学という後輩の新しい編集者にやる気がまったくなく、これも廃刊は時間の問題となった。

 新型コロナが爆発的に世界を席巻した2020年も晩秋に入ると、鳥インフルや人に移るミンクの新型ウイルスが出現するなど、恐怖の時代となったが、アメリカではバイデンが77歳で新大統領に当選するなど、高齢者でも現役としてバリバリ働き、まだまだ世の中をリードできる時代となっている。
 
 出版業界は紙から電子書籍へという動きになり、私も比較的早い時代に着目し、(iPhone、iPad向けの)電子書籍アプリ『会議術の盲点』(2012年4月発売)なども書いたが、売り上げは紙の書籍の100分の1にしかならず、そうした路線を継続する意欲が継続しなかった。そういうことを憂慮した作家の村上龍が電子書籍の会社を設立して作家の印税を高く設定すると宣言したが、成功しなかった。

 私も試行錯誤の末、「電子書籍は日本ではモノにならない」と結論付け、紙媒体に復帰した。
 私の電子書籍では、明治時代の歌人・小説家だった伊藤左千夫の名作『野菊の墓』の現代語訳が人気があった。
 それを加筆修正し、小学高学年~中学生向けにわかりやすくした『現代語訳で読む野菊の墓』が理論社から2012年9月発売された。これは全国の小中学校の図書館に置いてあるということだ。同書の現代語訳は、その時代その時代のスターが演じるときにシナリオに利用できるように、わかりやすく書いたのが好評で、今も版を重ねている。

 時折、「長編小説を書け」といわれたりするが、60代半ば頃から体力が落ち、持続力がなくなったこともあり、短編・掌編をいっぱい書いて、1冊にしたこともある。短編小説集『怪奇がたり』(扶桑社文庫)、掌編小説集『恐怖がたり42夜』(扶桑社文庫)がそれだが、今は絶版扱い。ただし、電子書籍化されているので、読んでくれる人がいたが、これも今では絶版状況に近い。
 この2冊は怪奇小説で、中学時代の昼休みに図書館で夢中になって読んだ『怪談』の著者小泉八雲への傾倒に端を発している。いつか自分も書いてみたいという思いを形にしたというわけだ。

 今でも、テレビの「ほん怖」(「ほんとにあった怖い話」)などを好んでみるが、映画もテレビも、近年のホラー物・怪談物は私にいわせるとデタラメに過ぎ、「四谷怪談」「牡丹灯籠」のような情緒のかけらもなく、怪談の基本となる「この世への未練に根差す怨念」の類いが空回りしており、好きになれず、見る気にならないものがほとんどだ。

 私の怪奇小説は、ファンタジックな要素が強いということから、編集者に勧められて『横濱幻想奇譚』(ぶんか社文庫)というのも書いた。これは短編+中編だ。これを担当した編集者がデタラメで、ゲラに赤を入れた個所がきちんと反映されておらず、その直後に他社に移るなど、ひどかった。近年は、こういうろくでもない編集者が増えている。

 先年、東宝の助監督時代からの友人の映画監督が急逝した。私が原作を書き、それを彼が映画にしようと話し合っていた矢先のことで、未だにショックが尾を引いている。これは長編で、ぜひ完成させようと思っていたが、友人がなくなったことで、そうする意欲が失せた。もっとも、本を書くようになる以前から「映画は自分でつくるものではなく、観るもの」という考え方になっている。

 私は過去に恋愛小説も何冊か書いており、三重県の鈴鹿を舞台にした『協奏曲 ~ラバーズ・コンチェルト~』(集英社文庫)、湯河原温泉の老舗旅館を舞台にした『夜想曲 ~カメリア・ノクターン~』(どちらも集英社文庫)、スペインを舞台にしたロエベのデザイナー志望の女性を描いた『恋歌 ~マドリガル~』(海越出版社)がある。『恋歌』ではスペインへ同行してくれた編集者が亡くなり、かつて『協奏曲』を「よく出来ている」と褒めてくれた老母も2年前の6月に逝去した。

 前記以外にこれまで私が書いた本には、『裏・義経本』(主婦の友社)、『船と船乗りの物語』(生活情報センター)、『ソニー病』(共著・洋泉社)などもある。『船と船乗りの物語』は、日本郵船が120周年を迎えたときのメディア関係者向けの記念パーティーで、お土産に配った本で、同社の副社長を務めた高校時代からの友人小林進二が重病にかかったので、彼のことも少し書いておきたいと思ったのが執筆同期の1つになったが、彼も2021年に帰らぬ人となってしまった。彼とは大学時代に北海道旅行をし、旅先で出会った女性と結婚した。

 私が書いてきた本は、一見、テーマがばらばらのように見えるが、いずれも、自分のなかでは一本の線で結ばれている。

 義経は、作家になってほどなく「オール読物」の担当編集者(文豪菊池寛の孫の菊池夏樹)と話をしていて『平家物語』に関心を持って以来のテーマであり、長編推理小説『平家教団の陰謀』(光風社出版)は、その集大成だったが、その本は売れず、気に入っていた本だったが、出版社が倒産し、流通しなくなってしまった。船については、私が生まれたのは「七里の渡し」があった三重県桑名市の実家で、育ったのが国際港のある四日市市というつながりである。私を子どもの頃から実の子のようにかわいがってくれた実家のおばも、近年逝去してしまった。
 来年2023年のNHK大河ドラマは家康が主人公だが、家康最大の危機は、本能寺の変のときに堺見物をしていて明智光秀に追われ、命からがら逃げた「伊賀越え」である。家康がようやくたどり着いた場所は鈴鹿市にある白子港だった。そこから船に乗って三河へたどり着いたのである。桑名、四日市、白子は、近距離にある。その家康の「伊賀越え」などを、76歳になった私が書いたのだ。これまた、私のなかでは、1本の線としてつながっている。

 そしてソニーは、著者が11年弱勤めていた会社だ。

 モータースポーツの最高峰F1に魅せられて、スポーツ紙や専門誌に連載していた時期もある。F1への関心は、大学時代に生まれた。卒業直前に「週刊プレイボーイ」の読者特派員として南アグランプリを観戦しにヨハネスブルグまで行った体験に起因している。
 ホンダがぶっちぎりに強かった時代を描いた『ホンダ魂 ~F1制覇へ賭けた2000日~』(世界文化社)『F1の経済学』(日本評論社)という単行本を上梓したら、それ以降、私の中のF1熱が次第に冷めていった。「とことんやったら、卒業」というのが、私のスタンスである。

(略歴) ※一部、上記とだぶる。
 1970年早稲田大学政経学部卒業(小松雅雄教授「経済政策」のゼミで教えを受けた)。東宝(映画助監督3年)、ソニー勤務(宣伝部門及び広報部門11年弱)を経て現職。
 ソニー勤務時に書いた小説「けさらんぱさらん」で文藝春秋の「第62回オール讀物新人賞」を受賞。ソニー史上初の文学賞受賞者となった。
 小説では、前記『協奏曲』『夜想曲』『恋歌』以外に、コミカル推理小説『殺しだしたら止まらない』(光風社出版)、フジテレビの2時間ドラマになった『サマータイム・ミスティ』や『ようこそ吸血姫(きゅうけつき)』など軽いタッチの集英社コバルト文庫5冊もある。
 ノンフィクションでは、出身企業のソニー物に『ソニーの壁』『ソニーを踏み台にした男たち(パートⅠ、パートⅡ)』『ソニー燃ゆ』がある。
『不撓の軌跡―昭和20年東大物理学教室の男たち』は朝日新聞が大きく取り上げてくれたが、売れなかった。日本で初めてコンタクトレンズを開発したメニコンの創業者の半生を描いた『開眼―田中恭一伝』(非売品)なども書いた。
 
 ソニー勤務時代に培われた「フロンティアスピリット」に突き動かされて、早くから電子書籍に注目し、ケータイ小説では、テレビ番組と同じ感覚に立った〝日本初のスポンサー(ポッカコーポレーション)提供ケータイ小説〟をライブドアから2006年夏に連日発信した。

 2009年からは本格的に電子書籍市場へ書き下ろしを含めた作品を発表してみたものの、日本は〝電子書籍先進国〞のアメリカとは事情が違うということに気づき、また、電子書籍の売れ行きは紙の本の100分の1という厳しい現実を知って失望、電子書籍熱が冷め、再び紙の世界へ回帰し、現在に至っている。

 少年期に多大な影響を受けた従兄に、荒木不二洋(数学者・数理物理学者。京大教授、東京理科大教授を経て、京大名誉教授)、荒木光彦(京大副学長を経て、京大名誉教授。元松江工業高専校長)がいる。光彦は、京都の名門校である洛星高校時代、〝神童〟といわれ、京大に一番で入り、一番で卒業。2012年3月で高専を定年退官した。

(2022年11月9日に2年ぶりに更新した)